見出し画像

生き残る街マラッカ

マラッカ③

二つの顔を持つ街

マラッカは首都クアラルンプールからバスで2時間ほどの距離にある。
ちなみに、列車は通っていないというか、現実的ではない。
最寄りの「バタン・ムラカ」駅はマラッカ中心部まで車で1時間ほどの距離にあるからだ。
そういう意味では、マレー半島を列車で縦断するという私の計画はここで早くも破綻したわけだ。

さて、何が言いたかったかというと、クアラルンプールから見れば、マラッカという街は、絶好の週末のお出かけ先だということだ。
だからかわからないが、マラッカは平日と週末では大きく顔が異なる。

ジョンカーストリートの休日

マラッカの華人街のメインストリートはジョンカーストリートと呼ばれる。
これは正式名称ではない。
表示を見ても、地図を見ても、「ハン・ジュバッ通り」と書かれているだけだ。
ジョンカーというのは、中国系の言葉で「鶏場」を意味するらしく、古くから市場があったことを思わせる。

ジョンカーストリートはあくまで綽名

平日週末問わず、昼間は賑わっているが、平日の夜は店が閉まるのも早く、寂しい感もある。

だが週末は違う。
ジョンカーストリートとその周辺の路地を巻き込んで、巨大なナイトマーケットができるのだ。

ジョンカーストリートのナイトマーケット

骨董屋から、なぜか日中韓台東アジア諸国料理の屋台、福建麺やラクサなどマレーシア料理の屋台、色とりどりの飲み物や果物の屋台までがずらっと一堂に会する。
食べ物の香り、観光客の声、店の光…賑やかな空間を歩いていると、何も買うつもりがなくても、心ときめいてくる。

華人街の賑わいに呼応してか、対岸のオランダ広場のあたりも歩行者天国となり、音楽の生演奏に屋台に浮き足立っている。
オランダ広場周辺は平日も騒がしいけれど、週末はより賑やかになる。
マラッカは週末に祝祭都市となる。

金曜の夜、私はどこで食べるのがいいか、ナイトマーケットをそぞろ歩いた。
まだ金曜だというのに、週末ということでマラッカは大賑わいだ。
イスラーム圏では金曜日が休みだからか、と当時は納得したのだが、どうやらそれは誤解で、少なくともマレーシアは金曜日は平日らしい。

マーケットの一角にホーカーセンターがあった。
屋台の集まる野生のフードコートである。
私はさばさばした感じの女性が調理しているニョニャラクサの店を選んだ。
シンガポールからマレーシアまで見られるラクサという料理だが、ニョニャラクサはマラッカ独特のものらしい。

真っ赤な汁に、小麦の麺、貝の塩辛と卵がトッピングされたニョニャラクサは見るからにうまそうだ。
一口啜ると、シンガポールのラクサとの違いが浮き彫りになる。
スパイスが効いているのだ。辛味も強く、香りも高い。
またいずれ書こうと思うが、シンガポールの方がスパイスに対して慎重な感じがある。

ニョニャラクサ

暑い室外で汗が噴き出るのは、なんとなく爽快感がある。
一気に麺を啜り、他の店の人と談笑する店主に「トゥリムカセー(ありがとう)」と伝えて、ナイトマーケットの雑踏に再び踏み出した。

ニョニャ・ババ、プラナカン

ところで、ニョニャというのは、マレーシアやシンガポール独特の概念で、ある特定の民族集団を指す。
正確にはニョニャ・ババ、あるいはプラナカンとも呼ばれる彼らは、早くから交易でマレー半島にやって来た華僑と現地のマレー人女性の末裔である。
一般的な華人がチャイナタウンを形成し、比較的中国的な文化を守って、自分のルーツが中国にあることを意識しているのに対し、彼らはプラナカンであることをアイデンティティとしているという。
交易の申し子ともいえる彼らの拠点はシンガポール、マラッカ、ペナン島であり、特に古くから国際港だったマラッカはそのいわば源流とも言えるだろう。

ちなみにニョニャはプラナカンの女性、ババはプラナカンの男性を意味する。
語源については諸説あるらしいが、あえて日本語に訳すなら「奥様」「旦那様」といえる。
この訳し方からも分かる通り、彼らは交易相手であり植民地宗主国でもあった西欧諸国と良好な関係を気づいたことで裕福な存在だった。

プラナカン御殿にて

そのことがよく分かるのが、ニョニャ・ババ・ヘリテージと呼ばれる博物館である。
これは、実際にニョニャ・ババが住んでいた建物を博物館化したものだ。
建物の外観は、一見他の建物と変わらない(もちろん間口は広めではあるが)。
だが、その内部に一歩踏み入れてみると、ごてごてとした豪奢さに驚かされる。

ニョニャ・ババの屋敷

テーブルや椅子、タンスなどの調度品から、扉、階段、欄間などの家の内装にいたるまで、黒っぽい色の木材で統一して仕立て上げられている。
これらのインテリアには細かな彫刻や金の模様が描き込まれている。
壁には巨大な中国風の絵が何枚か、あるいは、先祖の姿を写した写真がまるで国家元首のように掲げられ、それを縁取る額縁や、仏壇に至るまで、細かな装飾で溢れる。
それらの装飾は基本的には中華風なのだが、時にそこに、西洋的な人形や天使像などが置かれていたりする。
そこは「作られた」宮殿であり、ニョニャ・ババはこの地では確かに君主なのである。

