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脱輪さんへの手紙 あるいは開かれた森について

はじめに

 僕の知り合いに脱輪さんという批評家がいます。先日、僕はXにて脱輪さんから次のようなお言葉を頂きました。

 この記事は、「言葉を忘れて森へいこう 〜ファブリス・ドゥ・ヴェルツ『依存魔』からゴシックの美学へ〜」(以下「森へ」と略記)という彼の映画批評に対する僕なりの感想です。ただし僕は彼の文章の主題である映画『依存魔』を観たことがありません。それゆえ僕は彼の映画批評ではなく、(彼の表現を用いるならば)彼が「映画批評にかこつけ」て書いたドイツ美術小史に対して、自分の意見を述べていきたいと思っています。いくつか辛辣な意見を述べるかもしれませんが、どうかご容赦を。
 引用元の記事はこちら。

a アルトドルファー『森の中の聖ゲオルギウス』について

「森へ」において脱輪さんはマルセル・ブリオン『幻想芸術』や宮下誠『20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す』を引用しつつ、デューラーではなくアルトドルファーこそが「ドイツ的なるものを体現した画家」であり、エルンストはそうしたアルトドルファー的美学の継承者である、と説きました。こうした彼の意見について僕はなんら疑義を覚えませんでした。特に彼がマグリットとエルンストを比較した箇所(同じシュルレアリストであっても、マグリットがその手法を違和・反撥・乖離を生むために用いるのに対し、エルンストはその手法を融合・調和・安樂を生むために用いる)についてはとても明瞭な分析だと感じました。
 しかし、彼の論の根幹であるはずのアルトドルファー論について、僕は彼に同意することが出来ませんでした。アルトドルファーの絵画『森の中の聖ゲオルギウス』(脱輪さんの記事では『聖ジョルジュ』と表記)に対して彼の解釈を当てはめることは出来ないのではないか、と僕は感じたのです。
 彼の解釈を批判するために、改めてこの記事でも『森の中の聖ゲオルギウス』を掲示しましょう。

アルトドルファー『森の中の聖ゲオルギウス』、1510年

この絵画について、脱輪さんは「森へ」の中で次のように述べています。

騎士と竜の戦いを見守るどころか積極的にその戦闘に参加し、獲物の「四方を完全にふさ」ぎ退路を絶った上で「おおいかぶさ」ってくる魔物の森。
ここにおいて、生命の象徴である森は戦場となり、強大な敵そのものとなる。
だが、聖ジョルジュ(ゲオルギウス)の竜退治の神話から材を得ているにもかかわらず肝心の竜は姿を見せていない。言うまでもなくそれは騎士に打ち倒された後であるためなのだが、謎めいた竜の不在を巡るブリオンの漠然とした所感ーー「竜の死がこの森を悲劇の場と変えたのだろうか」ーーをいま一歩前に進めるなら、次のような象徴的な解釈が可能となるだろう。
すなわち、アルトドルファーが竜を描かず、代わりにその住処である洞窟をわざわざ森の空隙から覗かせ暗示してみせたのは、ジョルジュに襲いかかってくる竜の恐怖を森の形態に代理させようとしたためではないだろうか?「騎士を押しつぶすかのように」迫り来るこの森が竜であるからこそ、巣穴はからっぽのサインとして、竜そのものの存在は空白として提示される必要があったわけだ。

「森へ」より

 引用した脱輪さんの記述はとても奇妙です。脱輪さんは「肝心の竜は姿を見せていない」と言っていますが、『森の中の聖ゲオルギウス』の右下には(ぼやけているとはいえ)白馬と向かい合った赤い竜の姿が描かれています。逆に脱輪さんは「代わりにその住処である洞窟をわざわざ森の空隙から覗かせ暗示してみせた」と言っていますが、彼の言う「洞窟」は画中のどこにも見当たらないのです!

