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「じゃがいも」のお寺話32 聖徳太子

実は聖徳太子は実在しないとする説があるようです。

タイムマシンで聖徳太子の時代に行って見てくることができない以上分からないのですが、分からないから全て怪しいとなると織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も怪しいとなるような極論になってしまいます。
残された書物を複合的に重ね合わせて、現代まで残る建築物や発掘調査の結果として織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が実在したのはタイムマシンがなくても間違えないでしょう。

ここの文書で、本当に聖徳太子は実在しなかったのか、実在したのか議論できるはずはないですが、世の中にはそんな議論があるという紹介と理解ください。

聖徳太子という名前は本名ではありません。本名は厩戸豊聡耳皇子などと言われます。名前がたくさんあってよくわからないですが、一般的な説明では厩戸皇子、厩戸王との表記が多いように思います。

聖徳太子の活躍を記す公的な資料は日本書紀や上宮聖徳法王帝説と呼ばれる書物と言われます。日本書紀は720年、上宮聖徳法王帝説は法隆寺の高僧が内容を書き綴り810年くらいから1050年くらいかけて作成されたものではないかとされます。
日本書紀には聖徳太子という名前は一切出て来ません。聖徳太子という名前が最初に世に出たのは753年に編集された現存最古の日本漢詩集と伝わる懐風藻という書物とされます。その後、平安時代に成立した文献や歴史書には聖徳太子という名前が定着しているとの説明があります。

聖徳太子という名前は聖徳太子が推古天皇の下で摂政として活躍していた時代にはなかった呼び名です。「聖徳」とは聖人であり徳の高い人を意味する尊敬からくる名称です。「太子」とは推古天皇から次の天皇として皇太子に任命されたことに由来する称号とされます。

厩戸皇子は確かに実在したのでしょう。推古天皇をサポートしたのもおそらく事実でしょう。だとしても、聖徳太子の伝説として現代に残された元になる記録は622年に厩戸皇子が亡くなって100年以上の相当な時間が経ってから作られたものばかりなのは事実のようです。

歴史に刻まれた数々の業績を上げた聖徳太子という人は厩戸皇子という人をベースにして作り上げらた架空の人物なのではないかという説明です。
1人で成した訳ではなく多くの人で成し遂げた仕事を聖徳太子の業績にしたり、実際にはなかった伝説を作ったりした可能がある。聖徳太子1人が成し遂げた業績と断定するには疑問が多いという説明だと思います。上宮聖徳法王帝説は法隆寺に関連する僧侶が作成しているならあり得そうな気はします。
厩戸皇子は実在するが、聖徳太子は実在しないという説明になります。かなり信憑性は高いなぁと思ってしまいます。
最近の教科書などでは「聖徳太子(厩戸王)」のような併記で書かれる場合がほとんどだと聞きます。

聖徳太子は日本の仏教では太子信仰として仏様の1人のように祀られています。聖徳太子を祀る聖徳太子とゆかりが深い寺院は昭和になって法隆寺が総本山の聖徳宗という一つの宗派としています。
厩戸皇子と聖徳太子はガウタマ・シッダールタと釈迦牟尼の関係に類似でしょうか。仮に、聖徳太子が架空の人物だとしても釈迦牟尼と同様に聖徳太子は存在すると考えるのが仏教の信仰上は正しい感覚かなぁと思っています。阿弥陀様や薬師様は架空の方かもしれませんが阿弥陀信仰や薬師信仰に対して架空かどうかの議論をするのはナンセンスの極みに感じます。

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