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「ミレイユの右へ」44

第四十四回 旅行



 週明け、旅行当日の朝、絢のアパートの前に各自で集合した。
 早紀と二人で一泊分の荷物を持って歩いて行くと、既にあのステーションワゴンが待機しており、真史が運転席で道路マップを睨みながら缶コーヒーを啜っていた。
「おはようございます」
 早紀が車の外観を物珍しげに歩き回り、回り込んで真史に挨拶した。
「しかし、でっかい外車。でも右ハンドルなんだね」
「このサイズだと、こうじゃないといろいろ不便なんですよ」
 中古なので、たまたまそういう仕様だったのだが、それも心惹かれた一因だったのだそうだ。
「後ろ開けますから、荷物積んでください」
 跳ね上げ式のバックドアを開けると、だだっ広い荷物スペースがあった。真史のものらしい黒いバッグだけ、ちょこんと置いてあったが、何というか炬燵を置いてそのままお茶を飲めそうなくらい広い。
「中で寝れるね」
「後ろの座席を倒したら、余裕で寝れますね」
 きっと、車中泊の旅行も想定しているんだろうな、と久埜は思った。
 アパートのドアが開いて、絢と絹子さんが顔を出した。手を振ってにっこりし、階段を降りてくる。
「今日は、よろしくお願いします」
 絹子さんが真史に頭を下げて挨拶し、荷物を積んで各自が座席に着いた。
 運転席の隣に絹子さんが乗り、後部座席は絢を真ん中にして、運転席の後ろ側に久埜が座った。
「忘れ物はないですか? では出発します」

 北九州からだと九州自動車道を使う手もあったが、日田市までの大分道がまだ開通していなかった。
 なので国道211号線を使ってほぼ真っ直ぐ南下し、日田を経由して212号から黒川温泉を目指すとのこと。
 ただし、真っ直ぐとはいっても下道なので右折左折が結構あり、
「間違えたら、ご勘弁を」とのことだった。
 絹子さんが道路マップを広げて、
「ナビしますよ」と、面白そうに言った。
「自動車の旅行って、久しぶりだけど、このハラハラ感がいいのかもしれませんね」
「とんでもない場所に着いたりして」
「一泊くらい増えたって大丈夫なんじゃ」
「まあ、夕方までに着けばいいよ」
 後部座席の三人は呑気なものである。
 いつかの狭苦しいベンチに座ったときのような密着感がある。車内は適温で、三人で身を寄せ合って話し込んだ。
 疑問に思ったこともなかったのだが、すぐ隣に絢がいるというのは絶大な安心感があった。
「そういえば四月から『ドラゴンボール』が『ドラゴンボールZ』になるらしい」
 と、最近では少年漫画に詳しくなってきた早紀がアニメの話題を振った。
「いや、終わるんじゃないの? また始まる?」
「噂では路線変更らしい。よりハードな感じ?」
「まあ、あの絵柄は好きなんだけどね」
「噂って、彼氏からの情報じゃないの?」絢がにんまりして言った。
「そそそ、そんなんじゃないから。……そう言えば、サンデー系も『パトレイバー』のOVAが、また出るよ」
 しれっと答える感じで、全然本気の否定ではない。
 どうも他所の学校の生徒らしい、その謎の彼氏を一度見てみたいものだったが、まあ誰しもプライベートに秘めたいことはあるだろう。
 それは尊重しないといけないな、と思った。
 そうこうするうちに、車は郊外へ出て、道も空いてきた。
「音楽でもかけましょうか」
 幾分余裕の出てきた真史が、挿入口から頭の出ていた入れっぱなしのカセットを押し込んだ。
 すぐに、曲のイントロが流れた。
「あ……」
「あ……」
 それは預けっぱなしになっていた「二人だけのセレモニー」だった。
「絢の好きだった曲だな」早紀が言った。
「今でも好きなんだけどな」と、絢。
「私も好き」と、久埜。
「そう? 嬉しい」
 何度も何度も聞いて、もはや好き以上の何かになっていたのだが、うまく言い表せない。
 妙にしんみりした空気が流れたが、曲が終わって別のシティポップに変わると、また誰かが話題を振って、お喋りに夢中になった。

 大型トラックが沢山駐車しているドラインブインで、トイレ休憩を取った。
 食堂と別棟でトイレが設置されている施設で、どんどん車が立ち寄ってくる。
 手を拭いて、傍にあった飲み物の自動販売機を物色していると絹子さんが横に立った。
「皆の分、買っておきましょうか」
「あー、大丈夫です。自分達で出します」
 早紀と真史を巻き込んだのは久埜だったので、二人とも嫌がったのだが取り敢えず今回の宿泊費は久埜が出すことになっていた。
 奇しくも、いつか絢の父親である源蔵から渡された金が、丁度それで帳尻良く消費されることになる。
 絢のために使うことになるので、早紀もそれで納得したのだった。
「絢なんですけどね……」
 絹子さんは、どこか言いにくそうに目を伏せた。
「夜にでも、久埜ちゃん、二人だけで会ってやってくれませんか?」
「え?」
「……ちょっと心苦しいことになるかもしれないんですけど。……お別れなので」
 確かに、ちゃんとお別れをしないといけないとは思った。
 だが、絹子さんの何かを含んだような奇妙な物言いが引っ掛かった。





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