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「The Empire of Lies Breaks Down: Ugly Truths the Deep State Wants to Keep Hidden(嘘の帝国の崩壊:ディープステートが隠したがっている醜い真実)」

記事の概要

 David Icke.comにある作家ジョン・ホワイトヘッドの記事の翻訳です。

 全体的には悲観的なトーンで、「善が崖っぷちに立っているので、今こそ、沈黙の傍観者になるのをやめ、真実・正義・自由と、自分自身・全人類のために立ち上がらなければならない」という呼びかけで終わっています。

 直截的には今のアメリカに焦点が当てられていますが、同種のことは、世界各地で起きていると言えるように感じます。

 また、傍観者効果と「悪の陳腐さ」への言及もあります。

 日本の腫瘍メディアでは全く報じられない、世界の現状の一端を描き出しています。

 また、途中の18項目は、少し前であれば、陰謀論とくくられ、一部の人しか知らなかったような内容です。

 「政府は、国民に奉仕しているのではなく、国民を抑圧する者たちの手先である」「共和党と民主党は宿敵ではなく、共通の目標に向かって団結した共犯者」「米国政府は、市民の生命・自由・財産にとって大きな脅威となっている」、一部ですが、こうしたことを、「他国のこと」とみなすか、「自国でも起きていることではないか」と考えるかで、その人がどこを見ているかが明らかになります。

 それがこうして、おそらく在米であろう作家によって、ネットに投稿されている意味は大きいのではないかと思われます。


JOHN WHITEHEAD投稿

「The Empire of Lies Breaks Down: Ugly Truths the Deep State Wants to Keep Hidden(嘘の帝国の崩壊:ディープステートが隠したがっている醜い真実)」2021/10/21

原文:

翻訳者:jacob_truth 翻訳完了日:2021/10/25(月)

「世界が危険な場所なのは、悪事を働く人のせいではなく、見ているだけで何もしない人のせいなのです。」アルバート・アインシュタイン


 アメリカは壊れつつある。

 この崩壊――偏向したサーカスのような政治、メディアによって流布された集団ヒステリー、人種差別、階級差別、ファシズム、恐怖政治、政治的正しさ、文化的公衆衛生、美徳シグナリング(訳注1:道徳的価値観の顕著な表現を表す蔑称的な語)、政府の腐敗と残虐性の増大に直面した絶望感と無力感、国民の多くが生活に困窮している経済格差の拡大、軍国主義とミリテイメント(戦争や暴力を娯楽として売り込むこと)が引き金となって――は、狂気と騒乱、そして長い間、全体主義の魔の手から私たちを守ってきた原理と自由を完全に無視することにおいて、現実化しています。

 例えば、ニューヨーク市では、200年前に作られたトーマス・ジェファーソンの独立宣言書を持つ像が、1915年から主宰されている市議会の議場から撤去されています。それがなければ今日の私たちの権利はなかったかもしれない、ジェファーソンの多くの重要な業績にもかかわらず、彼は当時の多くの人々と同様に奴隷所有者であったという理由で追放されています。不思議なことに、無謬性への残酷な期待は、他の多くの政治的に正しい、しかし同様に不完全で誤りやすい今日のロールモデルには、まだ適用されていません。

 ワシントンDCでは、9人の男女からなる法廷が、政府とその子分が文字通り殺人を犯しても(訳注2)、その悪事の責任を問われないようにするために、一斉に発言しました。最高裁の最新の判決は、コンプライアンスに関する痛切な教訓(訳注3)を改めて示しています。アメリカの警察国家では、誰が脅威なのか、何が抵抗になるのか、そして「奉仕し、保護する」ために任命された市民をどれだけ厳しく扱うことができるのかを決める、ほとんど絶対的な裁量権を持つ法執行官に、「我々国民」が翻弄されていることを思い起こさせます。

 カリフォルニア州からコネチカット州まで、そしてその間のあらゆる地域で、何年にも渡って、仕事に誠実かつ真面目に取り組んできた男女が、以下のことを信じる勇気があるという理由で解雇されています。つまり、自分には身体的一体性を保つ権利がある。個人の自由と経済的な生存の間で、良心や判断に反して選択を迫られることがあってはならない。そして、自分の体の主権を持っているのは――政府でも、FDAでも、CDCでも、企業体でもなく――、自分自身である、ということです。都合のいいことに、このCOVID-19の流行は、「私たち国民」がこの国をナビゲートする方法に、またしてもダブルスタンダードを生み出しました。「私たち中産階級」がワクチン接種を義務づけられ、いわゆる治療法の効果はおろか、COVIDウイルスの起源を疑う権利すら否定されている一方で、政府・企業・製薬会社は、包括的免責法によって責任から守られており、私たちは彼らの疑わしい実験のモルモットに過ぎないことが保証されています。

