キリスト教にも、輪廻転生の考えはあった
キリスト教にも輪廻転生があった?!
キリスト教では輪廻転生の教えは否定されている、とされている。
しかし、最初からそうだったわけではない。
ほとんど抹消されているものの、旧約聖書にも新約聖書にも、実は輪廻転生のことが書かれていたという。
『前世療法』の記述
ブライアン・L・ワイス博士の『前世療法』に、その辺りの来歴を書いた記述がある。
(この本は、過去世退行療法について、医者が著した先駆的な書物である)。
「紀元三二五年、時のローマ皇帝、コンスタンチン大帝はその母ヘレナとともに、新約聖書の輪廻転生に関する記述を削除した。紀元五五三年にコンスタンチノープルで開催された第二回宗教会議において、この削除が正式に認められ、輪廻転生の概念は異端であると宣言されたのであった。人類の救済は輪廻転生をくり返すことによって行われるという考え方は、巨大化しつつあった教会の力を弱めるものだと、彼らは考えたのである。」(『前世療法』第三章)
輪廻転生の考えを受け容れれば、「教会の与える救済を信じなければ救われない」とか「イエスを救い主として信じれば救われる」という考えはすべて吹っ飛ぶ。
つまり、政治的な決定だったということだ。
キリスト教にはこういうおかしな話が数限りなくある。
しかし、初期のキリスト教の教父たちは、輪廻転生の概念を受け容れていたという。
アレキサンドリアのクレメンス(150~215)やオリゲネス(185~254)、聖ジェローム(340~420)らは、自分達は昔も生き、再び生まれてくると信じていた。
補足するが、これは、ワイス博士が、自分の患者に催眠療法を試みたら、過去世のことを患者が語りだして、自分の医学的知識と心の声との間で、悩んでいる文脈で出てくる記述である。
この時点では、彼は輪廻転生には懐疑的だった。
転生情報をどう使うか
転生の情報は、今から目を逸らすための逃避として使うこともできる。
あるいは、自分が何回も生まれ変わった後に、今の人生を生きており、死は恐れるに値しないという前向きな使い方もできる。
この点は、他の情報と変わらない。
自分を生かすために使うのか、それとも、より良き可能性に目を閉ざす方向に使うのか。
それが信頼するに足る情報であれば、自分の可能性を開く方向に使いたいと、私は思う。
( ´∀`)サポート本当にありがとうございます!!😭😭😭🥰🥰🥰 ( ・ ∀ ・)ご恩返しするためにも、今後も一生懸命頑張ります!!😊😊😊