注射の夢
学校から課題として提示された夏期のレポートを書き上げるために、僕は友人たちとともに図書室へと足を運んだ。図書室は狭いが充実していた。特に東洋文庫と古いSFが多く並んでいる。そのためか、図書室の一隅ではSF好きの先輩二人がSFに求める美意識を巡って論争を繰り広げていた。どうやら一方はハードSFを、もう一方はスペースオペラを好んでいるらしい。僕はSFではなくもっぱら東洋文庫に興味を抱いた。
図書室には冷房がなかった。そのためか僕は唐突に異常な気だるさを覚えた。僕の状態を心配した友人たちは、僕を担ぎ上げて病院へと連れて行った。
病院は政治活動の拠点と化していた。近代医学を否定する自然療法の信徒たちが病院の敷地を使って「啓蒙」を行なっていたのだ。病院に勤務する医師も看護師も、「はっきりと申し上げることは出来ませんが……」と前置きをしながら事実上彼らの療法を肯定していた。壁には彼らの思想にまつわるポスターが幾枚も貼り出されている。
僕が気だるさを医師に伝えると、医師は僕に「それはスタミナが足りないからですよ。薬で治療するとかえってスタミナが落ちるのでうちではこうやってます」と言って生卵と注射針を取り出した。生卵を注射すれば手っ取り早くスタミナが付くのだという。医師からそう伝えられ、僕はそのオーガニックな発想に好感を覚えた。普段食べているものなのだから特別悪いことにもならないだろう。そう思った僕は、彼の治療を快く受け入れた。すると医師は太い注射針を突き立て、僕の両腕に生卵を、しかも全卵を注射した。冷たく凝った卵液が僕の血管にどろどろと注ぎ込まれる。
注射を終え、僕は待合室で待っていた友人たちに治療の内容を話した。すると友人の一人は冷然と僕に「別の生物のタンパク質を体内に入れると脳がスポンジになるよ」と諭した。僕は戦慄した。脳がスポンジ状になったら生きていけるのだろうか。少なくとも今までのような生活は営めないだろう。そう直観した瞬間、僕の脳裏には家族や近しい人間に対する感謝の念が滾々と迸った。思えば今まで僕は周囲から支えられて生きてきた。残り少ない時間を、彼らへの感謝に使わなければならない。そう思った僕はポケットからスマートフォンを取り出し、母親への感謝のメッセージをフリック入力にて書き始めた。
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