見出し画像

「ミレイユの右へ」57

第五十七回 WON'T BE LONG




 久埜と真史は、来掛けに立ち寄った交番まで戻った。
 峠道の両方の降り口には電話ボックスがあったのだが、万一不通になっているとまずいと思い敢えて無視してすっ飛ばした。
 それは正解で、その頃には既に公衆電話でも繋がりにくい状態が始まっていたし、付近でも電柱の損壊、電話線の切断が起きていた。
 警察の専用線から救急へ連絡。事情を話すとすぐにレスキュー隊が出動し、残っていた源さんが誘導した。
 絢と源蔵は直ちに斜面を引き揚げられ、小倉の総合病院へと搬送された。
 源蔵は、頭蓋骨折と硬膜下に出血を起こしており重傷だった。

 「ミレイユ」は、それらの営みが行われている時点でまさに久埜達の直上に位置し、「左側」から全てを見ているようだった。
 暴風域は九州、四国、中国地方を全て覆い、勢力圏全てに遍く被害を与えた。
 下関市付近まで進むと中心部は再び海上に抜けたが、性悪なことに沿岸部から遠く離れず、また海からエネルギーを得て、衰えを見せなかった。

 午後九時頃、久埜と真史は病院の救急外来の待合室で疲れ切って座っていた。
 他にも多分強風で怪我をした人の家族が、同じ様な面持ちで数組いる。
「台風十九号は現在島根県松江市の北西にあり、海上を時速八十キロの猛スピードで北東に向かっています。最大風速四十五メートル……」
 側に座っている男性の携帯ラジオから、淡々とした口調の災害情報が流れていた。
 源蔵は救急手術になり、それも済んで今は集中治療室にいるはずだった。
 命の危険は無いという。
 絢は精密検査の後、病室に運ばれたはずだが、まだ面会は出来ていなかった。
「やっぱり、これ便利ですよねえ」
 真史がムーバを弄りながら言った。
 源蔵の携帯だが、救急隊が見つけて拾ってくれたらしく、患者の持ち回り品として病院から久埜達の手に預けられた。
 まだ利用者数が少ないらしく、根気よく掛けていると、青森の絹子さんに通じた。
 事情を説明し、久埜は使命を一応果たせたと思った。
 航空路線が回復し次第、こちらへ来るという。
「充電器が無いから、電源を切っておかないとすぐ使えなくなるよ」
「そうですね」
 真史はおとなしくその言に従った。
 ラジオ放送が音楽に切り替わった。
 最近よく流れている「WON'T BE LONG」 という曲で、バブルガム・ブラザーズという音楽デュオが歌っている。
 久埜は何となく聞き入っていたが、そう言えば以前ビートルズの「It Won't Be Long 」を良く聞いていたことを思い出した。
 正に今のバブル景気の時代を象徴するような曲と、あの時代の曲で共通するモチーフがあることが面白いと思う。
「もうすぐ会える……」
 それは普遍的な気持ちだからなのだろう。
 あの頃、絢がどんな気持ちで聞いていたのだろうかと思い、胸が苦しくなった。

 しばらくして看護婦さんが来て、短時間面会できる旨教えてくれた。
 救急区画に比べて静まりかえった一般病棟の個室を訪ねると、病衣姿の絢が点滴を打たれて横たわっていた。
 久埜達の姿を見るとゆっくり起き直り、
「本当にありがとうございました」と、主に真史の顔を見つめながら言った。
「怪我は?」
「擦り傷くらいで、私は全然大丈夫。……風邪は引いたみたいだけど」
「ずぶ濡れだったから」
「着替え用意しないとですね」
「でも、久埜の格好、小学校の時思い出す」
 真史はホテルまで戻って、源さんの着替えを無理矢理着込んでいたが、久埜は警察に行ったときに好意で貸してくれた出所不明のジャージを着ていた。
 かなり以前のもので、そう言えば当時の体操服がこんなだったと思った。
「あ、僕、待合室に戻っていますから」
 ふいに真史はそう言って、部屋を出て行った。
 どういうつもりなのか、何かの勘なのか……しかし、それはどうでもよかった。
 ベッド横の椅子に座り、身を寄せてきた絢を抱きしめた。
 背中を撫で、体温を感じる。
 ……これだけのことだったのだと思う。
 今まで絢を拒否してきたあの気持ちは何だったのだろう。
 多分、この子はこれ以上のことを私に求めない。
 そういう事なのだ。
 性的なことではないのだ。
 何でそれを……理解してやれなかったのだろう。
「やっと会えたね」
 そう言うと、絢ははっと目を見開き、耳元で嗚咽した。

 現在ではLGBTQ+等という言葉が一般化してセクシュアリティの多様性が認められてきたが、その多様性にもさらにグラデーションがある。
 デミロマンティックと呼ばれる人達は、自分との絆の深い人物に恋愛感情を抱く傾向が強く、時に親友などに性的関係を求めることがある。
 一方でノンセクシャルという性的欲求を抱かない人達もおり、これらはずっと社会の中にいたはずなのだが、それがそういうことであると認識されては来なかった。
 組み合わせ的なものもあり、そういう人の気持ちを理解していくことは難しかった。
 それに気がつき、理解してやれたのは当時としては、やはり対象となった「親友」だけだったはずである。

 「ミレイユ」は、翌朝には青森県西方の日本海上にあり、黒石市では最大瞬間風速六十二メートルを記録した。停電域をさらに広め、収穫前のりんご畑に壊滅的な落果被害をもたらした。
 故に俗称「りんご台風」として、後世に記憶されることになる。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?