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きみのことが だいすき


“あなたは、よいこ。
なにかを じょうずに できなくても。
みんなと 同じように できなくても。”



「〇〇さんのせいだよ」
そう言ってヘラヘラ笑いながら見せてきたあの子の小さな手は、青く腫れていた。





ここには、小学1年生から中学3年生まで、色んな子どもがくる。

発達や知的に特性のある子、
そして愛着に問題のある子。


それぞれの具合や出てくる特徴、グラデーションは様々で全て混ざり合った子も少なくない。

そして、殆どの子が、何かしらの虐待を受けてきているのだ。

ごはんすら与えられなかった子、居ないものとして扱われてきた子、身体に傷をつけられた子、
「お前なんか生まれてこなければよかった」と浴びせられてきた子。



「僕は大人になれないんだよ!僕には誰も居ないんだ!子どものまま死ぬしかないんだよ!」
鼻水を垂らして、わんわん泣きながら、
ちょっとの刺激でパニックになってしまう自分に絶望して嘆く子がいた。


「俺は父ちゃんとおんなじだからさ。すぐ暴れ
るし、人殴っちゃうしさ、碌でもないやつなんだよ。誰とも仲良くできないよ、みんなに嫌われちゃうし、どうせ怪我させちゃう。1人で居た方がいいよ。」
そう言って、哀しそうに苦笑いして、部屋に篭って1人で絵を描く子がいた。


「甘えろなんて言われたって、どうしたらいいかわかんないんだよ!
弱いとことか見せたくないんだよ、ずっと1人で平気だったんだから、放っておいてよ!」
布団を被って顔を見せないようにしながら、泣く子がいた。


SNSで、“親ガチャ”なんて表現を目にする度に、何て浅はかで傲慢な言葉だろうと思ってきたが、
この子たちが「ガチャ失敗した」と言うのを聞くと、
そんな風に嘲笑しなくてはやってられないのだと、なんと返したらいいか言葉に詰まってしまう時がある。



けれど、どんな時でも、私たちにしてあげられることなんて、殆ど無いのだ。

私たちに唯一出来ることとすれば、
只ずっと逃げずに傍に居ること、
何をしても見捨てないこと、
いくら成長に時間がかかっても待つこと、
これだけである。





私はなんでか、中学校の3年間、殆どちゃんと授業を受けたことがない。


不登校や保健室登校であった訳でも、サボって勝手に教室を抜け出していた訳でもない。

只、田舎で何もなくて、所謂“ヤンチャ”な子が多い地域で、特に荒れていた私の学年は、
学級崩壊を超えて“学年崩壊”していた。


先生たちも疲れて、諦めて、エネルギーを失くしてしまっていたのか、
逆に先生たちのやる気のなさがエネルギーだけ有り余る子どもたちに拍車をかけたかは定かではないが、

一部の教科を除いて、授業中クラス間を行き来してたりベランダで遊んでいる子、立ち上がって席交換して話している子、歌って騒いでいる子など様々な様相であった。


おかげで授業は全然すすまないし、諦めた先生たちはすぐ自習にしたり、DVDを流して教室から居なくなったり、先生自身が部活動の準備を授業中にしていたりと様々で、

かく言う私も、
暇を持て余して近くの席の友だちと話しているか、机に突っ伏して寝ているか(たまにがっつり寝たくて保健室のベッドを使うときもあったが)、絵を描いているか、小説を読んでいるか、部活やずっと習っていたピアノのレッスンで使う譜面を読み込んでいるか、であった。


