小説家になりたい?
いつも彼女のTweetを不思議な気分で読んでいた。同世代の彼女は小説家になりたいらしい。
一言で言えば「理解できない」。
なるだけなら貴方もうなってるよね。電子書籍を出して担当ついて連載した事もあるなら立派に小説家じゃないか。
「紙媒体でデビューできなかった」
「アイツがいなければ」
どうしてそんなに紙にこだわるんだろう。その人が居たから本当に貴方は本を出せなかったのか、と。
本当に小説家を目指しているなら、己にとって耳心地の良いTweetを探してRTする時間を、創作のネタ探しに使えばいい。インプットは大切なことだ。でも、おそらく貴方のTLにはインプットすべきことは存在していない。
そもそも、対価を得ている時点で貴方は立派な小説家ではないか。
私には小説家という仕事に憧れがない。
行き着く先の果てに在る仕事だからと認識しているからだ。
ほかの何ものにも成れなかった人間がたどり着く仕事だと。
昔、学生時代の先輩の絡みでゲームの物書き仕事を手伝ったことがある。
期間にして三年半ほど。決して長い時間では無かったが、後に色々考えさせられた数年だった。
たとえ僅かな見返りであっても、〆切を守り納付する責任が発生する。そして好きなことを好き勝手書いて良いわけではない。
最初は難なくこなしていたが、自分が担当する顧客の数が増えていくうちに書くことそのものが苦痛になってきた。全ての要望に応えられるわけもなく、何処かで切り捨てる部分が出てくる。
私は心を鬼にして淡々と書いていく。それでも精神に限界が来て、ある時胃液を吐いた。
「ああ、ダメだな。自分には物書きとか小説家って仕事絶対向いてないや」
契約はその年で終了したものの、結局次の年逃げ出したライターの尻拭いで三ヶ月ほど手伝う事になった。その頃にはかなり落ち着きを取り戻して、粛々とノルマをこなすことができた。
それ以来、金を貰って文章を書くことを一切辞めた。
自由気ままに書きたいときに書く。内容もきまま、あくまで趣味の範囲。
幸いWebという発表の場が生まれて、読んでもらうだけならいくらでも可能になった。私が今書いているこのnoteという場に至っては、コーヒー代をいただいて読んでもらうことも可能だ。本当に便利な場所だ。
紙を否定するつもりはない。
読みやすさで言えば今でも断然紙の方が楽だ。電子書籍のしおり機能も、物理のそれをいまだに超えていない。
ただ、どちらが上とかいう話でも無いと思う。
「紙の本を買いなよ。電子書籍は味気ない」
脳内の槙島聖護が時々囁く。
いやまあ、否定はしない。ただ単純に紙媒体を増やすと家が埋まるんですよ!
本音を言うと「小説家」と言う仕事には憧れはある。ただそれは、憧れの中の偶像の「小説家」であって職業としてのそれではない。
ワナビーが思い描く理想の「小説家」なんてこの世の中に存在しないことを知ってしまった。
だから「小説家になりたい?」と問われれば、私は「否」と微笑んで答えるだろう。
何やらサポートをすると私の体重が増える仕組みになっているようです