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52ヘルツのクジラたち

12/30

町田その子さんの『52ヘルツのクジラたち』。ずっとずっと読みたくて、でもタイミングが合わずなかなか読めていなかった作品。この度映画化されるということでその前に絶対読みたいと思いついに読めました。

実の家族に幼い頃からいないもののように扱われ、人生を搾取されてきた主人公貴瑚が、母親や祖父からムシと呼ばれ虐待を受ける少年と出会い、お互いが一緒に人生の一歩を踏み出す物語。

母親から全く愛情を受けたことがないことも辛いけど、愛を受けとった記憶を持ってして虐待を受けることはもしかしたらもっと辛いことなのかもしれない。昔は確実に愛してくれていた母親がいなくなっていき、最終的に母親と知らない義父が作った3人家族をただ見ていることしかできない、何者としても扱われない貴瑚の構図がずっとしんどくて心が抉られました。そして、娘にそんな扱いをしていたのにも関わらず、育ててもらった恩だなんてありえない理由をつけて義父の相当な介護を全て任せてしまうんだから、もはや一種の呪いです。抗えるわけがない。
これだけでも辛いのに、最愛のアンさんを失って、好きだったはずの新名主税も失って、最後には自分も失ってしまうなんてそんな仕打ちどうしたら思いつくんでしょうか。

神様は、というかその子さんはきっとその苦しい現実がありすぎる分、貴瑚には大切な人と巡り合う運命を与えたんだと思います。道で親友の美晴と魂の番になり得たアンさんに出会えたり、第三の人生の一歩を踏み出すきっかけとなる少年にたまたま出会ったり、知らない土地で初めて頼んだ業者がまっすぐに貴瑚の目を見てくれる村中だったり、本の中の話だとしても奇跡的なことがたくさんあって、その運と彼らの愛情だけは最後まであり続けてくれて本当によかったです。

最後の最後に貴瑚のトラウマを掘り返すような場面を描くサイコパスみに驚きました。と同時にどんなに人生が変わるように大きな出来事があっても過去のトラウマは絶対に消えないんだと思い知らされました、きっと貴瑚本人もそうだろうけど。それでも、トラウマは消えなくても、あの海が見える土地で生き続けられるのなら、彼女を傷つける人なんて誰もいないし、何があってもきっと愛が守ってくれるから大丈夫ですね。
貴瑚が酷い扱いを受ける場面や、主税がどんどん暴力的かつ独裁的になっていく様子、そしてアンさんが亡くなる場面は文章に早いリズムが刻まれているように感覚で、読み手である私も焦りや怖さの気持ちと一緒にどんどんお話に引き込まれました。その中でも特に、愛が夜に家を出て海に堕ちようとした場面は臨場感がありすぎて貴瑚が全速力で走ったようにわたしも息が止まりました。

それに対して、ムシや52が描かれている場面はどの場面よりも色がなくてずっと真っ白で痩せた男の子が見えたのが、彼の心の暗さがとても表されていて苦しくもありました。あんなボロボロの少年を助けたいという気持ちだけで動き、その中で彼を傷つけるような間違ったことを一つもしなかった貴瑚や美晴はもはや感服です。


「思い出だけで生きていけたらいいのに。たった一度の言葉を永遠のダイヤに変えて、それを抱きしめて生きている人だっているという。わたしもそうでありたいと思う。」
これのフレーズは特に印象に残りました。ダイヤモンドではなくダイヤなのがより抱きやすい感じがあるし、思い出だけで生きていける世界があったらとっても暖かいだろうと思います。いつだって現実が付きまとうこの世界が鬱陶しいです。現実があるから思い出があるのですがね。

最後に現れたクジラはきっとアンさんだったし、アンさんは今は孤高の中にいるように感じるかもしれないけど、ここから2年経ってキナコと愛が一緒に強く生きれるようになった時には必ず、アンさんは同じ52ヘルツの歌声を響かせる番に会って自分のなりたい自分として泳げているはずです。


2人と、その周りの人たちの人生が全て、自分の声が誰かに届き、そして大切な誰かの声が聴こえるような幸せなものでありますように。

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