見出し画像

強さと弱さの総量

少し前、友達に「あなたは私と違って、強いからいいね」と言われた。
普通の人なら聞き流すような言葉かもしれない。
でも私は言われた瞬間漠然としたショックに襲われ、
その時どのように返事をしたのかも覚えていない。

その友達にとっては、自分がすごく悩んでいることを私が難なく突破できたように見えたのかもしれない。
それに、私は何か言われてもへっちゃらな顔をしているように見えたのかもしれない。
でも私にとってのその子は、コツコツと努力もできて人のサポートにも立ち回れるのに、時にすごく大胆な行動ができる子だと思っていたし、
そう言う強さが良いところだと思っていたし、好きだったのだ。

少し話は違うが、大学生の頃、「君は、俺には大人すぎるから」という理由で同い年の彼氏に振られたことがあった。
「自分が混乱している時も、君は冷静だったし、焦っていないように見えた」と。その時も似たような寂しさを感じた。
きっと好きじゃなくなったとか、他に好きな人ができたとかいう本当の理由を隠すためにもっともらしい理由を持ってきたんだろうと思うが、「そんな言い方をしなくても良いのに」と思った。
くだらないことで笑い合ったり、ふざけたりしたあの2年間が、
まるで嘘だったかのように思えた。

「あなたは強いから良いね」事件以降、その元彼と別れた時のことを急に思い出し、なんでそんなに寂しく感じたのかと考えた。
多分だが、言われる前は、強さや弱さ、若さや大人びた部分が違う種類だとしても、二人とも同じくらいの量を持っていると信じていた。
だから「この子にはこういう強い/弱い部分があるんだ」と寄り添えたし、
わかろうとすることができた。
だけど、先の発言を受けると、「あなたは私とは全く違うから、私の感情を理解はできないでしょう」と感じてしまう。
ずっと隣にいたと思っていたのに、心がすっごく遠い。
「そんなことないよ、私もね…」とどんなに説明しても、
もうその言葉は届かない距離にいる。

では果たして自分は本当に強いのかと考えると、やっぱり違うと思う。
大変な時に強気に挑める負けん気はあるかもしれない。
でも、怠け癖はあるし、ずぼらだし、緊張しいだし、イライラもする。
それに何より、自分の正直な感情や弱さを伝えるのに、すっごく時間がかかる。大したことじゃなくても、傷つくことを怖がって、素直にその場で感情を出せない圧倒的弱さがある。

弱さ自体は弱さであるが、
弱さを見せられないこともまた弱さであり、
その弱さを見せられることは強さでもある
んだと思う。

また少し話が違うが、最近、芸能人が誹謗中傷などに対して、
「私たちも同じ人間だから、あなたと同じように傷つくんだ」と言っているのを見たことがある。
私のような凡人が同じ理論を講ずるのは烏滸がましいが、
「才能があるから、自分の弱さよりあの人の弱さの総量の方が少ないはずだ」などと、圧倒的才能の差を強さで補填することで安心する。
「お前はすごいんだろう。なら強いんだろう。なら何言っても大丈夫」
と勘違いできるから、攻撃するんじゃないだろうか。
才能と弱さや強さは全く別物なのに。

例えすっごく精神的に強そうな人だとしても、
その強さで塗り固められて見えない圧倒的な弱さが、
どこかに潜んでいるんだと思う。
それは本人が自覚していないかもしれないし、
意識的に強がって見せないようにしているのかもしれない。

上手く言葉がまとまらずにごちゃごちゃと書いたが、
要するに私は、
「人間みな、蓋を開ければ強さと弱さの総量は変わらないんじゃないかだから、みんなに優しくしようぜ」
ってことを言いたいのだ。
自分とは違う方向性だとしても、同じだけの強さと弱さがあると思えれば、どんな人に対してでも、もう少し優しくできるんじゃないかと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?