 ペンシルベニア州では、通勤電車に乗っていた男が、女性に間断なくハラスメントをし、暴行を加え、さらには、その様子を撮影していた乗客たちが何もしない間に、40分以上かけて、20数カ所の駅で、レイプしました。目撃者は一人も、911に通報しませんでした。その場に居合わせた人は一人も、その女性を助けるために介入しませんでした。この男性は多勢に無勢で、列車の乗客たちに圧倒される可能性があったにもかかわらず、彼らは、集団で、女性への攻撃を防ぐ努力をしませんでした。警察が介入してきたのは、被害が拡大し、列車が終着駅に到着してからでした。

 ここには、私たちの国と市民に起こっていることについての寓話があります。彼らもまた、狂人(ディープ・ステート)によって待ち伏せされ、セーフティネットを剥奪され(権利が損なわれ、侵食され)、そして、人間性を欠いた凶暴な悪魔(アメリカの警察国家とその多くの工作員――裁判所、議会、そして、その様々な軍隊)に襲われています。その一方で、標的になっていない人たちは、助けようともせずに、遠くの、安全なところから、見ているのです。

 これは狂気の沙汰ですが、この狂気には方法があります。

 こうやって自由は失われ、専制政治が台頭してくるのです。

 過剰な犯罪、無実の市民の監視、非暴力・無被害の犯罪に対する投獄など、権威主義的体制は、段階的に始まることを忘れてはなりません。国家の安全保障のために、市民の自由が少しずつ制限され、損なわれていくのです。そして、徐々に人々は、服従し始めます。

 狙われている人のために声を上げる人は、誰もいない。

 誰もこれらの、目立たない抑圧行為に抵抗しない。

 誰も専制政治への教化を、ありのままに認識していない。

 歴史的に見ても、権力に対して真実を語ることができなかったために、全国民が同胞に対する言葉にならない残酷さを容認するように仕向けられてきました。これが傍観者症候群であり、人々は救いがたいような恐怖や不正に直面しても――ただの傍観者として――、黙って見過ごしてしまうのです。

 ローマ人による罪のない人々の磔や虐殺、異端審問の拷問、ナチスの残虐行為、ファシストの虐殺、共産主義者による流血、そして軍産複合体による冷血な戦争マシンなど、過去の政権が権力追求のために犯した暴力から、私たちは時間によって隔てられています。

 私たちはこのような暴力とは、縁を切ることができます。自分たちは政府による虐待の被害者とはどこか違うのだと、納得することができます。私たちは、証拠があるにもかかわらず、アメリカがいかに素晴らしいかという空虚な政治的レトリックを言い続けることができます。

 私たちは、政府の責任を追及する責任を回避することができます。

 私たちは唇のチャックを閉め、手を縛り、目を閉じることができます。

 言い換えれば、私たちは否認し続けることができます。しかし、日を追うごとに明らかになる醜く厳しい真実を否定することはできません。


 1.  政府は、私たちの友人ではない。「我々国民」のために働くものでもない。

 2.  いわゆる政府の代表者は、実際には私たち市民の代表ではない。私たちは今、権力と支配を永続させることを主な目的とする、政府や企業の利害関係者による寡頭制エリートに支配されている。

 3.  共和党と民主党は、自分たちの政策に大きな違いがあるかのように振る舞いたがる。しかし、彼らは宿敵というよりも、現状維持という共通の目標に向かって団結した共犯者である。

 4.  2つの悪のうちの1つは、やはり悪だ。

 5.  何年か前、ある新聞の見出しにこんな質問が出たことがある。「政治家とサイコパスの違いは何か?」昔も今も答えは同じで、「ない」だ。サイコパスと政治家の間には、事実上、何の違いもない。

 6.  テロリズムよりも、国内の過激派よりも、銃による暴力や組織犯罪よりも、政府が我々を守ると主張するいわゆる危険性のどれよりも、米国政府は、市民の生命・自由・財産にとって大きな脅威となっている。

