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ペンネームを変えよう

 ペンネームを変えようと、思い立ったのは年を跨いだ直後の1月初旬のことだった。

 ぼくは「天城信(あまぎまこと)」というペンネームを使っていてかれこれ1年くらいになる。

 そもそも、この名前は去年の6月から第7期が始まった「ゲンロン 大森望SF創作講座」に聴講生として参加するために考えたものだ。下の名前は本名のままにして苗字だけを変更した、という趣向だ。通勤中、自分が運転する自動車の中で思い浮かんだようなとりとめのないもので、文字に起こしてみて字面は悪くないし、口に出しても響きに小っ恥ずかしさもないからとりあえず採用してみた。それを一次創作での名義にしてから今に至る。

 しかしながらこの名前を名乗り続けていると、この文字列に愛着を持ちはじめていた。この名義で出したのは「さなコン3」に出して手痛い講評を食らった短編小説とSF講座の「裏」の方のサイトで投稿した梗概が数編のみだけど、それでもぼくの名前を覚えて貰えている人もいる。だから、あまり崩したくない。押し花を剥がすことを躊躇するようにこの数ヶ月を過ごしていた。

 では、なぜ変えたいのかというと、それは「信」の読みを正しく呼んでもらえないことから起因している。前述のとおり「まこと」と呼んでほしいのだけど(詩人の大岡信と同じ読み)、実際は「しん」と呼ばれることが多い。括弧で読み方を括ってもそう呼ばれる。キングダムの影響なのかどうなのか分からないけど、やはりそっちの読み方がポピュラーのようだ。

 ここまで読み間違えられると。どうしても訂正する煩わしさが気になってしまう。思えば小学校の頃からさいさん読みを間違えられてきた。ペンネームは浮動的な概念だ。だからこそ、ここは譲りたいと思う。

 それでは、どう変えようか? 「信」という文字は残したい。これは祖父から貰った名前だ。そして「天城」も手放し難い。いつかは天城峠を貫く国道414号線を行脚したいし、三島方面から河津町に着いた時「天城が天城を越えましたよ」とも言ってみたい。

ちなみに天城峠はツーリングで良く走っている
写真は河津七滝のうちの一つ

 困った。拘りという名の制約が多すぎる。もはやこれでは変えようがない。ぼくは悩んだ末に、「信」は中国語で「手紙」を表していることを思い出した。それは昔、どこか衒学趣味のある父親から言われたことから初めて知ったことだが、それが不思議と強烈に覚えている。

 それなら「私信」にしよう。これなら一般的に読める単語だし名前の本来の意味も大きく崩さないし。

 ということで、これからは「天城私信(あまぎししん)」と名乗ることにする。もしかして、今書いている文字媒体が将来の自分への手紙かと思ったら、それだけでなんとなしにモチベーションが維持される。名前それ自体が目的因になるのは、それはそれで重たい気もするが。

長々と書いたけど、名前を変えましたよってことでこれからもよろしくお願いします。

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