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昨日は日中、お友だち親子と私たち親子でうちの近所の公園で交流❤️

(偶然にも自治会のおばあちゃんおじいちゃんたちによる、恒例のお餅つき大会をやっていて、つきたてのお餅にありつけた😋つきたてってなんであんなに美味しいんだろうか。自治会の皆さん、ありがとうございます♪)

うちの末っ子(小3)を慕ってくれてるお友だちの末っ子ちゃん(小1)💖

"いつまでもいつまでも遊べる"って言ってくれてるらしい🤣
(私は公園で子どもたちを見守りながらママ友さんといつまでも喋っていられる🤣)


末っ子は'おねえさんとして遊んであげてる'というよりも、対等な遊び相手として年下の子どもたちと遊ぶ。それは末っ子が自由人で公教育に毒されていない分、"〇〇であるべき"がない。通学している同年代の子どもたちの様に常に自分自身を周りに合わせる必要がないし、学年というものを意識していないからではないかと思う。

その子(小1)もそのお姉ちゃん(小4)も学校がしんどい子たち。がんばって学校行ってるけど、違和感抱えてる。

学校ってお友だちと遊べるし、学べることもある…だけどしんどくなったら休める場所がない。保健室は熱ないと戻されるし、気兼ねなくクールダウン出来る、1人になれるスペース欲しいよね…。

息苦しい環境に半日以上身を置かなければならない子どもたち…先生もしんどいんだって言うけれど、大人はいざとなれば様々な選択肢がある。だけど日本では子どもたちにはそんな選択肢も裁量権もない事になっている。

そんな子どもたちに寄り添う事なく、学校には一切問題がない前提で、あくまでも問題は子どもたち、家庭の側にあるという話を進める対人援助職の人たちがまあまあな数いる事や、そんな援助職の心無い言葉で子どもたちも家族も追いつめられるがために支援の道が閉ざされてしまう事…。

先日FBの中で、私が書いたコメントがある。

母 "この子の足、25センチなんですが、学校には22センチの靴しかないんです。

25センチの靴、置いてもらえませんか?"

学校 'いやぁ、予算が付かなくて(本当はそんなことない、結局はめんどくさい)22センチ履いといてもらえませんかね?慣れたら何とか歩けると思うんですよね'

母 "いや、でもこの子の足、靴擦れ出来ててとても歩ける状況じゃないと思うんですが…"

学校 'いやいや、みんな22履いてるんで。お宅のお子さんだけ特別扱い出来んのですわ。そもそも、みんな出来てる事、22を履くことが出来なかったら、社会で生きていけませんよ!お母さん"

一般的な親御さんはそこでなくなく子どもたちの足を無理やり22センチの靴に押し込んでしまう。そして女性の足の成長を止める奇習【中国の纏足(てんそく)】の様な事を子どもに強いてしまう。立派な社会人になるために、と。

私、"あ〜、ほんならうちの子、裸足(アンスクール)でええですわ。少なくともケガせずに公園で走れてるんで😅"

夜は私が担当している、みんなのオンライン職員室でCuddle顧問のもと高校教員で現放デイ職員の荒田さんによる講座だったが、まあ出るわ出るわ、色んな話。

学校は考えてみれば恐ろしい場所だ。何故そう思ったかは長くなるのでまた次回。

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