 7.  政府は、どのボタンを押せば大衆を操ることができ、大衆の協力と迎合を得られるかを正確に把握している。

 8.  投票することで何かが変わるのであれば、彼らは、私たちに、そんなことをさせはしない。

 9.  アメリカの影の政府――選挙で選ばれたわけではない政府官僚、企業、請負業者、書類作成の役人、ボタン操作者などで構成されている。彼らは、今現在、舞台裏で実際に采配を振るい、市民への実質的な説明責任を果たさずに、憲法の範囲を超えて運営している――は、「私たち国民」が政府をコントロールできない本当の理由である。

 10.  アメリカではもはや、貧乏であること、黒人であること、罪を犯していることで犯罪者扱いされることはない。必要なのは、アメリカの警察国家の容疑者階級――つまり、市民――に属することだ。このいわゆる犯罪者集団の事実上のメンバーとして、全ての米国市民は、無実が証明されるまで有罪となる。

 11.  「私たち国民」は、もはや法の支配に守られているのではない。私たちの自由――言論の自由、集会、適正手続き、プライバシーなど――を徐々に削っていくことで、政府は事実上、憲法上の権利を尊重するという契約上の合意から自らを解放し、政府の長い腕から私たちを守るための権利章典がなかった時代にカレンダーをリセットしてしまったのだ。

 12.  財産没収の企み、土地収用、固定資産税の滞納など、政府が薄っぺらな口実で家や車、お金を奪うことができるなら、私有財産は何の意味もない。同様に、SWATチームやその他の政府のエージェントがあなたの家に侵入し、ドアを壊し、あなたの犬を殺し、あなたを傷つけたり殺したり、家具を壊したり、家族を脅したりできる時代には、私有財産はほとんど意味を持たない。

 13.  私たちは今、個人の権利と、いわゆる「非常事態」国家との対決の矢面に立たされており、「私たち国民」は負けているのだ。

 14.  私たちが大切にしているこれらの自由――つまり憲法に謳われている自由は、言論や集会の自由、適正手続き、プライバシー、身体的一体性、警察が令状なしに財産を差し押さえられない権利や正当な理由なく捜索・拘留されない権利を保障するものである――は、政府やその代理人が、政府の行き過ぎた行為に対する禁止事項を自由に無視することが許される場合には、何の意味も持たない。

 15.  連邦政府に絶対的な法則があるとすれば、それは「アメリカの納税者は常に食い物にされる」ということだ。

 16.  政府官僚の間では、わずかな刺激でいつでも誰でも捜索、押収、剥奪、スキャン、スパイ、調査、身体検査、テーザー銃、逮捕を行う権利があるという考え方が主流であるため、私たちの自由――特に憲法修正第4条――は、窒息し続けている。

 17.  強制的な予防接種、強制的な虫歯検査、強制的な大腸内視鏡検査、強制的な採血、強制的な呼気アルコール検査、強制的なDNA抽出、強制的な目のスキャン、強制的な生体情報データベースへの登録。このように、アメリカ人は、政府関係者との面会時に自分の体に何が起こるかをコントロールできないことを思い知らされ続けているのである。

 18.  最後に、自由は決して無料ではない。自由を守るためには、必ず代償――必ず犠牲――があるのだ。


 政府の継続的な策謀、権力掌握、人道に対する犯罪を前にして、私たちは、沈黙を守ることはできません。

 官僚主義を装った悪は、やはり悪です。ハンナ・アーレントが「悪の陳腐さ」と言ったのは、まさにこのことです。

 私の著書『Battlefield America: The War on the American People(戦場のアメリカ:アメリカ国民に対する戦争)』や、そのフィクションである『The Erik Blair Diaries(エリック・ブレアの日記)』で明らかにしているように、このような悪は、(政府や企業の)官僚が、不道徳で非人道的な命令を疑わずに実行し、不道徳な指示に無思慮に服従し、暴君と歩調を合わせて行進し、テロや非人道的な行為を無心に永続させ、それを「自分の仕事をしているだけ」と正当化することで起こります。

 善良な男女が何もしなければ、このような悪が蔓延します。

 不正や憎しみ、悪行に対して、何もせず、沈黙し、傍観者となることで、善良な人々も加害者と同罪になってしまうのです。

 (強盗やレイプ、いじめ、見殺しなどの)恐ろしい行為が行われていて、自分の身に危険が及ばない場合でも、人々が傍観して何もしないという現象を、「傍観者効果」と言います。