アルトドルファー『森の中の聖ゲオルギウス』において聖ゲオルギウス・白馬・竜・森の空隙が描かれている部分のみを切り取ったもの。

 この誤りを単なるケアレスミスと言うことは出来ません。「森へ」における彼の論の多くは『森の中の聖ゲオルギウス』の解釈を基礎としています。よって彼の誤りはむしろ兆候的なものと見なされるべきでしょう。脱輪さんは自分の論にとって不都合なものである赤い竜を、『森の中の聖ゲオルギウス』から無意識のうちに排除したのです。
 またこれほど大きな誤りではありませんが、脱輪さんは他にもこの絵を解釈するについて不適当な前提を置いてしまっています。彼はブリオンがこの絵について述べた「緑がかった金色の鮮やかな光が騎士の黒ずんだ甲冑の色と微妙にとけ合ってみえる」という表現を無批判に引用していますが、現代の僕たちにとってこの絵がそのような色彩に見えるのはこの絵が5世紀ものあいだ風化に晒されてきたからにほかなりません。油彩画は簡単に色褪せることで知られています。アルトドルファーがこの絵を描いた当初、騎士の黒や馬の白や竜の赤は今よりもずっと鮮やかに背景から浮かび上がっていたのではないか……5世紀前の絵画についての鑑賞はそういった推測のもとになされるべきだ、と僕は思います。
 竜は描かれている。洞窟は描かれていない。描かれた当初は今よりもずっと鮮やかな色調だった。このような前提に基づいて『森の中の聖ゲオルギウス』を眺めると、アルトドルファーが描いたものは脱輪さんの言う「人間の大いなるものとの融合」などではないということが分かります。
 脱輪さんは竜が描かれていないという前提のもと竜と森を同一視しました。しかし竜が描かれている以上、竜と森は同一視されるべきではありません。鬱蒼と茂る森に対し、赤い竜はあまりにもこぢんまりと戯画的に描かれています。脱輪さんはこの絵から「養われた理性と手つかずのままの野生、卑小な人間とその外部に位置する超越的なものとの合一化の夢」を読み取りましたが、実際のこの絵において「野生」としての竜は「卑小な人間」としての聖ゲオルギウスよりもさらに卑小なものとして描かれているのです。他の画家による聖ゲオルギウスと同様、アルトドルファーの聖ゲオルギウスもまた「野蛮な自然=竜に対する人間理性の勝利(「森へ」より引用)」という図式を免れるものではありません。
 それだけではありません。白馬に跨がった聖ゲオルギウスの前途では森が途絶えており、そこから野原と山が広がっているのが見えます。竜を退治することによって、聖ゲオルギウスは暗い森から明るい野原へ脱出しようとしているのです。森の中においては木々によって遮られていた視野が、聖ゲオルギウスの前途においてのみ明るく開かれています。竜が異教の象徴であり聖ゲオルギウスがキリスト教の象徴であることを鑑みると、この絵はまさにキリスト教文明による開化と啓蒙(enlightenment)を描いている、と言うことが出来ます。脱輪さんはマグリット『光の帝国』における街灯をマグリットの近代性の証拠として持ち出しましたが、アルトドルファーの時点ですでに西洋人は「光の照射と啓蒙(enlightenment)を通じ、物理と精神の両面に渡って闇夜の恐怖を追放しよう(「森へ」より引用)」としていたのです。
 脱輪さんは「森へ」の中でアルトドルファーの描く森を「閉された世界」と表現するブリオンの文章を引用しています。しかし上で説明したとおり、アルトドルファーの森はむしろ「開かれた世界」と形容されるべきものでした。森が開かれた世界であることを無視するためにこそ、脱輪さんは光の源である「森の空隙」に闇の源としての「洞窟」の幻影を見てしまったのでしょう。

b フリードリヒ『雲海の上の旅人』について

 エルンストをアルトドルファーの継承者と見なすにあたって、脱輪さんは決してエルンストとアルトドルファーを直接結びつけはしませんでした。現代人エルンストと近世人アルトドルファーを一本の系譜で繋ぐために、彼は近代人フリードリヒを経由しなければならなかったのです。

シュルレアリストにしてコラージュ技法の完成者マックス・エルンストが繰り返し描いた不気味に静まり返った夜の森の姿は、アルトドルファーのニューロティックな細密描写の過剰をドイツロマン派の荒涼たる自然の風景、特にエルンストが深く尊敬していたフリードリヒの寒々しく瞑想的な空間の中に嵌め込み、独自に再演(re-present)したものだ。

「森へ」より

それにもかかわらず、「森へ」にはフリードリヒの絵画が一枚も登場しません。僕はここにも脱輪さんの兆候を見出します。フリードリヒという画家は絵画における「ドイツ精神」の系譜を記述するにあたって不可欠の名前であるにもかかわらず、脱輪さんのパースペクティヴからどうしても逸脱してしまう「躓きの石」でもあったのです。

