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OBON特別列車

インドネシア・西ジャワ州チレボンのバティック作家、賀集由美子さんを送る気持ちで「チレボン銀河鉄道」を書いたばかりでしたが、もう帰って来てほしくなり、続編を書きました。NHKのドラマとなった「空白を満たしなさい」(平野啓一郎作)に出て来る「再生者」のように、たとえ期間限定でも帰って来てくれたら、どんなにうれしいか。

賀集さんが亡くなってちょうど一年の時、インドネシア人の友人のプトリが「賀集さんの夢を見たよ!」と興奮してメッセージを送って来ました。「夢の中で、賀集さんを抱き締めたよ。『でも、賀集さんはもう亡くなったんだよな??』って思ってるの。そういう風に、亡くなったってわかりながら夢で会っている時、本当にその人が会いに来てくれた、って言うんだよ!」。

賀集さんがプトリを訪ねてくれたように、私たちの所を訪ねてほしい、という願いを込めた物語です。

 チレボン銀河鉄道の車内でもらってからずっと愛用している「iPadのような板」に、ポン、とポップアップで通知が現れました。

 「『OBON特別列車』運行します! 詳しくはこちらをクリック!」

 クリックすると、時刻表が現れ、往復必須で列車と席を予約できるようになっていました。なんと1分に1本ぐらいの超過密ダイヤで、それでも席はどんどん埋まっているようでした。

 「うわぁ、レバラン前の帰省ラッシュよりひどいわ」
 「OBON? アパ? ユミコさん、どうする?」
 「この『早BONチレボン』っていうので行かない? お盆とちょっと時期はズレるけど、通常列車より空いてるみたいだし。テレポート・チケット2枚付き、だって」
 「うん、いいよ、なんでも」

 「早BONチレボン」列車は朝の運行でした。明るい空を走る線路はチレボン駅の線路へとつながり、列車はすーっと滑らかにすべり下りて、チレボン駅のホームに停車しました。二人はホームに降り立ちました。

 「まずはビドゥリ通りへ行こうか」
 「うん、スタジオ・パチェ!」

 そう叫ぶと、二人の体がふわっと浮いて、スタジオ・パチェの方角に向かって自動的に進み始めました。街路樹より少し上の高さで、車と同じぐらいの速度です。

 「うわっ、なにこれ。便利!」
 「パーヤンの運転より安全だね」

 二人は面白くなって、ゲラゲラ笑いました。笑っているうちにスタジオ・パチェへ着き、すっと地面へ下りました。

 「あーあーあー、だいぶ変わっちゃってるなぁ」
 「まぁ、仕方がないよ。ここを食堂にするっていう計画がなくなって、賃貸に出すそうだから。ジャカルタの会社が借りるらしいよ」

 二人はカギの掛けられた柵をすっと通り抜け、施錠されたドアも同じように通り抜け、家の中に入って隅々まで見て回りました。荷物はなくなり、工房のあったガレージもすっかり片付けられて空っぽでした。ここで毎朝、ラジオの音楽を聴きながら、職人さんたちが仕事をしていたのです。ユミコさんは職人さんの間に入って、あれこれ指示を飛ばし、うまく行かないことや予想外のことに頭を抱えたり、笑ったり泣いたりしたのでした。

空っぽになった工房。右側に蝋描き、手前に縫製、左側に染色のスペースがあった(2022年4月撮影)

 蝋描きする職人さんが円になって座っていた場所、ミシンが並んでいた縫製の場所、染色台のあった場所、作りかけの布が所狭しと掛けてあった場所、職人さんのお昼を作っていた外の台所。賑やかな声と活気は、物と人と共に消えていました。

「何も……ない。何も残ってない」

 ユミコさんの顔が曇り、ちょっと泣きそうになりました。部屋を一通り見て回ったバポが近付いて、その腕をぎゅっと掴みました。

 「そんなことないよ。ちょっと見に行こう。家の管理をしてる息子の部屋にあったカレンダーを見たら、きょう、アリちゃんの所でNHKの撮影があるらしい。『バティック・アリリ』!」

 二人の体は浮き、バティック工房の集まっているトゥルスミ地区へと向かいました。トゥルスミに入る門を初めて上空から通り過ぎ、右手の狭い路地を入った先に、アリさんとワワンさんの工房「バティック・アリリ」がありました。パチェ(ヤエヤマアオキ)やマンゴーの木が家の周りに生い茂っています。

蝋描きをするアリさん(中央)と職人

 家の裏手にある工房は、なんだか普段より活気がありました。ワワンさんが、ドラム缶いっぱいの水をガスでゴーゴー熱しています。その様子を撮影しているテレビカメラを持った人や取材する記者が見えました。

 「ああ、今日は蝋落としをやるのか」。蝋の塊のようになった布が準備されています。「あ、もしかして、あの生命樹バティックか!」

 それはユミコさんが2020年に受けた注文でした。ドイツでクリニックを開業した人へお祝いに贈る品、とのことでした。「病院はどうしても『病気』『死』といったイメージがつきまとう。なので、その対極にある『生命樹』柄のバティックを飾りたい」という要望でした。

 木にさまざまな動物や鳥がいる生命樹柄はユミコさんも大好きで、工房にはいろんなパターンの生命樹の下絵がありました。その中から一枚を選んでもらい、そこにドイツの国章や、グリム童話の「赤ずきんちゃん」のかぶり物をしたペン子など、ドイツらしいモチーフをユミコさんの手で描き加えました。出来上がった下絵をアリさんに渡し、蝋描きから仕上げまでの作業を頼んであったのです。