 いじめっ子が校庭で仲間をいじめるのを見ている子供たち、歩道で人が死んでいくのを見ている傍観者たち、レイプされている人を助けようともせずに撮影している電車の乗客たち、政府の残虐行為を目の当たりにして黙っている市民など、様々な場面で同じようなことが起こります。

 沈黙の傍観者になるのを、やめなければならない。

 今こそ、真実のために、正義のために、自由のために、自分自身のためだけでなく、全人類のために立ち上がる時です。明日では遅すぎるかもしれません。

コメント1:政治家はサイコパス

 二点、コメントします。

 今、日本では、衆議院議員選挙が行われています(投開票は2021/10/31)。

 個人的に不可解だと感じるのは、567茶番や毒珍の危険性に気づいているはずの人でさえ、投票に前向きであったり、特定の立候補者を好意的に紹介している点です。

 選挙前に行った公約を、あっさり破るのは、何も特定政党の人間だけではありません。

何年か前、ある新聞の見出しにこんな質問が出たことがある。「政治家とサイコパスの違いは何か?」昔も今も答えは同じで、「ない」だ。サイコパスと政治家の間には、事実上、何の違いもない。

 デーヴィッド・アイクの本を読んで、政治情勢を見回してみれば、この通りであることに気づきますが、このことは米国だけでなく、世界各国の政治家に当てはまります。

 サイコパスは嘘を何度言っても良心の呵責を感じませんが(例:英国のトニー・ブレア、米国のバラク・オバマ)、それと同様に、選挙運動中に述べた公約を反故にしたり、真逆のことを行う政治家たちも、おそらく「良心」なぞ、元々ないのでしょう。

 彼らが「約束を守る人々」だと期待するから、失望するのです。

 「約束を破ることを何とも思わないどころか、ハナから守る氣さえないサイコパス」だと思っていれば、そういう期待をせず、もっと事態を違った風に見られるのではないでしょうか。

 ただ、実際、投票に行かないのも、国民をないがしろにする人々の利益になるわけで、私は今回の選挙について、非常に悩ましいものを感じています。

コメント2:傍観者効果

 次に傍観者効果について。

 "不正や憎しみ、悪行に対して、何もせず、沈黙し、傍観者となることで、善良な人々も加害者と同罪になってしまうのです。"

 私は中学でいじめられた経験があります。

 加害者は数名でしたが、それを超える数の傍観者は何もしませんでした。

 ホワイトヘッドは、悪行に対して、何もせず、沈黙し、傍観者となることは加害者と同罪になると示唆しています。

 ここまではっきり言える人が、日本にどれだけいるか、わかりませんが、私がいじめの被害者だった時は、こういう論調はなかったと記憶しています。

 よくあるのが、「被害者を庇うと自分も標的されるのが嫌だった、怖かったから傍観していた」というものですが(理解はできます)、今まさにいじめの標的にされている人の苦痛や恐怖という視座が完全に抜けた保身の論理です。

 本当に致し方ないですが、恐怖や苦痛を感じると、人は爬虫類脳で考えるようにプログラムされていますから、これらを超えて、「自分はどうするか」を考え、あるいは瞬時に動ける人は、普段から、爬虫類脳に屈しない生き方をしている人なのでしょう。

 とはいえ、ホワイトヘッドの論理では、傍観は悪を黙認することであり、不正義に他なりません。

 木村拓哉が主演のゲーム『ロストジャッジメント』でも、いじめの問題と傍観者効果について取り上げられていました。

 これは終盤のプレイ動画ですが、良かったら、このプレイヤーの動画を御覧下さい。

 この作品は、いじめと、いじめ加害者に甘い法律と泣き寝入りするしかない被害者との間に横たわる正義の問題、万人に平等であるはずの法が不完全であるがゆえに救われない人が出る、という重くて深いテーマを正面切って取り上げており、一つの教材として、非常に優れていると感じます。

 主人公の八神隆之のように、「法が救えない人たちを守りに行く」と言えたらカッコイイでしょうが、現実は、容易なことではありません。

 傍観者にならないためにはどうしたらいいのか。答えはありませんが、普段の自分のあり方が、不正や悪行の発生に出くわした時に、問われるように思われます。

 ホワイトヘッドの記事にあるような、ペンシルベニア州の電車で起きたようなことに遭遇した時、「おい、やめろよ」と動けるか。加害者を取り押さえられるか。

 非力でも、そういう時、傍観者にならない選択ができるようでありたいものだと、私は思います。



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