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「ミレイユの右へ」17

第十七回 ハレ



 裏手へ回ると、案の定というべきか、真史が何かの作業を流しでしている後ろ姿が見えてきた。
 刃物を使っているらしく、黙々と手だけを動かして、相当傍に近づくまで久埜達には気がつかないでいる。
「あのう」
 いきなり声を掛けて手元を狂わせてはいけないと思い、か細い声でワンクッションを置いてみる。
「ああ、今晩は」
 真史はすぐに振り向いてくれた。
「今晩は」
 嫌そうではないから、久埜は好感触だと思ったが、一体何が好感触なのかと思い返して思考が縺れ、次の言葉までにタイムラグが出来た。
「久埜ちゃんのお兄さんですか? 徳重真史と言います。ここでアルバイトをしています」
 貫禄だけはある晴彦を見て、きっと年上だと思ったのか、丁寧な挨拶だった。
 晴彦は源さんのことだけは聞いていた。が、しかし真史の存在自体を全く予想もしていなかったので実は面食らっていた。
 ……しかも、久埜と親しげではないか。
「池尻晴彦です」
 保護者然として、晴彦は答えた。
 見る人が見れば「この優男、うちの妹に何してくれとんのじゃ、事と次第によっては打ちくらす!(ぶん殴る)」という内心が丸見えだったのだが、生憎誰もそれには気づかなかった。
「今日は、何をしてるんですか?」久埜が訊いた。
「竹串を作ってます」
「へえ、そういうのまでやるんだ」
 真史は、笊の中に二三十本溜まっていたものの中から一本を取りだし、
「こういう先が二股になった松葉串とかは簡単で市販品もあるんですが、やっぱり手作りだと色艶が違うんですよ」
 青竹の表皮の部分が、水気を帯びて鮮やかだった。
 緑色だが、その緑が違う。確かに、これが器に盛り込まれて出てきたら綺麗だろうな、と久埜は思った。
「これは鉄砲串」
 手元の部分の幅が広くなっていて、握りやすくした竹串だ。
「横から見ると鉄砲に見えるでしょう?」
「お団子を刺してあるやつ」
「団子ばっかりじゃないですけどね」
 この妙に楽しげな会話を横から見ていて、晴彦はこれではいずれ十中八九でカップルが成立するのではないかという、好からぬ手応えを感じていた。
 この真史とかいう奴、悪い人間ではなさそうだが……良かろうと悪かろうと……。
 父親の文太に知られたら、ぶっ殺されるのに違いない……。

 しばらくして源さんが出てきた。
 久埜は早速、今度何人かで会食したいのだがと申し出たが、
「うーん? そりゃあ、今はやめとけ」との思わぬ返事だった。
「え? 何で?」
 源さんは何故か首を捻りながら、
「俺もはっきりとした理由を分かりやすくは言えんのだが、何かこうアレだ」
「何?」
「アレだ。何て言ったっけ。……そう、ハレとケ」
「毛?」
「違う。ええと、ハレの日ってあるだろう。例えば門出の時とかだな。卒業式とか」
「うん」
「こういう料理屋で出すのは本来ハレの料理だ。普段食べない、所謂ご馳走だな。大人になりきっちまうと、もうハレの日って無くなっちまうから、みんないつでも来ちまうけど、しかしお前達にはまだ何度もある。だから、ちゃんとハレの日に来い。その時を大事にしろ。そしたら、俺が腕によりを掛けて旨いものを作ってやるよ」
 ああそうか、あの時絢が変だと感じた違和感はそういうことだったのか。
「うん、分かった」
 物凄く腑に落ちたのでその勢いが余ったのか、久埜は久々にもやもやの晴れたような非常にすっきりとした気分になった。
 晴彦も同様だったようで、最初板前姿の源さんを訝しげに見ていたのが、会話にも敬語が入ってどこかに尊敬の念を感じるようになった。
「僕の兄も今度卒業ですので、その時はお願いします」
「いいとも、連れて来な」
「あたしと、絢と早紀も今度卒業だから資格アリね。……それと」
 久埜の声の微妙なトーン変化を察して、晴彦は源さんの方を見たが、あからさまに目を逸らされた。
「真史さんも今度卒業ですよね」
「えっ? 僕?」
 片隅で道具の片付けをしていた真史が裏返った声を上げた。
「資格アリなんだから、一緒にお祝いしましょう」
「え? ……ええ……。……資格?」
 何だあいつ一個上だったのか、それにしても何だこれは仕組まれていたんじゃないか、という物凄い視線を晴彦は源さんに送ったが、俺もこんなことになるとは思わなかった、という意思を源さんは如実に目顔で示していた。

 結局のところ、卒業式の終わる三月に食事会が行われることになった。
 そもそもが絢の事故後の話し合いの会のようなものを企図していたため、事故の日にいた絢、久埜、耕、晴彦は外せない。さらにハレの日の早紀と昭。それに真史も加わり、人数は七人になった。
 だが、真史は別として……何で別なのか分からないが……食欲旺盛な昭と早紀が加わったことで、予算面が逼迫し、久埜は頭を抱えることになった。
「何か、お小遣いを稼ぐいい方法はないかなあ」



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