先祖を祀る祭壇は華人的な部分

ニョニャラクサはつまり、ニョニャ風ラクサである。
辛味の強さも、香辛料の交易がここで行われていて、彼らが交易の担い手であることを示している。
とはいえ、あの屋台料理が本当に、あの、屋敷に住むニョニャ・ババという人たちの料理なのだろうか。
なんとなくイメージの乖離があり、私は少々奮発して、ニョニャ料理を食べてみようという気になった。

鶏肉の味噌和え

ジョンカーストリートにニョニャ料理を食わせる店があった。
少々高そうだが、仕方ない。
店に入ると、おばあさんに案内された。

「日本人ですか…?」とおばあさんは私に恐る恐る尋ねてきた。そうです、と答えると、
「ニョニャ料理、食べたいですか?」と聞く。
はい、と答えて、色々説明を聞きながら、私はニョニャ風の鶏肉の味噌和えとパンを頼んだ。
決め手は、マラッカに来てからよく見かけた、ココナッツ製の砂糖「グラ・ムラカ」を使っているということだった。
道中で食べようにも大きいサイズしかなく、買うのを断念していたからだ。

鶏肉の料理は、辛味はほとんどなく、誤解を恐れずに言えば、ちょっと高級な生姜焼きのような味である。
真っ白いパンにのせると、ソースがいい感じに染み込んでなかなかうまい。
正直、確かにマレーでも中華でもインドでもない味がする。

現代社会のサバイバー

食べ終わって、そろそろ出ようかという時、なんとなくおばあさんと会話が始まった。

「Spring, Summer, Autumn, Winterは日本語でどういうんだったかしら」
「はる、なつ、あき、ふゆ、ですね」
「そうだった、こうやって日本のお客さんから習ってるのよ。日本人はいいわ。みな礼儀正しくて。中国とシンガポールの人たちは、私たちマレーシア華人と自分たちを同じと思い込んだり、騙そうとしたりしてくるの」
「でも、昔は…」私は、マレーシアや、あるいは台湾などでこういう話になるたびに引っ掛かってきたことを口にしてみることにした。
「昔は、我々日本人はあなた方に酷いことをしました。戦争中のことは、我々はいまだ集団的な罪だと感じています」
「戦争だもの。お互いに殺し合うのは仕方がないことよ」おばあさんは言った。

自分で言い出した話だが、どう続けたら良いかわからなくなり、私はお婆さんの出自のことを聞いた。ひょっとして彼女もニョニャなのではないかとおもったのだ。
「家では何語で話されるんですか?」
「複雑よ。私は息子には英語で話すわ。でも父母とは広東語。だけど、父は客家の出だから、客家語を話すの。でも私にはさっぱりわからない」マレーシア華人の家庭内言語はかくも複雑なのか。なんとなく感心してしまう。

「あなたは旅行者?それとも学生さん?」
「旅行者です。シンガポールからジョホールバルを通ってきました。これからクアラルンプールに行きます」
「そうなのね。マレーシアはどう?」
「マレーシアはいつでも人が優しいし、オープンで、助けられてばかりです」
「いつでもってわけじゃないけど…」おばあさんは何かを言い淀んだ。

おばあさんは英字新聞を読んでいた。それを通じて私も大山のぶ代の死を知ったのだが、それはまた別の話である。
おばあさんは読みながら、私に新聞の話をしてくれた。熱心ですね、というと、
「Lazyは日本語でなんていうの?」と聞くので、
「怠け者、です」と言うと、
「私は「怠け者」よ」と言った。「他に誰がニュースを教えてくれると言うの」

おばあさんの話を聞くと、彼女はどうやらスマートフォンやパソコンの類を使わないらしい。
「人は時にネットの奴隷になるのよ」
だから、こうして、人から話を聞いたり、新聞を読んだりする。
その話を聞いて、私はなんだか感動してしまった。彼女は現代社会という、ネット至上主義の世界におけるサバイバーなのだ。
時代遅れと言われるかもしれないが、なんだかその気概に感銘を受けた。

マラッカの古いモスク

マラッカは古いものが残る街だ。
それはモスクの形となっても現れる。

マレーシアのモスクは、基本的には「玉ねぎ頭」である。
これはおそらく、英国統治時代に入ってきたインドの様式の影響のほか、アラブ風を再現しようとしているためだと思われる。
だが、この様式が本当にマレー固有のモスクかというと違う。

マラッカを歩いていると、四角錐の大きな屋根のモスクを見かける。
これは他の街ではあまり見ないのだが、マレー固有のモスクの形式で、もともとはマレーの家屋建築だったらしい。
ここは古いものが生き残る街なのだ。

試しに中に入ってみると、装飾部分に中国の様式や、あるいは西洋の様式が取り入れられている。
祈りの時間を告げる「ミナレット」という塔は、中国やベトナムで目にするような、仏塔の形を模している。
モスクの形をとったプラナカンというか、マレーシアの地がいかに「十字路」、あるいは「交差点」なのかがよく見てとれる。

内部の噴水
左が仏塔風のミナレット

***

マラッカは一泊のつもりが二泊いることになった。
それだけ見るものが多い街だった。

ハノイに別れを告げ、32日間5カ国を陸路で回る旅が終わった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?