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北軽井沢 4つの夏の小景


稜線のその先に。

 7月半ば。いつもは静かな高原の農村が「リゾート」と呼ばれる、短い夏がやってきた。

 ひとけのなかった別荘地に灯りがともり、普段は軽トラックがのんびりと行き交う国道に、県外ナンバーの車が目立ち始める。待ち兼ねたようにレストランやホテル、商店が活気を取り戻し、「夏季無休」の看板を掲げて大わらわ。

 ただしこの賑わいも、年々勢いをなくしてきていると聞く。「昔はもっと賑やかだったんだけどねえ・・・」地元で商売をしている人は口を揃える。たしかに、夏が来てもシャッターが降りたままの店も、朽ち果てつつあるバンガローや山荘もあちこちにある。「高原の別天地へようこそ!」華々しい文句を謳った別荘分譲の看板は、錆びて傾いたままになっている。「遊びに来たけどなんにもなかった」と言って去って行く観光客もいる。

 それでも。

 北軽井沢のシンボルの浅間山も、草津や白根の峰々も、牛が草をはむ広大な草原も、鳥や昆虫が飛び交う雑木林も、何十回と夏が来ようと、変わらずここにある。その下で回る人間の暮らしにはお構いなしに、広い空は、入道雲を湧かせて夕立を降らせ、夜には満天の星を瞬かせる。この無頓着でおおらかな大自然こそ、北軽井沢の夏の本来の姿。何もないのではない。人の手が作れないものなら、こんなにも、余りあるほどある。

 麓に暮らす者にとっては忙しく、あっという間に過ぎてしまう夏。時には、稜線の先に広がる夏空を見上げ、大きくひとつ深呼吸をしてみよう。

最後の避暑地?

 高原といえども、標高が高いだけに直射日光は強く、昼間は暑い。日向に10分もいればクラクラしてしまう。つい数日前までの梅雨冷え(北軽井沢では15℃を下回りストーブを焚くことも)とのギャップもあり、「暑い、暑い、もう避暑地じゃない!」とバテバテになる。

 けれどもこの発言。真夏に一度でも「下界」の街へ降りてみれば、たちまち撤回を余儀なくされる。30℃以上は当たり前という気温もさることながら、驚くのは身体にまとわりついてくるような湿度。まるで空気に粘り気があるのかと思うほど重たく、息苦しい。意識も朦朧と(誇張ではなく!)這々の体で山へ帰れば、日陰や夕方の風はひんやりと冷たく、途端に汗がひいていく。なによりカラリと乾いているので、身体が軽い。「ここで暑いだなんて騒いで、ごめんなさい」。山の向こうの彼方に向かって、謝るはめになる。

 こんなことを言うと長野県のほうから石が飛んでくるかもしれないが、ここ数年は軽井沢ですら平地同様、暑い日もある。下から車で登ってくると、「万山望」を過ぎ、「峰の茶屋」を越えるあたりで、もわり、から、すっきり、へと、空気の膜が入れ替わる。あの瞬間がたまらない。同じように、高崎から来れば二度上峠で、上田から来れば嬬恋に入る鳥居峠で、目に見えない空気の層をまたぐ。ああ、これぞ北軽! やっぱり避暑地!!

 嫌味と思われるかもしれないが、冬は氷点下の毎日に身も心も凍る日々。大きな顔ができるのは今だけなのだ。お許しいただきたい。

森は生きている。

 舗装された道を離れ、森に足を踏み入れる。

 新緑の頃、明るい黄緑色に透けていた樹々の重なりも、8月に入れば鬱蒼と厚みを増す。かんかんに照りつけているはずの陽射しもここまでは届かず、ところどころわずかに水溜りのような光の円ができている。朝夕は賑やかな夏鳥も、午後の時間帯は静かだ。まさに「森閑」という言葉どおり。物音のしないひんやりとした森にしばらく一人でいると、時間の間隔がぼやけ、思考はだんだん切れ切れになっていく。大きなものに護られているような、そもそも自分など存在していないような、内と外との境界線が曖昧になっていく・・・。

 浅間北麓一帯には、それほど深い森はない。厳しい気候環境と火山性の痩せた土地。直接の噴火の影響や、薪炭を必要とした時代の伐採などもあり、昭和初期頃の風景写真を見てもあたり一帯、草地に低木がぽつぽつ見えるだけ。けれどなかには、地蔵川沿いの「押切端(おしぎっぱ)」のように天明の噴火でも被害を受けず、数百年間、育ち続けている森もある。ミズナラ、コナラ、クリやカツラなどの広葉樹に、カラマツやツガといった針葉樹が混じり合う手つかずの雑木林。単一種が占める静かな深い森に較べて明るく、常に木々同士の競争が繰り広げられている。生き物の数も多く、そのためか目には見えないエネルギーに満ち溢れている。

 長い一生のうちの「青春期」を生きる森と、私たちは今、たまたますぐ隣りで生きている。近くにありすぎて、当たり前のように見えているけれど、それは奇跡に近いことなのかもしれない。

帰りたくなる場所。

 物心ついたときから、夏休みといえば北軽井沢に来ていた。(逆を言えば、北軽井沢以外の夏を知らない。)学校の終業式と同時に、車の屋根に大荷物を縛り付け、夜の間に移動する。朝が来て、雨戸を開けた瞬間、飛び込んで来る緑の濃い匂いと眩しい陽射し。「ここから夏が始まる!」あの胸がはちきれそうなわくわくした気持ちは、大人になった今でもはっきりと覚えている。

 山荘に滞在中は、湖やプール、スーパーや商店で、地元の子どもとすれ違った。野菜を売る直売所では、手伝いをしている同い年くらいの男の子から、「ほら、うめーぞ」とトウモロコシを乱暴に手渡されてドギマギした。山荘の面倒を見てくれる大工さんや水道屋さんの子どもとも、お父さんが仕事をしている間、クワガタ獲りをして遊んだ。8月も半ばになると、彼らはひと足早く学校が始まる。こっちはまだ夏休みだもん、と優越感を覚えつつ、あの子たちは「ここからどこにも帰らなくていいんだ」と思うと羨ましかった。

 「あの子たち」も、今は親になり、この村のどこかでいっかり働いているだろう。私のようにあの夏が忘れられずに移り住んでしまったり、夏になれば戻ってくる人たちもいるだろう。そして、それぞれの子どもたちがまたここで、ほんの一瞬、交差しながら、夏の思い出を胸に刻み続けていくだろう。

 夏が来るたびにふと思う。この場所は大きく変わらなくたっていい。子どもたちにとって「帰りたくなる場所」でありさえすれば、それでいい。

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