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2017年版のジャスティスリーグの冒頭のバットマンのシーンの悪い点を全て指摘する

完全に論破する。2017年11月。スナイダーの新作を待ちわびて映画館で私が観た作品はスナイダーの映画ではなかった。特に冒頭のバットマンのシーンは映画館で観ている時点から苛立ちと怒りを覚えたが、その理由について分析的に説明する。

前提:2017年版の冒頭は完全にウェドンの作品

2017年に公開された映画『ジャスティス・リーグ』の開始7分間は全てジョス・ウェドンによって脚本が変更されて追加撮影されたシーンが続きます。

1)スーパーマンを子供がスマホで撮影した映像
2)バットマンが屋上で泥棒を利用してパラデーモンを捕獲するシーン
3)オープニングクレジットに合わせて描かれる悲しい街並み

これらは1つたりともスナイダーカットには出てきません。そして、いずれも何らかの理由でSNS上でネタにされています。スーパーマンの口ひげを消そうとしたCGが低品質で顔に違和感があることや、バットマンが最終的に泥棒を捕まえずに去ってしまうことや、オープニングで紹介される街並みの強盗が可愛い(反抗期の中学生レベル)ことなどツッコミ要素が満載です。笑

しかしバットマンのシーンについては画面が暗いことやスローモーションを使っていることでスナイダーの撮影だと勘違いしてしまう人がいそうなので、不自然な点について分析的に書き出してみます。

▼無意味なスローモーション

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非常階段へ猛ダッシュする泥棒にバックフリップで飛びかかるバットマン。

このシーンでこのショットだけがスローモーションになります。

マジでこのアクションには意味がありません。断言します。

なんでプロレスのようにバックフリップする必要があるのですか?

スナイダーがスローモーションを使うときは、まずアクションの必然性ありきです。そこから、ここにカメラを置いて、このくらいスローにすると、アドレナリンが出ているときの体感時間に似てくるので没入感や陶酔感がマシマシになる、という映像技術的な狙いがあって、初めて彼はスローモーションを使っているのです。

もう一度聞きますが、ここでバックフリップを決める必要は何でしょうか?もしお分かりになる方がいらっしゃいましたらコメントなどでご教示いただけると幸いです。

とりあえず派手なアクションをスローで撮っておけばスナイダーファンなら騙されるだろうとでもウェドンは思ったのでしょうか?馬鹿にするなよ!

この時点で映画館で観ていた私の眉間にはシワがより始めていました。

▼自身のアイデンティティの否定

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ブルースがなぜコウモリのコスプレまでして自警活動をしてるか知ってますか?

コウモリは彼が幼少期に感じた恐怖の象徴であり、暴漢に恐怖心を与えるためのコスプレなんですよ。それは彼が幼少期に両親の葬式を逃げ出して落ちた地下洞窟の中で見た景色であり、壮年期になってもなお両親の墓前で見てしまう幻覚なのです。

なのに泥棒をビルの屋上の縁に吊し上げて「待ってくれバットマン、何が望みだ!」って聞かれたら「恐怖だ」って、あちゃー。笑

君の見た目よりも高所の方が恐怖を与えるなら、いよいよコウモリの格好をする意味が無くなりますよ。そりゃアクアマンから「頭がおかしい」って言われますわ。笑

そもそも「何が望みだ!」という泥棒の台詞も不自然です。「命だけは勘弁してくれ」とか「金ならやる」とかでしょ。しかも「What do you want?」だけならまだしも、ここでは「What do you want from me?」ってわざわざfrom meを付け足して言ってるんです。完全に作者都合なんですよ。

▼アニメみたいなアクション

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ぽーーーんっ。

これ、トムとジェリーによく出てくるヤツでっせ。

▼理解できない無謀なアクション

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まず単純に危ないです。笑

彼には飛行能力があるわけでもないし、前作の『バットマンVSスーパーマン:ジャスティスの夜明け』でも彼はワイヤーを使って建物の間を行き来することはあったけれど、高所から自由落下して無事で済むような装備をしているとは思えません。

ノーラン版でもやってなかったと思います。ノーランとスナイダーはリアル志向が強いので、アニメのような超人的な行動はさせません。このバッツのダイブを気にしなかった人はアニメ版か1989年のティム・バートン版と混同しているのではないでしょうか。

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そもそもバットマンの目的が分かりません。バットマンは人類で最高クラスの頭脳を持つ男です。それはつまり「絶対に勝算のある行動しか取らない」と言い換えることができます。ここまで制御不能な状況になるような行動を取るのかね?

教えてあげましょうか。

答えは、ウェドン監督が「バットマンが夜のビル街の上を飛んだらかっこいい画が撮れる」と思ったからです。ただそれだけのためにブルース・ウェインは命をかけて、おそらくまだ一度も対戦経験のないパラデーモンに飛びかかったのです。いくらなんでも無謀すぎるでしょ。

パラデーモンは人間が恐怖を感じると周囲にゲームの敵ザコキャラように突如出現する謎の怪物です。明らかに地球の存在じゃないですよね。つまり、どれほど硬いのか、どれほど熱いのか、毒ガスをまとっていないか、強酸性の皮膚がバットマンを溶かさないか、未知の病原菌をまとっていないか、放射性物質ではないか、体の真ん中から突起物が出てきてこちらの身体に刺さらないか、一才の素性は分かりません。そんな相手にいきなり飛びかかるような行為。それは勇気ではなくて、無謀なだけです。謀(はかりごと)が無いと書いて無謀、それは即ち「頭脳の男」たるバットマンとは対極の存在です。

この時点で映画館で観ていた私の頭の中は大パニックでした。笑

▼スーパーご都合主義、発動!

