仲林自伝〜誕生〜

私、仲林は1985年9月17日に武蔵野の地に生まれました。庭は100坪を超える大豪邸(庭が広いだけ)に生まれ、兄貴と親父、母親、お爺ちゃん、おばあちゃんという一般的な家庭で育ったのです。

啓が本名なのですが、外国人と出会った時に覚えてもらいやすいように、この名前にしたそうで、全く今の人生には役に立っていません。ガースさんと話した時にすぐ覚えてもらったぐらいです。すみません、嘘です。ガースさんは一度しか会ったことがありません。

親父も、母親も40歳の時の子供だったため、これでもかというほど甘やかされて生きて来ました。ずーっと子供が出来ず、不妊治療で出来た子供だったそうで、一生懸命生んだ子が、こんな子供で本当にかわいそうです。ガチャだったら運営にクレームが入ってもおかしくないレベルです。

不妊治療で出来た私は、遺伝のため精子が少ないのだろうと思います。つまりは、子供は出来ませんので、安心して女性の方は連絡して来てください。LINEIDは@jagaimoです。嘘です、冗談です。元カノには種無しと罵られた事もありました。いい思い出です。

さて、誕生というタイトルで書きはじめたものの、小さい頃はどんな子だったとか全く覚えていません。

習い事といえば、水泳、サッカー、野球、公文式、など色々やりましたが、結局長く続いたのは公文式だけでした。算数がめちゃくちゃ好きだったみたいで、ずーっと問題を解いていたのは覚えています。サッカーと野球はとりあえず道具を揃えて1、2回練習に行ったら飽きて辞めてました。ご察しの通り、何もかも形から入るタイプです。親にお願いして買ってもらってすぐ飽きちゃうと言うなかなかのクソ野郎ですね。サッカースクールに松田翔太がいたのは唯一の自慢です。

母親の親は離婚をしていて、ギャンブルと女に溺れてどこかにいなくなったそうです。写真の中のおじいちゃんはとにかくめちゃくちゃイケメンでした。亡くなったと言う話は聞きましたが、会った事もないのでなんの愛着も湧きません。父親の親父はお風呂に入ってるのを見たことが無かったく、マジで臭かったのは覚えています。なかなかいい血統を継いでると思いますね。

うちの兄は5個上のオタクでした。毎日ゲームをしていて、学校から帰るとドラクエとFFのレベル上げをさせられていました。FF5の冒険書を間違えて上書きした時は半殺しにされた事もありました。とある日は二重の極みの実験台にされた事もありました。一番キツかったのは刃牙という漫画にハマって筋トレを始めた兄貴のパンチを受け続けた時ですね。筋力の上がった中学生の兄のパンチは小学低学年の仲林には厳しいものがありました。幼少期ながら殺してやると思ったものです。

そんな兄貴の影響で私はアニメと漫画とゲームが大好きで、エヴァンゲリオン、スレイヤーズなどなど、いろいろなアニメを見て育ちました。ゼルエル戦のエヴァンゲリオンの初号機が暴走したところを見てトラウマになりそこから見れなくなりました。

そんな小学5年生くらいの仲林が、とある日、兄貴の部屋でマジカルタルルートくんと言う漫画を探している時に、今まで見た事もないような表紙のマンガを見つけました。なんだこれはと思い、手に取った本には「生殖獣」と書いてあったと思います。※このタイトルだったかは定かではありません。

これこそが少年仲林の性との出会いでした。

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