実体験という最大値の保証なき現象にどれだけの信頼があるのだろうか、その信頼度が神秘の独占と自己の神格化を助長する。
あまりにも小さき我々が何を噛み締め語ろうとも体験は砂浜の濡れた砂の一つでしか無い事には変わりない
渇いた砂、濡れた砂、泡立つ潮、海、波打つ風
これら全てが全貌である

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