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飛んでいる軌道は完全にパラデーモン側が決めていました。バットマンは捕まっていただけなので。なんで奇跡的に同じビルに戻ってこれたのでしょうか。

教えてあげましょうか。

答えは、ウェドン監督が「バットマンが夜のビル街の上を飛んだらかっこいい画が撮れる」と思ったけど、その先のことは特に何も考えていなかったからです。物語を進めるために強引に元のシチュエーションに戻しただけです。

もしくはウェドン監督が第三者に「スーパーマンが死んだからエイリアンが来たんだ」という台詞を言わせたかったから強引に元のビルに戻ってきたのです。ひどいね。笑

なおパラデーモンが爆発してしまった後は、バットマンは泥棒を放置してそのまま帰ってしまうのは最初にも述べた通りです。せめて縛り付けるとか拘束してあとは警察に任せるとかでもいいから悪党に対処しろよ。笑

▼一度落ち着いて整理しよう

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まず、情報収集がしたいだけなら、最初から屋上にとどまって捕獲しようとするべきでしょう。だったら素直に空中のパラデーモンにアンカーを打ち込んで地面に引き落とすのが得策です。

それができなかった時に抵抗するパラデーモンに逆らえなくて空中に吊り上げられしまうならまだ理解できます。その場合のスリル的な展開としては、取っ組み合いの状態で飛ぶのではなくて、ロープの先に吊るされた状態で他のビルに当たりそうになるとかですかね。ビルの窓ガラスに当たるとか、ゴシック調の建造物の尖塔や彫刻などの突起物をギリギリでかわすとか。

▼それでもバットマンが飛ぶべきでない理由

しかし、それでも映画的にはダメなのです。

ここでバットマンが飛んでしまうと、映画の後半に同じく飛行能力がないのにパラデーモンに飛びついて高度数百メートルまで上がってしまうアクアマンの豪快エピソード(彼なら深海でも耐えられる頑強な身体なのである程度の危険な行動にも納得できる)を、先にやってインパクトを下げてしまうのでやるべきではありません

このシーンは、スナイダーの完成品に、後からウェドンが追加したシーンです。つまりウェドンが後出しジャンケンでスナイダーの作品を壊しにきたようなものです。マジで正気の沙汰とは思えません。

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最後のインパクト殺しについては後から作品全体を振り返って分かるポイントですが、それ以外はとにかく映画を観ている瞬間から、意味不明で私は不快な思いをしていました。

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ということでこのトップ画像だったのでした。笑

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ジョスティスリーグが私の心につけた傷

そこから先の120分はほとんど、よく分からないヘンテコな映画の中で、わずかに残ったスナイダーの味を探し出すことくらいにしか私は喜びを見出せませんでした。今思い返すと、あれは辛い時間でした。(今でもジョスティスリーグはスナイダーカットとの比較を目的くらいでしか視聴できません)

当時の私は初回鑑賞時はなるべく情報を入れないようにして観に行ったので、まさかここまで酷いとは予想してなかったし、これがスナイダーが出した答えなら(MoSとBvSが興行的に失敗してスナイダーに逆風が吹いていたことは知っていたので)これを好きになる必要があるのではないか、どこか好きになれるポイントがあるのではないか。しかしそれは無いもの探しに行って絶望して終わるだけの旅でした。何か狙いがあるはずだと信じて再び映画館まで観に行きましたから。自嘲ものですよ、本当に。笑

ウェドンとワーナーブラザースがここまで作品のテイストを変えたのは完全に裏切りだし、詐欺です。ファンに対しても詐欺だし、途中降板したスナイダーに対しても不誠実です。映画にはまだ彼の名前が監督としてクレジットされているのですから。でもそれに気づかず一瞬でも信じようとしていた私は、まさに詐欺に騙されていた状態だったのですね。それに気づいたときが一番ショックでした。

スナイダーカット運動に救われた私の心

やがて世界の意見も見てみようと始めた情報収集で、私は #ReleaseTheSnyderCut を知りました。世界中の強者ファンが私と同じように疑問を感じ、本当の作品の姿を求めて動き出している。これにどれだけ勇気を貰ったか。実現への道は大変に困難だろうと予測されましたが、しかし共に同じ目的を目指す仲間がいると知れただけで、私は自分の感性に自信を取り戻すことができました。これ以上は長くなるので別の記事に譲ります。

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この文章を読んで傷つけてしまった人たちへ

もしかしたら、私にここまで論破されて、あの冒頭のバットマンと泥棒の格闘シーンが好きだったのに傷つけてしまった人もいたでしょう。でもあまり気にしないでほしいです。なぜならこれは「スナイダーの世界観とDCのキャラクターとではどちらがどのくらい好きか」という割合が違ったから生じただけの誤差だと思うからです。

私は「あくまでスナイダーの作風や世界観に沿って見れば道理に合わない」と主張しているだけです。私はただのスナイダー贔屓だと思ってやり過ごしてください。

なのでDCコミックスやDCアニメシリーズやDCゲームの世界での、神出鬼没で超人的な身のこなしの、まさに現代の忍者としてのバットマンが好きな人は、その姿が最新の映画で観られたことを素直に喜ぶのは全然ありだと思います。バートン版のバットマンは平気でビルの屋上から飛び降ります。シューマカー版でも超高層ビルからアクロバティックにダイブを決めて最後は軽やかに着地するシーンがありました。

この文章はあくまで私が覚えた違和感を明確にすることで、同じように違和感を持っていた人や、なんとなく観ていた人に、何か新しい気づきや発見があれば良いなと思って書いています。誰か個人の考えを改めるのが目的ではありません。ただ逆にこれを契機に自分の考えを改めるのも自由だし、世の中にはこんなことを考える人もいるのだなあで済ましてしまうのも自由だと思います。

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了。

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