見出し画像

存在の夢

 こんな夢を見た。
 僕はコンクリートの階段を下へ下へとくだっていた。階段は長く急だった。
 僕は観衆に告げるように大きな声で語った。
「皆様を責めるまでもありません。かく言う私も、小さい頃は『存在』の声に耳を傾けていたのです」
階段は奥底へと続いていく。奥底には僕の見たくないものがある。僕はそれから目を逸らしている。しかし僕は歩を進めることをやめられない。
「僕はかつて『存在』の声に耳を傾けていました。そして僕は、人間たちが『存在』を抑圧することをなんとかして食い止めようと試みました。そうやって僕はこの日本という国を守ろうとしてきたのです。
 しかし、僕は大人になってしまいました。大人になった僕は『存在』の声を忘却しました。皆様と同様、僕も『存在』を裏切ったのです」
 ついに奥底が見えた。長い階段の終着点の周りに、黄色や緑や橙に染まった大小の「存在」が横たわっている。船底のような形をした「存在」、人参のような形をした「存在」、まんぼうのような形をした「存在」……「存在」はみな滑らかな体表を持っていた。目も鼻もないのに、彼らが僕のことを恨めしそうに睨んでいるのが僕にはよく分かった。
 僕は「皆様」に語りかけるのをやめ、「存在」に対して直接に語りかけ始めた。
「許してくれ。僕もお前たちの声を聞き続けたいと思っていた。しかし成長がそれを許さなかったのだ。僕も人間を辞めて――」
「存在」になりたいと思っていたのだ。と言おうとした瞬間、僕は自らの欺瞞に気付いた。
「いや、やっぱり僕は人間でいたい!」
そう僕が叫ぶと、怒りの形相を浮かべた「存在」たちは僕の方へ一斉に突進してきた。「存在」が僕の身体に衝突する。その瞬間、「存在」は僕の表面をすり抜けて僕の体内へと入っていく。それにより僕の身体はぶくぶくと膨張していく。数多の「存在」に同化され、僕は自分の身体が家屋のように大きくなっていくのを感じた。「存在」は、僕に、なった。
 目を覚ました。布団が汗でぐっしょりと濡れている。眼前には自らの手足が横たわっている。僕は先ほどの夢を顧みて悪夢だと思った。また僕は、「存在」に同化されることによって膨張した自分の身体が、そのまま今ここにいる自分の身体であるかのような奇妙な感触を覚えた。

よろしければサポートお願いします! お金は記事で紹介するための書籍代として使います!