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そのままの君でいてください。


はじめに

アイドルマスターシャイニーカラーズさん、6周年おめでとうございます。
「もう6周年か。。。」という思いや、「あぁ、まだ6年なんだ??」という思いなどなど、感じるものは各々違うはずです。

私は、「もう6周年か。。。」の方ですかね。
なんというか、シャイニーカラーズって末っ子感がありますよね。
学園アイドルマスターがGW(おそらく)ごろに配信されますが、学マス配信後も、この感じは抜けないかなぁなんて思っています。

6年というと、幼稚園・保育園を卒業する年です。
1年に1回の親戚の集まりとかで、おじさん・おばさんに「んもー、あんなに小さかったのに、来年から小学生なのね!」って言われる年です。
実際、冒頭で書いた「もう6周年か。。。」は似たような感覚かもしれません。

前置きが長すぎました。
本記事で何を書いていくか、簡単に紹介します。
といっても、内容はシンプルに「アイドルマスターシャイニーカラーズの好きなところ・変わらないでほしいところ」です。
それではよろしくお願いします。


好きなところ:表と裏がわかるところ

早速ですが、シャイニーカラーズの好きなところ「表と裏がわかるところ」です。
表裏というと、冬優子的な表裏かと思われますが、厳密に言えば違います。
いや、まぁ、違わないですが、”同じです”と言い切ってしまうと、このパートが終わってしまうので、違うとさせてください。

この手の話題で分かりやすいのは、ストレイライトです。(結局冬優子じゃん!という声が聞こえてきます。。。)
アイドル・ふゆと、黛冬優子はほとんど別人で、アイドル・愛依と和泉愛依はほとんど別人です。

アイマスというコンテンツの性質上、登場するキャラクターは(だいたい)アイドルです。
私は、アイドルはファン商売なので、ファンに見せる顔は、ファンの求めるものであるべきだと考えています。つまり、あさひや、恋鐘、透などといったごく稀な人物を除いて、アイドルの顔(表の顔)とプロデューサーに向ける顔(裏の顔)は、別のものであるのが当たり前だということです。

あさひや、恋鐘、透も違くね??となった方には、いまいち伝わっていないので、補足します。
これは発信側の話ではなく、受け取る側の話になります。受け取る側が認識するその人物の本質な長所・特徴が変わらないという意味でした。

話を戻します。
シャニマスは、その表と裏を使い分けるのが非常に上手いというのが、このパート最大の焦点になります。

シナリオが最大の強みである(と勝手に思っている)シャイニーカラーズで、キャラクター愛を育てる1番の要因は、アイドル(人)としての生き様に共感できるかどうかだと思っています。

「こういうアイドルだから」
「この努力が報われないなんてあってほしくない」
「いつまでも太陽のようにたくさんの人を照らしてほしい」
「変わらぬ君のままでいて」 etc…

こういった十人十色な意見も、全部アイドルとしての彼女たちと、それを支える日常を知っているからでしょう。

悩み、悲しみ、辛さを乗り越えるだけでは、ダメなんです。
それをパフォーマンスに変える彼女たちがいるから、プロデュースなのです。

喜び、友情、愛情を内々に表現するだけでは、ダメなんです。
それを胸に秘めて等身大で輝く彼女たちがいるから、プロデュースなのです。

結華や摩美々が、どういう葛藤を抱え、アイドルをやっているかなんてファンにとって関係ないんです。それはプロデューサーや、ほかの仲間たちが支える領域だから。

ファンはテレビ越し、ステージ越しに見えるものを信じるしかないのです。
それを描かずに、どうしてプロデューサーの立ち位置にいられるでしょうか。

私は、シャイニーカラーズのそういうところが好きです。
私たちがプロデュースしているアイドルは存在しているぞと、そう訴えかけられているようなところが好きです。


変わらないでほしいところ:面倒くさいところ

アイドルマスターシャイニーカラーズは、いつも面倒くさいんです。
取っ掛かりも、沼ったときも、ゲーム性も、期間限定ベント(コラボや、記念日のイベント)も何もかもが面倒くさい。

そもそも、オタクは面倒くさい人種なくせに、面倒くさいことは嫌います。その上で、深いだの、刺さるだのとコンテンツには複雑性(読み解けるレベルのもの)を求めてきます。

YouTubeのコメント欄が顕著でしょう。
共感する歌にを求めているくせに、感動して、コメントに自分の過去と重ねたコメントを見つけると、「自分語り乙」と言います。
話の流れで、自分の体験を併せて書いている人に対しても、「隙あらば自分語り」と言います。

私は正直この風潮が大嫌いです。
素晴らしいコンテンツには、自分の思った言葉を、感じた内容を素直にコメントしたいです。だって、それを伝える(方法や限度はもちろんある)までが、コンテンツだと思うから。

それに対して、シャニマスを主戦場にしている人は、それを何とも思わない人が多いです。
なぜなら、語るフェーズに入るまでに、シャニマスの面倒くささに足切りされるからです。

私は、シンデレラもミリオンも好きです。
でも、熱語りをするのはシャニマスだけです。シンデレラやミリオンでは「なんなんコイツおっも」という雰囲気が少しあるので、控えざるを得ません。
それはそれで楽しいのですが、私の根っこは熱語りをしたいオタクなので、Xで叫べない思いは、友だちに直接ぶちまけています。

許す許されるではないのです。
”各々が各々の領域で、自分の思いを伝えられる。”
私にとってそれが1番心地良いのです。

5周年、コメティックという語り甲斐のあるユニットが登場しました。
斑鳩ルカは過去例のないくらい本気で”嫌悪感”をぶつけてくるアイドルです。最高ですよね。

まぁいってしまえば、シャニマスは勉強が必要なんだと思います。
その勉強を好きになれるかどうかがターニングポイントで、勉強したら結果が欲しくて、語ってしまう。

私は、シャイニーカラーズのそういうところに変わってほしくないです。
画面越しではあるものの、1人のアイドルの人生を借りているような立場のプロデューサーだからこそ、その責任は重くあってほしい。


さいごに

ここまで、長々とお付き合いいただきありがとうございます。
どれだけの人が読んでくれて、どれだけの人が共感してくれるか分かりません。

考えてみれば、寂しい行動です。だって、誰にも読んでもらえないかもしれない。
それでも、私はシャイニーカラーズが好きだから語り続けます。

誰にも邪魔されない私だけの領域で語り続けます。
だって、私の好きになったシャイニーカラーズは、そういう場所だと思うから。

この先10周年、20周年と迎えたとき、どうかこの感情が続いていますように。
自分勝手な祈りを添えて、本記事をおしまいにします。
ありがとうございました。





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