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【丸い世界】

最近思うところがあるけどはっきり言葉にすることができないから、整理しながら文字にしてみた。まず初めに、
どっちが良いのか悪いのかという話ではなくこの世界両極端だよねって話。

例えば哲学の世界では常に調和と転生が繰り返し起きている。
"ひねくれた価値観"でもお互い話し合ってこの世界よくしてこうぜっていう優しさがあるし、罵倒し合っても傷つけあっても最後はごめんなさいで修復できる。
素直に理解できたり出来なかったりもあるけど、そういう考え方もあるよねって気づきや学びがある。
つまり、、勝ち負けでも善悪でもなく調和しながら相互に良い世界へと転生していける世界。

一方で、論理の世界で言うとモノクロな世界って感じかな。
論理的証拠があるのかないのか。落とし所が見当たらなければどちらかが倒れるまでとことん殴る(物理的にでなくとも)。勝者はこれが全であるかのように型にはめ、大衆を導く。
いや、いいんだよ。そういう世界も必要なのは分かるから。例えば世界的に米がないのに野菜作ってる人がいたら『コメ作れ!!』ってなるのが常識だものね。

じゃあ、
その世界を分断して国境さえ作ってしまえば混乱は生じなくなるのか?

現代人は調和する事ができないのか?

紛争なんて馬鹿馬鹿し〜って笑かす事もできないのか?

押し付け合いではなく助け合いではいけないのか!
足りないなら、今は米作ってくれない?って言っちゃダメなのか!
醜いことやめて俺を見ろーって馬鹿みたいにふざけたやつを叩いていいのか!

抽象的でまだまだまとまらないけど、日の丸を掲げた先代の日本人達は何を想い先に逝ったのか。   慈しみとは?


この、相反して交わることが許されない二つの世界線は今も昔も並行している。どちらも時と場合により善と悪とになり得るからだ。そして、この考え方は善悪に関わらず常に選択を委ねてくる。生きてる限りずっとだ。

例えば子供がプールで溺れているとして、外野の連中はこんな論調を始めだす。
哲学的世界線の優しい住人達
a『おっとこれはいけない。命が危ういかもしれんぞ。まずは心境を伺おう』
住人b『まず彼には学びと経験が必要だ。経験からでしか教訓は得られんからな。放っておいてやろう』
住人c『それよりそもそも生還したとて彼が自信を取り戻し、前へ進める環境であるのかという問題から話し合わなくてはな』
住人a『だから、まず傾聴をして助け舟が必要であるのかどうかを確かめなくては』
住人b『まてまて、彼には彼なりの考えがきっとあるのだ。だから彼のためにも経験させてあげようと言っている』
住人c『彼がこちらを見ている。やはり我々の考えは押し付けではなかろうか。論理的世界線の住人達にも意見を聞こう』

論理的世界線の住人『それってあなた方の感想ですよね。助けたいのですか助けたくないのですか』
哲学的世界線の住人『助けが必要なのかどうかはまだわかっていない』
論理的世界線の住人『それではまず話ができないではないか。助けたら何か良いことがあるのか』
哲学的世界線の住人『論理的思考ではなく調和した解決案をと思い持ちかけた』
論理的世界線の住人『あなた方のまとまりのなさからみても話の筋が見えないが、個人的な意見はどうだ』
哲学的世界線の住人『やはり賛否あるのが当然で、一つにまとめるには時間が必要だと。時に御前さんの世界ではこのような時どうまとめるのだ』
論理的世界線の住人『納得できるか出来ないかではなく白黒つくまでとことん争うだろう。この世界では勝ったやつが正義なのさ』
哲学で世界線の住人『そうか、また会おう』

そうこうしている間に少年は溺れ死んだ。

おかしいと思いですか?けどこな話は我々人類の歴史が始まって以来、何百年も続いているんですよね。

プール=社会
と解釈すれば、
溺れる=社会に埋もれて息が詰まる様子
泳ぎ方=生きるすべ
になる

貴方は周りに右往左往されず、物事の本質を捉えて真ん中の目で素早い判断ができていますか。私にはまだまだ難しい問題だなぁと、、、

生きるのって難しいですねぇー
ワクワクしちゃう(゚∀゚)


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