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今までは胡散臭いと思ってたこと

今日は実家からお届けしています(いきなりどうでもいい情報)。

丸源でラーメンを食べ、無印良品を覗いてきました。

その時に2つほど自分に変化を感じられたことがあったので…。

丸源でたらふく食べたあと、お会計の際に店員さんの目を見て「ごちそうさまでした」が言えました。

心からの言葉でした。こんなに美味しいラーメンを用意してくれて、それを自分のところまで運んでくれて、下げるのも洗い物もやってくれる。至れり尽くせりです。

「お金を払っているから当たり前では?」と思う方もおられるかもしれませんね。でも、ラーメンの代金を払うだけでここまでサービスしてくれるのは当たり前と思ってはいけないと感じます。

美味しいラーメンをありがとう。片付けてくれてありがとう。目を見て感謝を伝えられると、小さな自尊心が芽生えました。

今までは「とにかく感謝」と言っている人を胡散臭いだとか、宗教臭いだとか思ってしまう自分がいました。

でも、それは心の中がごちゃごちゃしていて、他人にバカにされないようにすることに必死な自分のせいだと気づきました。

自信がないせいで素直に感謝できる人までバカにしてしまっていたのです。苦い記憶です。

これだったのか、と思いました。心に余裕ができると、当たり前だと思っていたことが全て当たり前でないことに気づきます。

2つ目の変化は、ショッピングモールの駐輪場での出来事です。

帰り際、自転車のロックを外して跨ろうとしていると、足元に柔らかいボールが転がってきました。

目線を前にやると、どうやら小さなお子さんの持ち物のようでした。

今までの僕なら知らんぷりをしていたかもしれません。なぜならそのボールは足元とはいっても、僕からも少し離れていたからです。

でも、今日の僕は咄嗟にボールを拾い上げ、その子のお母さんに渡すことができました。

お母さんはありがとうございます、と小さく言うと自転車のカゴにボールをしまいました。

僕は自転車に乗りながら心臓が高鳴るのを感じました。

あの子のボールでよかった。渡せてよかった。ありがとうと言ってもらえてよかった。

小さな自信がまたすくすくと育ちました。

「感謝する」「親切にする」、これらは他人のためでもあるし、自分のためでもあるんだなと思った話でした。

何より自分の変化が嬉しいです。

これもモノを捨てたからかな?(なんでもミニマリストにこじつけるのいくない)

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