マラッカの夕陽はとてつもなく大きいらしい
マラッカ①
マラッカに着いたのは16時半を回った頃だった。
事前に得た情報で、「ドメスティックバス」を使えばバスターミナルから市内まで2リンギッ(80円ほど)で移動できると知っていたので、とにかく表示を探した。
ドメスティックというと、国内線のような響きだが、この場合はマラッカ市内バスを指す。
目が合ったバスの運転手に、宿が近い「オランダ広場」に行くか?と聞くと、隣のバスだという。
おかげさまで、正しいバスに乗り込み、市内へと向かうことができた。
ことマレーシアでは、バスの行き先はとにかく止めて聞くことが肝要だ。
キャッチ・バス・イフユーキャン
実は、マラッカまでの道中、バスに関わるアクシデントが起きた。
私はジョホールバルからの高速バスを事前に取っていた。
あとは正しい時間にバスターミナルへ向かえばいいだけだ。
だがバスターミナルはラルキンという少し離れたところにあり、私の泊まっていた地区からは市内バスに乗らないといけない。
だが、市内バスのバス停なるものはなく、当然時刻表もない。
バスを見つけたらとにかく体で停めないといけないのだ。
朝食を済ませ、バスが通っていそうな通りに立ち続けて1時間。
待てど暮らせど、フロントの青年に教わった番号のバスが来ない。
ひょっとすると1時間に一本程度しか来ないバスで、ちょうど行ってしまったあとだったのかもしれない。
もう少し待つか、と思っていた矢先、小雨だった雨が豪雨に変わった。
私は宿に避難した。
結果として、私は予約していたバスに乗り遅れてしまった。
フロントの青年はタクシーを呼ぼうかと言ってくれたが、雨で高い上に間に合いそうもない。
結局のところ、晴れてからバスをどうにかこうにか捕まえ、バスターミナルでチケットを買い直すことでことなきを得たが、1500円ほどドブに捨ててしまったわけだ。
だが、この経験はむしろ、大切な教えになった。
それは、事前に準備し、バスが何時ごろに来るのかを調べておく、などといったことではない。
むしろ、事前に準備しない方がいい、その方が心にゆとりを持つことができるということだ。
大抵のバスターミナルにはチケットカウンターがあるし、着いてからでも遅くはない。
市内バスを待ちながらカリカリするより、なんとでもなるんだという気持ちでいられた方が私には合っているようだ。
バスチケットをドブに捨てることを心に決め、雨も止んだ。
落ち着いてみると、意外とバスの本数は多い。
フロントの人に言われた通り、ガソリンスタンドの隣で待っていると、狙いのバスが来た。
「ク・ラルキン?(ラルキン行き?)」バスに手を振って止め、運転手に聞くと、うなづいている。
やればできるもんだ。
マラッカへ!
バスターミナルの安食堂で食事を済ませ、チケットを買った。
14時発で、16時半ごろにマラッカに着く予定らしい。
バスは椰子の木のプランテーションのど真ん中を突き抜けていく。
どこもかしこも椰子の木で、他の種類の木は全く見えない。
どうも、マレーシアは椰子を原料とするパーム油の輸出産業に頼っているらしく、これも人工的に植えられたもののようだ。
手探り
マラッカの中心部にあたるオランダ広場に着いたとき、私は一つのミスをしていたことを思い出した。
ホテルを予約したが、その場所をきちんと把握していなかったのだ。
というのも、私は旅先でネット環境に繋がることができる状況が煩わしく、意図的にSIMカードの類を持っていない。
こういう時に、地図を使えないのは困る。
なんとなく把握していた場所と、予約確認に書かれていた住所を頼りに探すしかない。
だが、書かれていた住所にはカフェしかない。
カフェの店員に聞いてみると、「そこなら、向こう側のセブンイレブンの隣だよ」と教えてくれた。
この国では優しさに救われる。
思えば、日本にいるときは、さまざまなシステムに頼り切って生きている。
位置情報に、バスの予約、乗る予定のバスがどこにいるのか…そういった不安材料をシステムに依存することで解消している。
だが、こうして一度全てを白紙に戻すと、人に聞いたり、勘を働かせたりするほかなくなるわけだ。
このような旅をすることは、自分が自国で弱らせてきた生きる力を取り戻すことなのかもしれない。
マラッカの夕陽はとてつもなく大きいらしい
私は急いでチェックインを済ませ、すぐに宿を出た。
理由は、夕陽を見るためだった。
これもまたミーハーな動機によるものである。
作家の沢木耕太郎が『深夜特急』の中で、マラッカの夕陽について言及していたのだ。
沢木が大学かどこかで聞いた話として、マラッカの夕陽はとてつもなく大きい、という話が出てくる。
沢木がマラッカに行った際は、曇っていて最後まで見られなかったが、夕陽は確かに大きく、灼熱の玉のようだった、と。
実際のところどうなのか。見てみたかった。
宿を飛び出したがいいが、どこで夕陽を見ればいいのか見当もつかない。
ひとまず賑やかな街を抜け、私は海の方へと向かった。
歩いていくうち、ぐんぐんと太陽は傾き、空は赤くなってゆく。
雲が多い日ではあるが、切間に太陽が見える。
海岸には巨大な敷地があるのだが、工事中なのか、周知なのか、大きな板が張り巡らされている。
せっかくのマラッカ海峡が台無しであるが、観光客ごときがやいのやいのというべきことでもない。
優しさゆえか、杜撰さゆえか、板と板の隙間にそれなりに大きな空間があるので、覗けばいいだけの話だ。
平安貴族よろしく「垣間見」ると、そこには確かに立派で巨大な太陽があった。
海面近くに雲の層があり、おそらく最後までは見届けられないだろう。
それでも、空を赤く染め、雲に隠れて行こうとする夕陽は、確かに美しかった。
サンセットディナー400円
せっかくなのでゆっくりと眺めたかったが、大きな道路に面していて、そのような場所もありそうにない。
ところが周囲を見渡すと、道路沿いに何軒か屋台が立っているではないか。
どうやら、道路を走る途中に食べ物を買う人が多いらしい。
屋台の横に、稀に、「イートイン」できる空間を作っている店もある。
私は、ナシレマッというマレー料理を出す屋台を見つけたので、そこで「サンセットディナー」とすることにした。
ナシレマッとはココナッツミルクで炊いた米のことを言う。
当然それだけをいただくわけではなく、ビュッフェスタイルで、店先に並んだ惣菜を乗せてもらう。
私は鶏肉のトマトソテーのようなものと、煮干しのようなものをセレクトした。
肉はほろほろで、煮干しの味もしっかりしていてうまい。
ココナッツミルクで炊いた米は、油分で重たいかと思いきや、そこまででもなく、香りがむしろアクセントになる。
全て合わせて9リンギッ。日本円だと400円足らず。
しかも目の前には美し夕陽ときている。
「どこからきたの?」と店主のおばさんが言う。
「日本だよ」と言うと、
「日本食は寿司と…」とおばさんが言うと、すかさず、夫らしき調理担当のおじさんが、
「たこ焼きもだろ!」と言う。大阪人なのだろうか。
「ラーメンは知ってる?あれって韓国のものだったかしら」とおばさん。
「いや、ラーメンは日本で、韓国は…冷麺とかかな」と答えると、手元にあったインスタント麺を見せてくれた。
「これは、マレーシアのやつだから、偽物ね」
笑い合いながら、店を出た。
マラッカの夕陽は、見にきて損はなかった。
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