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サマージャンボを買うしかない

北海道の実家や親戚に電話をすると、必ずと言って良いほど「次はいつ帰ってくるの」と言われてしまいます。
その度にしばらくは無理だと伝えるけど、忘れた頃にまた尋ねてくる。これが正直なところ鬱陶しいことこの上ない。

そりゃ帰れるものなら帰りますよ。毎年と言わず大きなお休みごとに、何度でも。
でもね、先立つものがない。
いくらLCCの台頭で飛行機代が安くなったとはいえ、繁忙期の賃金は目も当てられない惨状なのは変わっていない。閑散期の二倍は余裕でいくんです。
一般市民がそんなにホイホイと大金出せるわけないじゃないですか。
そんなに帰ってきてほしいなら貴方がたがお金出してくださいよー! となる訳で。

親との絶望的な差を感じるのは、この辺の金銭感覚です。
父の給料は初任給こそ安いものでしたが、バブル景気の恩恵を受けてガンガンと上がっていきました。まさに団塊世代。
ところが私ども団塊ジュニアは就職活動中から氷河期で、仕事にありつけただけでもラッキー。給料の金額は全然上がりゃしない。
昔年収300万時代云々の本を出した方が、予想を超えた惨状に驚いてますからね。酷い話ですほんと。

その上、団塊世代の方々はその上の世代から遺産をがっつり貰ってる方多いです。その下の世代にはおこぼれ無いでしょう。
実母に至っては六十過ぎてお姉さんからお小遣い貰ってました。Jesus! これだからお嬢様育ちは嫌なんだ!

と、ここまで書いて少し反省するところも有るんですよ。演劇鑑賞に使ってるお金を回せば行けるよね、と。

私にとって演劇や芸術に触れることは心の栄養を摂取する行為。無かったら心が死にます。
心が死ねば肉体も衰えていきます。
本当はもっともっと観たいのを、今だって我慢してますから。

それと両親には申し訳ないけど、やっぱり家人との時間を大切にしたい。
人生の折り返し地点過ぎてからの同居生活は、同世代に比べるとスタートが遅いものでした。残されている時間もその分少ない訳です。
だからこそ、何気ない散策やお出かけを大切にしたい。
関西は歴史が長い分見る所が多すぎる。とてもじゃないけど生きている間に見たい場所を回りきれる自信がない。

待てよ、いくら関西と言ってもやっぱり旅にはお金が必要じゃない!
もうこうなったらサマージャンボでも買うしかないか。そのお金が勿体ないんだけどね。

空からお金が降ってこないかなぁ。

何やらサポートをすると私の体重が増える仕組みになっているようです