それでも、1日6コマも授業があると、そのうち全部一通りやりたいことも終えてしまって、暇になってしまう。

そんな時、学年の始めに教科書と一緒に渡されたワークを見て、
せっかくこれにお金かかってんのに勿体無いよなあ、と気まぐれに解いていくくらいであった。


それでも何でかあの学年の中では、テストは毎回1位を取れるのは、
ただ“運が良かった”としか言えない。


優秀な人ほど努力を惜しまないし、自分より何かの能力が劣る人を見て、よく「努力不足だ」「何で努力しないんだろう」と話す。

けれど、それは生まれ持った才能や、環境の上に努力を重ねたから成り立っているものだというのは、中々気づいていない人も多い。

努力をしても結果が出ない人もいる。
それから、努力の仕方がわからない人も。



私は、ただ“運”が良かった。

授業を受けられなくても、教科書やワークの解説を読めば意味がわかったし、問題が解けた。

それは努力でもなんでもなく、ただ生まれ持った“運”があっただけだ。
みんな授業がまともに受けられない中で、ヨーイドンしたら、ただ1番だっただけ。


学年崩壊している、と話すと、みんなどうしようもなく心が荒んでいて、嫌なやつばかりに見えるかもしれないが、
意外とそんなこともなかった。

陰湿なイジメも見たことはなかったし、
成績がいいことでも、本を読んだりワークを解いていても、馬鹿にされたこともなかった。

逆に私が「暇すぎる」とワークを解いていると、
「えーじゃあ一緒にやって教えてもらう〜」と、
あまり勉強の得意でない(アルファベットを正確に書くのすらも難しい子もいた)友だちが机をくっつけてきて、教えたりしていた。


多分みんな、努力の仕方、エネルギーの発散の仕方がわからないだけで、悪い子たちではないのだ。


逆に“悪い子”なんて居るのだろうか。

親なのか、先生なのか、はたまた別の周囲にいる大人か、どの要素かはわからないけれど、
本人たちの持つ特性と、それらの大人たちの求めるものが違ったときに、
“悪い子”のレッテルを貼られたり、
無理に歪められたりするだけだと思うのだ。




運の良かった私は、勉強不足で志望校に落ちたものの、
偶然ある私立の学業特待生が取れた。

運の良かった私は、あの地域では珍しく父が教員であったから、
「学生のうちになるべく広い世界を見て、色んな人に出会いなさい」と、地域の外のその学校に通わせてもらえた。

運の良かった私は、小さな頃から母が収集していた絵本に囲まれて暮らしていたし、好きなだけ本を読ませて貰える環境にいた。

運の良かった私は、小さな頃から大学に行っていい事を前提で家族と話ができていた。

小学校の頃、ライフプランを考える授業で、
大学に行くのを当たり前のように書いたら、みんなに「大学行くの!」とびっくりされて、
何だか大それたことを言ったようで、すごく恥ずかしかったのを覚えている。

成人式で久しぶりにみんなに会った時、
既に子どもの居る人数と四年制大学に通う人数が一緒であった。 


ここで書いた“運”は私にとってのことであって、
決して同級生たちの人生を否定する意味はないし、
学歴なんかただの記号であると思っているし、
その人に合った、その人の求める仕事、
求める人生が手に入っているのが全てであると思う。


ただ、私にとってあそこは、
ずっと退屈で、ずっと狭くて、どこか息苦しい場所であっただけである。

他にも、あの場所が窮屈で居心地が悪かった子は居たのだろうか。
もし居心地が悪くとも、その居心地の悪さにすら気づけていない子は居たのだろうか。


どの子も、産まれてくる環境も、親も、
選べないのだ。

どんなに自分に合わない環境からでも、
抜け出す術も、他に選択肢があることすら、教えてもらえない子がいる。
抜け出す術に気づいても、それを、その環境から抜け出さない方がいいという呪縛の言葉や、どうせ無理だと自信を失わせる言葉で、阻まれる子がいる。


そんな中で私は、
「自分はどうにか抜け出せた、運がよかった」だけで、終わらせたくないのだ。


それぞれの場所で暮らす子たちが語る、当たり前も、普通も、普遍のものではない、
それを知っているのに、

気づいているのに、目を向けないのは、
一番卑怯であると思ってしまうのだ。




あの子は、パッと見、人見知りもしなくて、甘え上手で、可愛らしい子である。


家に住んでいた時のことを聞いても、誰が兄弟か従兄弟か、誰が出入りしていた母親の恋人か、偶に来て暴力を振るう父親か、集りにきていた親戚かもよくわかっていない。


誰よりも怖がりだから、
傷つけられる前に距離を詰めて、自分から傷つきにいくのだ。
いつ傷つけられるか、わからないよりマシ。

捨てられる前に相手を傷つけて、自分から捨ててやったと思おうとするのだ。
いつ居なくなるか、わからないよりマシ。

本当は、何より自分を支えるものが何もなくて、不安でいっぱいの、甘えるのが下手で、愛情を求める気持ちが底なしの子である。



出勤の度に、部屋で一緒に遊んで居たら、
少しずつ甘えたい、甘えていいのかもという気持ちが増えてきた。

そのまま、彼女の元に変わらず行き続けると、
次第にそれはどんどん増えて、とめどなく溢れ続けて、

私がその日、その子の部屋に行く前に他の子と遊んで居ることを知ってか、
私が部屋に行くまで待てず、
自分の手を思い切りベッド柵に打ちつけ続けたのか、
部屋に約束の時間に行ったときには、手は腫れ上がっていた。

