こんにちは、進さん。
浅間北麓や吾妻地域の歴史を調べてみようとすると、かならずといっていいほど目の前に立ち現れる人の名前がある。
萩原進(はぎわらすすむ)。大正2年、長野原町応桑生まれ。歴史学者。郷土史家。
浅間山の噴火から、群馬の人物、民俗、風習、政治、芸能まで。
ひとつ気になることがありネット検索すると、参考書として出てくるのは進さん(ここではそう呼ばせてもらう)の著書。また別のテーマが気になり、図書館でキーワード検索すれば、ここでも進さん。古本屋に行っても、はい、こんにちは、やっぱり進さん。いつもいつも、先回りされている。
日本全国、津々浦々、それぞれの地域に「郷土史家」と呼ばれる人がいるのだろうが、これだけ様々な分野にわたり精力的に著述を残した人も珍しいのではないだろうか。
進さんは、北軽井沢のお隣、応桑の出身。教師として県内を転々としたあとは前橋に自宅を構え、応桑に戻ることはなかったのだが、ふるさとに寄せる想いはさすがに強かったよう。著書・編書のなかでも、吾妻地域や浅間北麓に関するものがやはり目立つ。
なかでも、まだ20代の頃、初めて1冊の書籍としてまとめたものとされる『浅間山風土記』(煥乎堂、1942年)の序文をあらためて読んでみたら、ふるさと六里ヶ原の戦前の風景が、20代の若者らしい溌剌とした切れ口で綴られている。
そのなかから、前半の早春から若葉の季節までの描写を抜き書きしてみる。
『浅間山風土記』序文より
変わったもの、変わらないもの。
このあとも序文は六里ヶ原の夏から秋へと続いていくが、ひとまずここまで。
80年前に書かれた文章だが、さすがは若い頃から文学を志した青年だけあって、春を待ちわびるもどかしさや、新緑とともにすべてがほとばしる、この地域の特性が見事に表現されていて「そうです、そうです、今でもそうです」と頷きたくなる。
人々の生活の部分では、今ではもう見ることのできなくなった風景__嫁入り行列、草原を跳ね回る仔馬、野原で草を摘む里の子たちも・・・?__もあり、80年という歳月の移ろいを感じるのだが、ただ面白いのは、文中に出てくる「今年も生きて春を迎えられた喜びを胸に大自然を見つめる老人」に似たひとは、今でも春、時折見かけることがあるし、そんな台詞を聞くこともある。
そんなところに、一代二代の人の世代の移り変わりでは、大きくは変わらない、変わりようがない、六里ヶ原という土地の持つ懐の深さといおうか、人間による懐柔を許さない頑なさのようなものを感じたりする。
『浅間山風土記』は、浅間山の地理と歴史から、宗教、交通、人物史、習俗と伝説まで、浅間北麓に住むひとにとっては<足もと>を知るための初めの教科書のような本です。増補改訂版も出ていますので、図書館・古書店等で探してみることをお薦めします。