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「ミレイユの右へ」16

第十六回 お礼



 家に帰ってみると、店から看板から全ての明かりが煌々と灯っていた。
「あ、バレてる……」
「親は勘が鋭いからな」源さんが面倒臭そうに言った。
 覚悟して正面から戻ると、富実と文太が仁王立ちに待ち構えており、その後ろで車座になっていた兄達が一斉に睨みつけてきた。
 それぞれが心当たりを探して奔走した後と思われ、申し訳なく思った。
「どこに行ってたんだい?」
「えーと、散歩」
 それは、嘘ではない。
「今夜じゃないといけなかったのかい?」
「……多分」
「……そうかい。断りを入れないで行ったのは、ちゃんと謝りなさい。みんな心配するだろ」
「ごめんなさい」
 久埜が頭を下げると、男共は皆が「やれやれ」等と愚痴りはしたものの、まるで段取りでもしてあったかのように、一斉にそれぞれの部屋に戻っていった。
「で」
 その場に残った富実が、店の外で様子を見ていた源さんの方に目をやった。
「何であんたがいるの。看板を見て来たのかい」
「お、俺は久埜ちゃんを送ってきただけだよ」
「……そうなの?」
「送ってもらった」
「ちょっと、待ってて」
 富実は台所の方へ行ったが、どこにあったのか見慣れないラベルの一升瓶を抱きかかえるようにして戻ってくると、カウンターに並んでいた角打ち用のコップに中身を注いだ。
「寒くなってきたから、飲んで行って下さい」
「純米吟醸冷やおろし……」
 源さんが喉を鳴らした。
 そして、それを手に取ると、旨そうに一気に飲み干した。
「美味しそうに飲むねえ」久埜がそう言うと、
「実際、旨いんだよ」
 二杯目が注がれる。香りを嗅いでみろと言われたので、そうしてみた。
「何だろう、何かフルーツのような、甘い香りだ」
「だろ?」
 後日、久埜がこの夜のことを思い出すと、この香りがセットになって脳裏に呼び起こされることになる。

 絢とは、結局学校で顔を合わすことになった。
 眉の辺りに白い絆創膏が貼ってあったが、腫れもなく経過は良いらしい。
「ごめんね。心配掛けて」
「いやもう、吃驚したねえ」
 何だか、上手に言葉に出来ずに笑いでごまかしてしまった。
 しかし、絢はいつもの「全て分かってますよ」という感じの表情で、
「お兄さん達にもお礼をしておかないと」と言う。
 絢の母が、それ用にお小遣いをくれたとのことで、何が良いかとその後相談になった。
「ビートルズのCDとか?」
「もう持っているかも」
 それに、晴彦もいるし……。
 久埜はぼんやりと考えていたが、
「みんなで何か食べに行くのはどうかな」と、ふいに思い付いた。
「いいね、それ」
 みんなで会食すれば、きっと、まだ何となく残っているもやもやしたものも晴れるのではないか。
 絢もそう思ったらしく、その案で詰めていくことになった。
「で、何が食べたい?」
 中華だと、早紀の店で思う存分食べられそうな気がするが、それは何だか今の気分ではない。
 何で、気分ではなかったのかということを考えて、久埜はこの間食べた割烹料理とかいうものが、随分みっしりと心を占めているのに気がついた。
 気づいた時点で、「それは料理のことか」と、つい自問自答してしまい、妙に自分だけでどぎまぎしてしまう。
「わ、和食なんて、どうかな?」
「和食? 小学生と中学生と高校生で、お座敷で、和食ぅ?」
「変ではないでしょ」
「……断言できないけど、変な気がする」
「そうかなあ」
「それに、お高いのでは?」
「そうかー」
 それがあったかと思う。それなら、源さんと相談だな、と思う。
 で、あるなら、その為にまたあの店を訪問しなければならない。
 これはもう、絢のための大事な使命でもあるのだから、断固としてやらなければいけないのだと、大義名分を手にした久埜は鼻息を荒くした。

 時々様子を見に来て良いかと訊いてオーケーを貰っていたものの、実際にはそうそう夜中に家を出て行くわけにはいかない。
 そのうち耕にでも頼んで同行してもらおうかと思っているうちに、既に十日ほどが過ぎてしまっていた。
 忙しい時間に行って迷惑を掛けてもいけないので、この間の夜と同じ頃に、ちょうど暇だという晴彦に頼んで同行してもらった。
 一度、店の入り口側を通り、様子を窺う。
 白壁の、シンプルな外観。
 『割烹・季節料理 かまのと』と、行灯型の看板にだけ店名があった。
「かまのと? かまとと?」
「違うぞ、それ。多分、釜の音(かまのと)だろう。まあ、入ったことは無いけれど、随分昔からあるぞここ」
 どうにも正面から入店する勇気が湧かなかったので、大回りしてまた裏通りへと向かった。



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