[京の神社] 北野天満宮 創祀編
みなさん、こんにちは。ゆうさんです。
今日から新シリーズが始動です。
その名も「京の神社」です!!
もちろん「京の寺」も始動させますので、お楽しみに!
今日は有名どころである北野天満宮についての話です。
今回は北野天満宮の創祀についてお話しします。
それではスタートです。
北野天満宮の創始について
北野は地域は「御所の北の原野」という意味から北野という名前になりました。
北野天満宮の御祭神は菅原道真です。これはつまり実在した人物が神として祀られているということです。
菅原道真は今から1000年ほど前、平安時代の貴族です。宇多天皇の時代に重用され、「寛平の治」を支えた1人です。
寛平の治というのは、宇多天皇が891年に藤原基経(当時の関白)の死後に摂関をおかず、藤原時平や道真などの近臣を重用し、政治改革を行なったことです。
宇多天皇の次の天皇である醍醐天皇では右大臣になり、大出世します。
しかし、左大臣であった藤原時平の讒言(道真が謀反を企てているとの噂)により、太宰府に左遷され、その地で亡くなります。(昌泰の変)
道真が亡くなったあと、都では異変が起きます。
醍醐天皇の皇子保明親王が薨去します。さらに、御所内の清涼殿に雷が落ち、貴族が亡くなります。
これが立て続けに起こったことを人々は道真の怨霊と考えたのです。更なる怨霊を恐れた朝廷は道真が亡くなってから20年後に左遷の命を解き、復権させました。
左遷の命が解かれた約20年後の天慶5年(942年)に多治比文子(たじひのあやこ)
という少女に道真からの託宣を受けたとされています。それに基づいて天暦元年(947年)に北野の地にあった東向観音寺の最珍らが朝廷の命を受けて道真を祀る社殿を造営しました。この社殿が永延元年(987年)に一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号が贈られ、北野天満宮となったのです。
さあ、今日はここまでです。
短めでしたがいかがだったでしょうか?
ここで、ゆうさんからお知らせです。
ゆうさんが初めてツアーを開くことになりました。
今回ご紹介している北野天満宮も参拝します。
概要は下記リンクをご参照ください。
https://twitter.com/kyoto_yuusan/status/1488495296455733253?s=21
みなさんのご参加お待ちしております。
次回は見所編です。お楽しみに!
ありがとうございました。
ほな、また〜
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