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母の日が嫌いになった日

スーパーマーケットの入り口に、母の日用のカーネーションが並べられていた。
赤やピンクの花々を素通りして、私はいつも通りに買い物を始める。

この時期になると、カーネーションの花を見るたびにどうしても胸がざわつく。
胸に刺さったトゲが抜けるのは何時になるのだろう。

私は就職してから、毎年母にカーネーションを贈っていた。

しばらくして鉢植えでは面倒だと言われて、花束やプリザードフラワーにしてみたり、他のものを贈るようになった。
更に時を経て、彼女に対する自分の中で鬱積していた感情に正直に生きようと決め、贈ることそのものを止めた。

明らかに喜ばれていないと分かっているのに、贈るのも馬鹿馬鹿しい。
それでも二年ほど前に彼女から投げつけられた言葉は、あまりにも衝撃的だった。

「おかあさん、カーネーションあまり好きじゃないのよね」

言葉を失うというのはこういうことなのか、と。
私は何のために毎年カーネーションを贈っていたのだろう。もっと早くその言葉を告げられていたら、貴女の望みもしない花を贈ることは無かった。
貴女は気づいているのだろうか。
送り主に対して、「送られて迷惑だった」と言っているに等しいことに。
だったら、最初から贈り物などしなければよかった!

私がこの先、彼女に個人的に何かを贈ることはないだろう。「家族」宛に贈ることはあるだろうが、腹の底で何を考えているかわからない人間に贈るものなどない。

このやり取りから一年ほどして、私と母は長年鬱積したものをぶつけ合い互いに泣くことになる。それ以来彼女に対して特別な感情を持たなくなり、怒りの気持ちも無くなった。
それよりも自分自身の心の安寧が大切だから。

それでも、この時期になると心がざわつくのだ。
母の日よ、早く過ぎ去ってくれ。

何やらサポートをすると私の体重が増える仕組みになっているようです