そこで言われたのが一番はじめの台詞である。


家族関係にトラウマを抱える子は、屡々、
こういう風に自分を傷つけて、それを見せつけて、大人の心を推し量ろうとする。

“私だけ見てほしい”という必死に縋りつきたい気持ちと、
“本当にこの人を信じていいのか、どうせ離れていくに違いない”という疑いの気持ち、
そして“どうせ自分は愛されるわけがない”という諦めと自己否定の気持ちが、

ぐちゃぐちゃに自分を取り巻いて、
抱えきれなくなったまま、
それを大人にぶつけてくるのだ。


けれど、「もう傷つけないで!」なんて怒ったり、この子の思うがままに振り回されたりと、これに大きく反応してしまうと、
この子はもっと感情が膨らんだ時、自分を傷つけたらいいと学習して、もっとエスカレートしてしまうだろう。


結果、私たちは、何も特別なことは出来ないのだ。
いつも通り、ただ隣に居ることでしか、それを繰り返す事でしか、
本当の意味での安心を与えることは出来ないのである。





その子の手を見た後、私は「そう、そう思うんだね」と声をかけて、
彼女の顔を見て、ただ一緒にベッドにじっと座っていた。

すると、ヘラヘラしていたはずの彼女は、
次第にこちらを不安と恨めしさが混ざった目で泣きそうに見つめてくるので、
そのまま髪を撫でて「寂しかったね」と声をかけると、
黙ったまま、私の手に頬を擦り寄せた。


その日寝る前に読み聞かせた絵本の、

“あなたのとってもやさしいところ、たくさん知ってるよ。
あなたが今日もがんばっていたこと、知ってるよ。

がんばらなくてもあなたは、よいこ。
今のあなたはそのままで、よいこ。”

という一節を聞いた彼女が「本当に?」と聞いてきた。

「そうだよ」と声をかけると、じっとこちらを見つめてくるので、
布団をかけ直して、トントンとしながら見つめ直すと、
今度は穏やかに笑って、相棒のぬいぐるみを胸に抱いて、目を閉じた。


人とのコミュニケーションにおいて、“言葉”自体の持つ意味は30%程度にしかならないという。
残りの70%というのは、振る舞いでしか、示せないのだ。

“君を大事に思っているよ”という気持ちを込めて、常に向き合うことを繰り返すことでしか、伝えられないのだ。





人は誰しも、生まれてくる親も、環境も選べない。 

そして、その人生を歩けるのは、自分だけである。
誰かが変わってあげることも、代わりに背負って歩いてあげることもできないのだ。

幼い柔らかな心を、ぐちゃぐちゃに踏みあらされて、歩き方も教えられないまま捨てられて、
急に先が見えないオフロードを1人で歩けと言われる子がいる。

隣を見れば、舗装された道を、母と手を繋いで歩く子が見えて、
なんで自分だけ、と嘆きたくもなるし、
歩こうとしても進めず、お終いにしてしまいたくもなるものだ。

そんな子たちに、私たちがしてあげられることは殆どない。

私たちが出来ることは、
只ずっと逃げずに傍に居ること、
何をしても見捨てないこと、
いくら成長に時間がかかっても待つこと、
これだけなのだ。

ただ、
立っているのすら辛いとき、寄りかかったり、
どうしようもなく進めないとき「何で私だけ!」と怒って、当たり散らして胸を叩いたり、
次の一歩を踏み出すのが怖いとき、手を握ったり、

沢山泣いて、泣きつかれて眠って、隣を見たらまた少し頑張ってみようと思えるように、
ただ隣に居ることしか出来ないのである。

常に歯痒く無力であるけれど、

でも、せめて、
この先もずっと、これだけはし続けていきたいと思うのである。





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