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ『雲海の上の旅人』、1818年

 上に掲示した絵はフリードリヒの、またひいてはドイツ・ロマン主義絵画そのものの代表作と見なされています。『雲海の上の旅人』において自然は神秘的に描かれており、ゆえにこの絵を「ロマン主義絵画」と呼ぶことは妥当だと感じられます。しかし、この絵から脱輪さんが言うところの「人間の大いなるものとの融合」や「理性に対する野生、洗練に対する野蛮、良識に対する驚異、そして光の明晰に対する闇の崇高」を読み取ることは難しいでしょう。脱輪さんの説く「ドイツ精神」において、精神=主体=認識は自然=客体=存在という「より大きな全体に包摂される」べきものと見なされています。しかしフリードリヒの絵画において、精神=主体=認識は自然=客体=存在に溶け込むことなくむしろそれと対等に向かい合っています。脱輪さんの美学が一元論的であるのに対し、フリードリヒの美学はいわば二元論的なのです。そして僕は、アルトドルファーの『森の中の聖ゲオルギウス』もまた『雲海の上の旅人』同様二元論的に読まれるべき絵画なのではないか、と考えています。聖ゲオルギウスは森と「微妙にとけ合って」などいないのです。
 またここから次のようにも言うことが出来ます。すなわち、フリードリヒのようなドイツ・ロマン主義絵画を正しく継承しているのは、エルンストではなくマグリットなのではないか、と。少なくとも視覚的な印象においてフリードリヒの絵画はエルンストよりもマグリットに類似して見えます。脱輪さんも言及しているようにマグリットはよく「黒ずくめの紳士」を描きますが、この紳士はフリードリヒの旅人の末裔なのではないでしょうか。またマグリットだけでなくホッパーの絵画についても、僕はそれをロマン主義からの断絶ではなくむしろロマン主義との連続として捉えることが出来ると考えます。
 脱輪さんはホッパーについて次のように述べています。

ホッパーはよく都市の孤独を描く作家だと言われるが、ここで言う都市とは自然の森を切り開きその野生を組みしたがえた(竜を踏みつけにするジョルジュのように!)先に成立する人工の要塞であり、いわばホッパーが作り出す絵画空間は森の脅威を細切れに解体して安全化し、カフェやアパートの一室といった近代の機能建築へと置き換えたものなのだ。
そうした光景がどこか寂しげに映るというのは、われわれの精神の拠りどころとなるべき自然が既にして失われている、あらかじめ画面から割り引かれていることが無意識のうちに感じ取られているためだろう。
豊かな表情を持つアルトドルファーの森に比べ、ホッパーが描く建物たちの顔はいずれも冷淡かつ無愛想。同様に、人物の表情を読み取ることもしばしば困難であり、その像は感情の装飾が削ぎ落とされることによって近代建築の冷たい印象のなかに溶け込んでいる。今やだれもがマグリットが描いた黒づくめの紳士、オブジェとしての人間のあり方に重なり合ってしまったわけだ。

「森へ」より

このように、脱輪さんはホッパーの絵が「寂しげ」「冷淡かつ無愛想」に見える理由を自然からの疎外であると考えているのです。しかし、ホッパーの絵が持つそのような特徴はフリードリヒによって先取りされていたのではないのでしょうか。ホッパー同様フリードリヒにおいても「人物の表情を読み取ること」は困難であり、「その像は感情の装飾が削ぎ落とされ」ています。都市における人間の孤独の責任は都市ではなく人間にある、と僕は考えます。大都市の中にあって孤独を感じる人間は、大自然の中にあっても等しく孤独を感じるのです。

むすびに

 今まで僕は脱輪さんの論を激しく批判してきましたが、僕と脱輪さんの間には共通点もあります。僕たちはともに、人間を自然から疎外された存在として捉えているのです。ただし、脱輪さんが自然からの疎外を可逆かつ否定的なものと捉えている(ように読み得る)のに対し、僕がそれを不可逆かつ肯定的なものと捉えている、という一点においてのみ僕たちは対立しています。
 さて、僕たちはなぜ自然から疎外されてしまったのでしょうか。マルクスはその原因を労働に見ます。労働という行為によって、僕たちは単なる自然の一部から自然を客体化する主体へと変貌したのです。そして、その変化によって僕たちは「自由」を手にしました。
 冒頭で述べたとおり、僕は『依存魔』という映画を観たことがありません。しかし脱輪さんの説明を読むかぎり、この映画は「森への自由」を描くものだと推察されます。さて、僕たち人間が真に誇るべき自由は「森への自由」なのでしょうか。むしろ僕たちは「森からの自由」、疎外という苦痛と引き換えに得た自由こそを誇るべきではないのでしょうか?
 僕たち人間は有史以来、自然を改造し続けてきました。僕たちは、ある時はアルトドルファーの描く聖ゲオルギウスのように勇敢に行動することによって、またある時はフリードリヒの描く旅人のように冷静に認識することによって、また多くの場合は行動と認識の一致としての「労働」によって、自然を克服してきたのです。そして僕は、そうやって人間が手に入れた「森からの自由」をこそ美的であると宣言します。
 長い手紙の敬具にかえて、僕はマルクスが述べた次の格言を脱輪さんに贈ります。

血はドイツ国粋派、頭は自由派の気の良い熱狂家たちは、われわれの自由の歴史を、われわれの歴史の彼方に、チュートンの原始林のなかに求める。しかし、われわれの自由の歴史が森林のなかにしか見いだされないとしたら、それは猪の自由の歴史とどこが違うであろうか。

カール・マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」城塚登訳より

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