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志賀直哉の文学

※この投稿は、2006年9月11日に某SNSに載せた文章の再利用です。
 文章の作りが「若いなあ」という感じで恥ずかしいのですが、そのまま載せます。

「白樺派が好き」という同世代の人間を見たことがない。
近代文学を読みあさる文学青年・文学少女自体を見かけなくなったのも悲しいことだが、たまに
「近代文学好きです」
という人間に出会って、好きな作家を聞いてみると、いわく夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治といったオーソドックスな面々が並ぶ。
しかしそこに、志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎という白樺派を代表する作家の名が挙がることは決してない。

白樺派は、なぜこうも人気がないのか。
聞いてみたところ、
「ダラダラとした話が続くばかりで、大きな事件が起きないから、つまらない」
という意見があった。

確かに、白樺派は自然主義文学と同様、小説の中で大きな事件は扱わないし、ダラダラとした印象は否めない。
しかし、白樺派の文学は、自然主義文学とは全く装いも目的も理念も、異にしている。
今日は、志賀直哉という白樺派作家の魅力を語ってみたい。

自然主義文学の登場

明治中期、文壇に「自然主義文学」という新しい形式の小説が誕生する。
自然主義とは、島崎藤村「破戒」と田山花袋「蒲団」という2作品の発表を契機とする、「自然をありのままに書く」ことをモットーとした文学活動である。
それまで「奉公人と伯爵令嬢の禁断のロマンス」といった、現実にはなさそうな恋物語ばかりがもてはやされていた小説界にとって、自然主義文学の登場は衝撃的だった。

島崎藤村「破戒」の主人公は、被差別部落の出身であることを隠しながら職に就いていることに罪悪感を持ち始め、苦悩の末に自分の出自を明かすことを決心する。
田山花袋「蒲団」の主人公は、いなくなってしまった女を思い、蒲団に残った彼女の温もりを抱きしめながら泣く。

「こんな小説は今までなかった」
と多くの知識人は驚きを隠せなかった。
彼らの小説に書かれている事物は、目の前にあってもおかしくない現実だったからである。

こうして「自然主義文学」は徐々に人々の関心を集め、明治末期には全盛を誇るようになった。ところが、島崎と田山が望んだわけではなかったが、自然主義文学は少しずつその方向性を変えていくことになる。

白樺派の結成

当時の日本において「自然をありのままに書く」ということは、「人間の貧しさ、苦しみ、悲しみを書く」ことを意味した。それがやがて、「人間の醜さをえぐりだす」という負の方向にしか働かなくなってしまったのだ。

「とにかく人間とは醜いものだ」
とひたすら訴えかけてくる小説ばかりがもてはやされる。
そうした小説のあり方に、疑問を抱いたのが志賀直哉である。

志賀直哉は、裕福な家に生まれ裕福に育った「いいとこのお坊っちゃん」である。
そういった人間だからこそ、志賀は
「人間はもっと美しく、優しいものじゃないか」
と考え、醜さばかりにこだわる自然主義に反発心を感じたのかもしれない。

志賀直哉は、小説で「人間の優しさ」を書いていくことに決めた。同じ志を持つ人々が集まり、「白樺派」が結成された。

漱石・芥川・太宰らのせいで「文学とは暗いもの」と敬遠されることが多いようだが、白樺派はあくまでも「人間の優しさ」を追求した明るい作風である。

中でも、志賀直哉が書いた「小僧の神様」という作品は、後に志賀を「小説の神様」とまで言わしめた伝説の作品となった。

「小僧の神様」のあらすじ

「小僧の神様」とは次のような物語である。

奉公人の小僧「仙吉」が、用事を言いつけられて寿司屋まで品物を運ぶ。
その際、目に入った寿司があまりに旨そうで、ついつい見入ってしまうのだが、貧しい仙吉にとって寿司を食べることなど夢のまた夢であった。