 その後、アリさんの工房で、蝋描きと染色を3回繰り返して5色に染め、これからやる蝋落としでバティックは完成です。ドラム缶の湯がグラグラと沸いたところで、ワワンさんが棒の先に引っ掛けた布を漬けました。棒を何回も上下に振ります。漬けて、上げて、漬けて、上げて。みるみるうちに、蝋が布から剥がれ落ちて、鮮やかな色が現れました。緑、赤、黄、黒。まるでドイツ国旗のようなカラーです。

生命樹柄のバティック。布の縁の模様が華やかで美しい。黒・赤・黄はドイツ国旗の色

 きれいに蝋の落ちた布を水洗いし、それを棒に掛けて吊し、乾かします。乾かしている布の横で、アリさんがNHKのインタビューを受けていました。

 「この生命樹バティック、早く仕上げたかったですか?」
 「はい。できるだけ早く仕上げて、『ユミコさん、ほら、出来ましたよ』と見せたかったです」
 「これを見たユミコさんは、なんて言うでしょうか?」
 「えーっ……」、アリさんは言葉に詰まり、ワワンさんが横から勝手な茶々を入れます。「アリ、バグース(すてき)(って言うよ)」。

 ユミコさんもその横に立ち、「アリちゃん、バグース!」と大声で叫びました。

 工房では、蝋描きの作業が進んでいました。その中には、以前に「自由に使って」と、どさっと渡したスタジオ・パチェの下絵もありました。これから、アリさんとワワンさん二人の感性を加えて、美しいバティックの布になっていくことでしょう。

 「ユミコさんが、ここチレボンでずっとやってきたことは、消えてなくなったりはしない。ここにちゃんとあるでしょ。そして、これからもきっと続いていく」、バポが温かい声で言いました。

夜空の星のようなパチェ柄バティック(アリリ工房作)

 アリさんの家の中には、出来上がったばかりのパチェ柄のバティックが掛かっていました。

 「パチェ柄って珍しいですね。どうしてこれを作ったんですか?」、インタビューする人が期待に目を輝かせてワワンさんに聞きました。
 「庭にパチェの木がいっぱいあったからです」

 「マス・ワワン、そこは、『スタジオ・パチェをしのんで』でしょうがー」、ユミコさんは思わずツッコミを入れました。

 「ユミコさん、この後はどうする?」
 「テレポート・チケット2枚、使ってもいいかな? ちょっと、プトリちゃんに会いに行って来る。『また会おうね』って約束をしたから。バポ、ちょっと待っててね」

 「iPadのような板」からチケットを表示させ、マップでざっくり「ジャカルタ・デポック」を選んでから、プトリの写真をアップします。即座に場所が絞り込まれました。「テレポート」ボタンを押すと、次の瞬間、デポックにあるプトリの家にいました。プトリは仕事で疲れて寝ていましたが、目を覚まし、びっくりして飛び付いてきました。

 「Aduhhhh Kashu saaann lamaaa gak ketemu, kangen bangettt!! Jangan pergi lamaa2 lagi dongg(わああ、かしゅうさああああん、長く会ってなかったねえ。めちゃくちゃ恋しかったよー! もう長いこと行っちゃったりしないでよ)」、そう言ってしっかりとユミコさんを抱き締めました。
 「プトリ、眠いんでしょ。寝なさい」

 「うん、わかった」、プトリが横になったそばで、ユミコさんはペンギンのぬいぐるみを作り始めました。プトリはそれを見ながら眠りに落ちました。プトリの寝入った後で、「元の場所へ戻る」ボタンを押して、チレボンへ戻りました。

 「プトリに会って来たよ。あともう一人、会いたい人は、ゆきさん。もう夕方になってきたから、オスロは朝だね。散歩の時にいつも呼びかけてくれているみたいなんだ」

 さっきと同じように「ノルウェー・オスロ」と入れ、ゆきさんの写真をアップして場所を絞り込んで、「テレポート」。次の瞬間、オスロの空にいました。ゆきさんは家の裏山の散歩コースを歩いていました。そこには、W杯でも使われる巨大なジャンプ台があり、その高さは天に向かってそびえ立っているかのように見えました。ゆきさんはいつも「銀河鉄道の発着台みたいだ」と思っていたのでした。

空に向かうような、ノルウェー・オスロのジャンプ台(ゆきさん撮影)

 「この風景を見ると、空にいる賀集さんにつながっているような気がするんだよねぇ。ジャンプ台から銀河鉄道が空の方に飛んで行くような……」、ゆきさんはいつものように、ジャンプ台の上の空を見上げながら「賀集さーん」と叫びました。

 ユミコさんはできる限り大きな声で「ゆきさああああーん」と叫び返しました。ゆきさんがまた歩き始めるのを見届けてから、チレボンへ戻りました。

 「声はいつも聞こえていたんだけど、今日は、ゆきさんの叫びにちゃんと答えられてよかったわ! バポ、ありがとうね」
 「帰りの便は明日だったっけ? じゃあ、この後は食い倒れにするか。まずはここの近くのミー・コチュロックとスラビ、それからムル・シーフード、ナシ・ジャンブラン、カエルも行っとく?」

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