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「ミレイユの右へ」40

第四十回 進展



 三月になり、絢が転校するという噂が校内を駆け巡った。
 目立つ存在だったので、男子の間でも口の端に上り、やがて事実だと確認されるとまた一頻りその話題が続いた。
 特に動揺したのが卒業してしまう美術部の先輩の面々で、「安心して部を託せると思ったのに」と、嘆くこと頻りだった。
 残りの二年生は、久埜を筆頭とした「頼りない面々」だったわけだが、木村先生はそれなら毎年恒例の卒業生の感想だとして取り合わなかった。
 噂の中で必ず言及される耕であるが、卒業後は熊本県の私立へ進学することになると昨年の段階で決まっていた。
 高校野球の関係の人達が家に何度か訪れていたのは昨年の夏ぐらい。いつの間にか話が進んでいて、そこは野球の強豪校で全寮制だと久埜は本人から聞いた。
 そのあたりで、「一体、兄貴は絢のことをどう思っているんだろう」と久埜は思った。
 離ればなれになる前に、さすがにオクテの兄貴も勇気を振り絞り、ちょっとは情熱的な何かが起こるのではないかと期待したが、二人の間でその後特別変化があった様子は見られなかった。
 更に今度のことで、より一層物理的にも距離が開いてしまう。
 それでいいのだろうかと思っていたので、訊きにくかったが家で二人しかいないときに、話を切り出した。
「うーん、それなあ……」
「うん」
「卒業したら、もうほとんど会えないだろうねって話はちゃんとしたんだよ」
「へえ」
「その時にもう、たぶん自分も転校するかもしれないとは言っていた」
「……で?」
「でって?」
「いやいや、お別れの挨拶したからって、そこでお終いじゃないでしょ」
「うーん。でも発展もないような」
「えっ? 無いの?」
「無さそうなんだよな」
「他人事みたいに」
「そうなんだよ。自分のことなんだけど、あの子はいつも他人事みたいな……」
「何それ?」
「あの子は昔からそうだけど、何だか特別な感じがするよな」
「中身はそうでもない気もするけど」
「いや、俺はその中身がよく分からねえ」
 耕は座卓に座っていたが、そのまま仰向けに畳の上に寝転がった。
「す、す、いや、だから」
「何?」
 顔を反対側に向けて、
「好きだって言ったんだよ。大分前だけど」
「……あらまあ、それで?」
「ありがとう、って」
「うん、それで?」
「それだけなんだよな。自分からは言わないんだ。にこにこするだけで」
「えーっ?」
「でも、ゲームセンターとか誘ったらちゃんと来るんだ。普通に、デートっぽいんだぜ」
 耕は、がばりと起き、久埜に向き直った。
「な? よく分かんないだろ?」
 結局、はっきりとした拒絶も無く、だからといって進展というものも無かったらしい。
「そこは男の甲斐性でやや強引に」
「……中学生女子が、何てこと言うんだお前は。……その辺で、あの『特別感』が邪魔するんだよな。何というのか……俺には何も出来ないよ」

 耕の話を反芻してみたがよく分からない。物凄く意地悪な目で見ると、絢は耕の事なんか全く気にしていないようにも見えないことはない。
 でも、ずっといい雰囲気だったのに?
 ……あれがカップルじゃなかったら一体?
 久埜は、大慶商事のあの厨房へ向かって歩いていた。ドラゴンフルーツが入荷したので、試食しないかという菜乃佳さんからの誘いだった。
 世間ではキウイフルーツがようやく一般的になった感じで、多くのトロピカルフルーツにはまだ馴染みが薄かった。
 久埜は本の写真でしか見たことがなかったので、喜び勇んで誘いを受けたのだった。
 早紀にも電話して一緒に行こうと連絡し、現地集合ということになっていた。
 耕の話のモヤモヤを引き摺ったまま、あの路地に入ると、早紀が先に来て待っているのが見えた。
 ……が、誰かコートを着た男性が一緒に立っている。
「あっ?」
「お久しぶりです」
 真史だった。
「ばったり会った。『かまのと』から帰るところだったから、あたしが先に来なかったら、見事にすれ違い」と、早紀。
 最近は、手紙のやり取りくらいで、顔を合わせるのは本当に久しぶりだった。
 少し背が伸びて、蒼白い感じが抜けている。随分、大人っぽくなった、と思った。
 そう言えば、専門学校は二年コースなので、真史も卒業なのである。
「何でも、随分ペティナイフの腕を上げたとか」
 早紀から聞いたのだろうが、相変わらずの話題の切り出し方だった。それがおかしくて久埜は笑った。
「卒業して『かまのと』に就職するんですか?」
「いえ、お世話になっていたので、卒業の報告とご挨拶です。就職先は、まだ考え中」
「近況、変わりないですか?」
「車の免許取りましたよ。自分の車はまだ無いですけどね」
「就職してからだね」
 大慶商事のドアが開いて、菜乃佳さんが顔を出した。
「話し声がしたので。中へどうぞいらっしゃい」
 早紀と久埜は、目配せすると真史の背中を押した。
「えっ? 僕も?」




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