マガジンのカバー画像

ダンス世界の旅(妄想編)

33
DANCING 世界のダンス―民族の踊り、その歴史と文化 ジェラルド ジョナスさんの著書に基づきながらお話を進めていきます。
運営しているクリエイター

2020年4月の記事一覧

インディアン

最古のダンスとは恐らく本質的な部分で、霊魂や祖先、神々。 その他目に見えない存在の為に行われるダンスであろう。 ヨーロッパ人が到着する以前に北米南西部の乾燥地帯に居住するホピ族のように、あらゆる危機を乗り越えて、奇跡的に伝統的なダンスを維持している部族もいる。彼らはダンスの儀礼を中心に暦を刻んできた。(少なく見積もっても1000年以上前) ホピ族は自然の力に触れる。究極の目的は渇きに見舞われた農作物に雨をもたらすことで、生きた蛇を数ヶ月集める。蛇は神聖な使いで、雲や雨を

ミシシッピ川(Mississippi River)

マーク・トウェイン(1835年ー1910年)は、トムソーヤの冒険などを書いた小説家であるが、彼の生い立ちにこうある。 夏の霞の立ち込めたミシシッピ川の船上でハック達(木こりや、それに従事するもの?スラングです)の様子を観察していると、酔っぱらった一人が退屈な歌を歌い出し、みんながやめろ!といった。腹を立てた歌い手は、飛び上がり悪態をつき勝負を挑む。勝負といっても、三度空中に飛び上がり踵を鳴らすダンス。それを見せて自慢する。下がれ!俺のを見やがれと、粋なセリフを吐き、同じダ

バレエ

ヨーロッパの専制君主であったルイ14世の宮廷で行われていた。 言葉を使わないバレエという催しは、発展と共に宮廷風な振る舞いの理想とし、美的原理へと洗練されてきた。 後にバレエダンサーを養成する学校が設立された。 バレエマスターが大部分フランス語からなる専門用語(ピルエット・アントルシャなど)を元に体系化したものが教えられ、現在も使われている。 上流階級にとってバレエを見に行く事はステータスであり、訓練されたプロのダンスは、重力がまるでないかのように、何の苦労もなく飛び

タヒチ島

1767年ポリネシア諸島に上陸した初の英国船ドルフィン号の船長サミュエル・ウォリスは、女性達の誘惑に体が赤くなる思いだったであろう。 後ろ髪を引かれる思いで、船に現地の人達が、果物を投げ入れる。 あざけりのようなものも感じたかもしれないが事実はどうだろうか。 (壊血病の改善に一つ貢献した風習かもしれない) 一風変わった初めての文化との出会いは、友好的、自己表現、好奇心に衝撃を受けたとある。 数年後にタヒチに訪れた、ジェームス・クック船長も熱心に観察した記述が残ってい

結婚式

結婚とは、第二の人生の始まりである。 と誰かがいっていましたよ。 この儀礼にもダンスは繋がっている。 ユダヤ教とキリスト教の伝統的なダンスは、しっかりと結婚の儀礼と切り離されており。 儀式は、神聖な形態だとするらしい。 つまり、誓いのキスや指輪の交換、誓約、ワインを飲みすぎたりする例の行為も儀礼であり。 それが終わった後に、遂にダンスが始められるのです。 来客の前で新郎新婦がワルツを踊るのである。 これが、「ファーストダンス」と呼ばれるもの。 (こういったビ

カンボジア

第1章 ダンスの力ダンスとは普遍的なものである。 求愛や宮廷でのダンス、癒しや教育のダンス、結婚や葬送のダンスに、観客を楽しませるダンス、季節到来を表すダンスに神々に届けるダンス、物語を表現するもの、言葉にできないものを創造するダンス。ダンスの目的は無数にある。 シミー(腰や肩を震わせながら踊る)もそれぞれで意味が変わってくるのである。 カンボジアの古典である宮廷ダンスは数千年前からあったと言われ、 9世紀から15世紀半ばまでクメール王朝に支配されていた、 このアン

世界

はじまり 世界のダンス 初めまして、またそうでない方も、 ようこそ、お越しくださいまして、ありがとうございます。 仲野 邦彦 こと KU-NIと申します。 この度、noteなるものを始めてみようと、思いつきました。 どうにもお手紙を描いてくれるのは、子供達だけであって、 我々はそういったものから、便宜のあるものへ、 価値観を変化させてきたようであります。 私のこのノートは、 手書きの一種であり、また日記のような位置付けで書き綴ります。 これがある種のコミュ