我々は数百円の送料を節約するために大して欲しくもない商品を探すことで大切なものを失い続ける

通販で欲しい商品をポチって、「やっと届いた~!」と歓喜した直後。その喜びから1日も経過せず、買うべきだったものがあることに気付いた。

だって、この前いろいろ見繕って買ったばかり。送料は無料だった。しかしその通販サイトには、通販手数料というものがあった。一定の購入額にならなければ商品代金とは別に通販手数料が取られる。まあ手数料とはいっても、200円程度だ。今日届いた通販はその一定額に届かず200円の手数料を払ったわけだが、欲しい商品だったし納得したわけだ。

しかし、昨日の今日で、また手数料を払いつつ通販を利用することに、若干の抵抗感はぬぐえない。この際、「通販無料はデフレの悪い文化」とか、そういう経済的な面は考えない。私の財布から商品代金とは関係のない400円が消える、それは問題である。

じゃあ、欲しいものを再び見繕えばいいんだ。通販サイトを見ながら、欲しいものはないか探す。あと500円ほど買えば手数料200円を払わなくて済む。それは実質、500円の商品を300円で購入できるといっても差し支えない。血眼になって探すが、ないものはない。だってつい1週間前、欲しいものを選んだばかりなんだから。


私はこの数百円のために、時間を浪費してる。惰性で続けるソシャゲは義務感に変わり、楽しさなんてものは薄まってしまった。

娯楽なんてたくさんある現代。私たちは時間を無駄遣いしていないか? 数百円の過払いなど目を閉じて、私は読みかけている小説や漫画を読むべきではないのか? 創作活動に時間を割くべきではないか?

数百円のために消えていく私の人生の残り時間に想いを馳せた、そんな祝日。

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