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Oliveにありがとうを。

昨日、2023/05/31、朝。愛犬Oliveが亡くなりました。

Oliveが我が家に来たのは2018年3月。保護犬として迎えたので、その時すでに高齢でしたがとっても元気なワンコでした。

Oliveがうちへ来る前に居た保護権譲渡をする所では、Oliveは大型犬だし、長くても1年、2年の寿命かも知れない、それでも宜しいですか。と言われましたが受け入れました。
オッドアイ(左右で目の色が違う)のOliveは初対面から人懐こく、決して吠えない良い子に見えました。


Oliveがうちへ来るまでの経緯としての話なのですが、その頃私は精神的な調子を崩しており、今では考えられない位憔悴していました。
夫が犬を迎えようか(夫も私も犬が大好き)と提案したのは、そんな生気の無い私の、生き甲斐が増えたら…という願いもあったそうです(後日談)

実際に、暖かくなり一緒に散歩に出ることが出来るようになり、可愛くて可愛くて、ブログまで作ってOliveのことをブログで自慢していました。

一眼レフで初期に撮った写真がたくさん残っています。

最初は室内で一緒に生活していたのですが、大型犬であるのと(Oliveの固有スペースを十分に取れない)排泄のコントロールを教わって来ずにここまで育ってしまったので至る所で粗相をしてしまっていたので、一度外(うちは幸い外構が広い)にOlive専用の大きめの小屋を作って、トイレトレーニングもしてじきにそれも覚え、平凡だけどありがたい毎日を過ごしていました。
家族皆、同じ部屋で暮らしたいという願望はあったのですが、詳細を書くと言い訳がましくなるので割愛しますが、結果的には外の空間でのびのびと暮らす方がOliveにとっても良かったと思います。


右目が茶色、左目がブルーのOlive。ブルーの方は目の中に宇宙があるようでそれはもう美しいものでした。

3月にうちへ来たので、春の良き日には桜の花見にも行って記念撮影をしたりしていました。


散歩も大好きで、他の犬に吠えられても吠え返すことは1度もありませんでした。人に対しても(家族以外の)、甘えるでも無いけど、なでなでしてもらっている時は嬉しそうにおとなしくしていました。

でもいつしか。私の病気が、悪化してしまいました。
正直に書きますが、その頃からOliveと距離ができてしまいました。地獄を見ながらバランスを取りながらギリギリで生きていた私は、自分のことしか考えられていませんでした。

散歩にも行けなくなりました。あんなに可愛がっていたのにブラッシングもしなくなりました。寝たきりになってしまいました。

そのころは他の家族がOliveの面倒を見てくれていたのですが、私の中ではOliveはかけ離れた存在になってしまいました。

家族なのに。

そのことを、意識できなくなってしまいました。

1、2年しか生きられないと言われていたOliveなのに、5年と数ヶ月も一緒に居てくれました。その生命力には感嘆です。

私の精神的コンディションも色んな山を越え谷を越え、安定へと向かい、Oliveの散歩も行けるようになったのは、今年に入ってからかも知れません。
それまで随分、当たり前のように家族に頼っていました。

ですが、散歩に行けるようになったのは正直、楽しかったです。
犬ですが、表情があるんですよね。ニコニコした顔でこっちを振り返るOliveの顔。散歩で排泄が終わるとご飯タイムなので、それを予期して(パブロフ的な)よだれを垂らしながら家まで歩く。暖かい日も、寒い日も、雨の日も、何かしら喋りながら散歩していました。

5年目に入った今年の、つい先日頃までは元気だったのですが、急に体調を崩し始めました。
今も苦しいので詳細は書きませんが、加齢によるもので、死期を覚悟し始めました。

だんだん散歩にも出れなくなり、ご飯も食べなくなり、

ある日私が昼間にOliveの散歩に行った時あまりにも動きがおかしかったので(家から出れなかったくらい衰弱していました)夜に夫に「毎日思うけど、今日は本当にいよいよお別れかと思う。」と話しました。
その日は散歩もできず、ご飯も食べなかったので、思いきり撫でてあげました。それが一番、Oliveは嬉しいかなと思って。

夜に夫がOliveの散歩に行った時、「もう、明日の朝は生きているかわからない。お別れしておきなさい。」と子どもたちに言いました。
皆で世話をしていたので、子ども達もOliveを失うのはとても辛いことです。
私は真ん中の子がOliveに会いに真っ暗な中Oliveの小屋まで行くのに同行し、これでもかというほど、撫で回しました。Oliveは横たわった状態で首をなんとか持ち上げこちらを見つめ、「クウー、クウー…」というか細い声を出していました。印象的な時間でした。

「Olive、ゆっくりおやすみ。」

これが最期の言葉になりました。

翌朝(昨日の朝)、夫が様子を見に行った際はすでに亡くなっていました。

本当に、本当の、お別れの時間が来ました。

「Olive、来てくれて、ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。」

ごめんなさい、も沢山言いたかったけど、居てくれた、生きててくれたことにただただ、感謝を述べました。

失って気づくものは沢山あるというけれど、私は痛感しました。
最初から最後まで十二分にこれ以上出来ないというほどお世話ができていたら悔いもなく、天寿をまっとうしたOliveに、頑張ったね、ありがとう、と言えたかも知れない。
でも私は、途中でOliveを放棄してしまったから。

そりゃ、最期のころには散歩できるようになっていたからまだマシかも知れないけれど、徹底して愛せなかったことを悔やんでいます。

しょうがないじゃない、病気だったのだからという慰めは、とても辛いのです。
何があっても、Oliveを大切にしてあげたかった後悔は、きっと私にしか解らないです。

悔いがあればあるほど、死のインパクトは大きいようです。
泣き崩れてごめんなさいと叫びたかったけど、それは違う、それじゃOliveを送れない、と思い、ありがとうを号泣しながら伝えました。

豪華な葬式はできない。火葬だけお願いして、骨ももらえず、帰宅しました。
それもまた、悲しくて。帰り道とめどなく流れる涙を止めることができませんでした。

帰宅してから、皆気丈に振る舞っていたのに私だけ、ずっと泣いて落ち込んでいました。
後悔というものは、案外ダメージを与えるものです。

もういない。その事実を受け入れることができたんだろうか。
前までは、ペットの死はあくまでペットの死だと思っていたのに、こんなに辛いペットとの別れは初めてです。

4月ごろ、まだ元気が残っていた頃。夜の散歩にOliveと出かけた時、街灯に照らされた夜桜が美しくて(桜の向こうに写っているのは月)Oliveと一緒にしばらく桜を見ていました。きれいだねえ、なんて言いながら。
来年の花見も一緒にできるかな。なんて思ったけれど、それは叶わなかったね。
でもこうして、Oliveと一緒にいた時間を写真に撮っててよかった。


まだ胸が苦しいけれど、Oliveと過ごした良い思い出は大事に、ずっとあの顔を忘れずにいたいと思っています。

Oliveとのお別れが終わった後、狂ったようにOliveの小屋の近くに茂っていた草を引っこ抜いて苔玉みたいなのを作りました。
これを大事に育てたい。これを生かしたい。そう思っています。

辛い話ですみませんでした。
なお、心優しい方は励ましの言葉をコメントしてくださるかもしれませんが、今回は遠慮していただけると助かります。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

Olive、ありがとうね。大好きだよ。Olive。

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