そこに居合わせた国会議員Aは、そんな物欲しそうな仙吉の様子を見て、
「この子に腹いっぱい寿司を食わせてやりたい」
と考える。
Aは仙吉の奉公先を調べ、わざわざ仙吉を寿司屋まで呼びつける。
寿司屋のおやじはあらかじめ代金をもらっており、仙吉に「好きなだけ食べていい」と言う。

結局Aは仙吉の前に姿を現さないまま、仙吉に寿司をおごってやったというわけである。

「人間の優しさ」を書いた志賀らしい作品だ。ところが、まだ話には続きがあるのである。

仙吉は、自分に寿司をおごってくれた人が誰なのか、ずっと気になっていた。
そこで、自分を呼び出した男を捜すため、伝票から注文者の住所を調べ、その住所を捜し歩くことにした。ところが、Aはデタラメの住所を書いていたのである。
仙吉は、問題の住所のすぐ近くまでやって来た。あと少しで着くというところ。

ここで、話は突然ポツンと途切れてしまう。
そう、この物語は未完なのである。

「小僧の神様」あとがきに見える志賀の信念

最後の文章の後には、説明のため、志賀本人の書き込みがある。
その書き込みによると、志賀はこの続きを次のように書こうとしていたらしい。

仙吉がデタラメの住所を訪ねていくと、そこに人は住んでおらず、お稲荷さんの祠があった。
そして仙吉は、
「そうか、自分にお寿司を食べさせてくれたのは、きっと神様だったんだ」
と納得した。
だが、
「そう書くのは嫌だったので、途中で書くのをやめた」
と書かれている。

確かに面白い結末ではある。そして「小僧の神様」というタイトルにも納得のいく、良い結末だ。
だが、志賀はそう書かなかった。なぜか。

おそらく志賀はこう考えたのではないかと言われている。
「デタラメの住所が、お稲荷さんの祠だった」
というのは、現実には起こりえない偶然である。
それを書いてしまっては、作者のご都合主義というものではないか。

もし志賀が、ご都合主義による偶然に満ちたこの結末を書いていたとしたら、
「所詮白樺派の書く人間の優しさというものは、絵空事に過ぎない」
と非難されていただろう。

白樺派と志賀の思想

近代文学の歴史を振り返ってみれば、
「現実に起こりえないことを書いても仕方がない」
という理念から、自然主義が生まれた。しかし自然主義は、
「ありのままの人間の『醜さ』を書く」
ことに終始してしまった。ここで白樺派が、
「ありのままの人間の『優しさ』をこそ書くべきだ」
と主張して、アンチ自然主義の立場に立った。

ここでもし
「現実にはありえない人間の優しさ」
を書いてしまっては、自然主義以前の世界に逆戻りになってしまう
、と志賀は考えたのだろう。

「志賀の書く人間の優しさは、決して絵空事じゃない、人間の本当の姿だ」
この作品によって(むしろこの作品の最後の書き込みによって)、志賀直哉の名は文学界に知れ渡った。

このように、志賀直哉は理想主義者でありながら、決して飾りたてることをしない。
人間の美しさ・優しさを書くことに神経を傾けながらも、決して「ないもの」は書かない

そのせいで、志賀直哉の小説は
「大きな事件が起こらないから退屈だ」
と敬遠される傾向にある。
志賀作品は「派手な事件が起きない」という点では自然主義文学と同じだが、その理念は全く逆である。

確かに、人間の優しさをもっと情熱的に、劇的な方法でアピールすることはいくらでもできる。だが志賀はあえてそれを拒み、現実だけに目を向けた。
そこに、志賀文学の重みがあるのだと思う。

太宰や芥川で陰気になった後は、志賀直哉で口直しするのも悪くない。
近代文学好きの方は、ぜひ志賀直哉に挑戦していただきたい。
おすすめは中編小説「和解」である。

【あとがき】
これを書いたのは17年も前なのか・・・。
もう、志賀直哉が好きだったということも忘れていた。
今は「白樺派は退屈だからあまりお勧めしないよ」と言いたい笑。

このほかにも、太宰治や高村光太郎や有島武郎について書いたものがあるから、読み直してみて「そこまで恥ずかしくない文章だ」と思ったら投稿していこうと思う。

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