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人としての矩を超えないために

 こちらの破壊天使さんの記事とコメント欄を読んで、最近、感じていることをまとめてみたいと思います。

 本当は、天使さんの記事のコメント欄に書こうとしたのですが、制限字数を超過することが予想されたので、独立した記事にすることにしました。

 最初に申しますが、しろのさん、天使さんへの批判的意図はありません。むしろ、常に有益な内容を発信していただいて、日々、感謝しております。

しろのさんのコメントより引用

 しろのさんがコメントで、こう書いておられました。

私も未来の事はわからないですので、何時どうなるとか予想する気はないですけども、過去に起こったことを説明しようとすると、なにかしらの善側・白帽側の暗躍とその意図通りに運んでいると見るほうが、絶望論者的な説明よりは理に適っていると思うんですが、だからといってなにがどうなって世界が救われるとかみんなが目覚めるとかはわかりませんw

 軽く書いておられますが、「わからないことはわからないから、予想する気はないですが」というのは、とても真っ当な態度です。

 また、天使さんも、「現時点での」「推測です」と断っていて、予防線を張る意味もあるのかもしれませんが(「ここ、違うじゃねえかよ、ドヤッ」と言われた時のためかな)、「わからない部分はあるので、そこを込みでお願いします」と留保しているのは、いいと思います。

 何が自分にわかっていて、何がわからないのか。何が事実で、何が自分の推測・印象・感覚・直感なのか。常識だという声もあるでしょうが、これをきちんと区別できているのは、それができない人が多いからこそ、貴重です。

やるやる詐欺に憤りを覚える

 私は最近、「やるやる詐欺」に強い怒りを覚えます。

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 youtuberやTwitterの大型インフルエンサーには、このタイプの人が多く、特にメドベッド関連の話には、非常に憤りを覚えています。

 世の中には、高額の医療費・介護費をかけながら、容易に治らない病を抱えて、治療・療養に励んでいる方がたくさんおられます。

 当事者・家族・看護や介護に当たる方の苦悩・負担は、私の想像を絶します。

 そういう人たちが、もし「もうすぐメドベッドで、すぐに病気が治ります」という情報を見たら、どう感じるでしょうか。

 本当に実現するかどうか、誰も知らない、わからないのに、「病気のない人生」を想像させておいて、しかも「すぐ」が一向に実現しないと知った時、その病者・家族の絶望はいかばかりかと思います。

 そして、「やるやる詐欺」をやった人は、自分の発言が実現しないことを悪びれることなく、反省することなく、また同じようなことを繰り返す。

 嘘を吐いて良心の呵責を覚えなくなったら、人として一線を超えているのではないでしょうか。

思わせぶりやるやる詐欺

 こうしたサイコパスのようなところまで行かなくても、自分の直感・感覚から、思わせぶりなことを言う人も少なくありません。

 未来について「良くなる感じがします」とか「何かいいことが起きると思います」と言う人たちです。

 でも、そういう人たちを一定期間見ればわかりますが、社会的・世界的に何も良いことは起きていない。

 そして、自分の予想か妄想が外れても、詫び一つ入れるわけでもなく、しばらくすると、また同じことを繰り返す。

 身近にこんな友人・同僚・上司がいたら、すぐに離れたくなります。

 軽薄な人間と付き合っても、何一ついいことはない。

 ネット上では、気づいた時点で、離れます(関わり続けると、周波数が同調してしまうので。後述)。

 個人レベルで、「何か今日は仕事がうまくいきそうだ」とか、「何でもやれそうだ」というのはあるわけで、そういうのは、程度にはよるものの言っていいと思います。

 ただ、人の心を弄んでいて――弄んでいる自覚はないでしょうが――、予想が外れたら、反省しない、反省できないというのは、人としてどうなのでしょうか。

"保留"で責任を回避する人々

 こういう思わせぶりな人に向かって、「公開情報では、あなたの言ったことは起きていません」とか「あなたの言ったことは、いつ実現するのですか」と言うと、「今は情報が完全に明らかになっていないので、保留でお願いします」と言う人がいます。

 保留の使い方を間違えている。

 真実を求めて、情報の真偽を慎重に精査していく態度なのに、自分の無責任を覆い隠す口実に用いている。

 こういう人が、「真実を求めている」だの「脱洗脳」だの言うのを見ると、笑止千万と言わざるを得ません。

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意識を向けた周波数・人と同調する危険

 また、これは、私の推測ですが、何に、どういう人に、自分の意識を向けるかは、つくづく大事だと考えています。

 デーヴィッド・アイクが『今知っておくべき重大なはかりごと2』(ヒカルランド、2019)で、土星の周波数に意識を向けることで、人が変わっていく話を書いています。

 またいずれ詳しく書ければと思いますが、土星は悪魔崇拝者の星で、制限・支配・破壊という意味が占星術にはあります。

 人々の知覚を歪ませ、恐怖や不安が常時出るようなシステムを地球に構築したのも、元を辿れば、土星に行きつくと、アイクは推測しています。

 次に引用することでは、フリーメイソンの儀式や式典、及びそこで使われている土星のシンボル――目あるいは万物を見通す目、不等辺四辺形と目、立方体、十字架(立方体を分解する)、六芒星――に、会員が触れ続けることで、感情の薄い人物になっていくことが述べられています。

"ほとんどのフリーメイソン会員は、儀式や式典を通じて、知らぬまに土星(中略)の周波数に閉じ込められている。新入会員としてロッジに参加したときにはふつうの人格だったのに、それ以後は悪意に満ちた、感情の薄い人物になっていくという話は何度も聞いている。全員が、というわけではないが、多くの人はそうなってしまう。"(p,361-362)

 シンボルは人間の潜在意識に話しかける手段であり、意識の検閲をすり抜けてしまう働きを持っています。

 ここでアイクが言っているのは、土星に関わるシンボルの建物内で、土星のシンボルを使った儀式に参加し、土星のシンボルに自分の意識を合わせることを誘導されることで、その人は、徐々に土星の周波数に同調して、人間らしさを失っていく、ということです。

 周りを見てみれば、私たちの生活には、土星のシンボルが溢れています。

 意識を向けていいものではないので、一つだけ、例を出します。

 ハートチャクラのマークで、こういうものがあります。

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 六芒星ですよね。

 これに意識を向けていると、ハートチャクラは閉じてしまいます(そういうものだとわかって、一瞬、チラ見するぐらいは問題ありません)。

 六芒星は悪魔の周波数なので。

 そういうことをわかった上で、罠として、こういうマークを、流布させています。

 ハートチャクラが閉じれば、人の痛みに寄り添うことや共感はできなくなりますし、人間的な優しさもなくなり、自分の暴力や嘘も自覚しにくくなっていきます。それどころか、おかしな手段を、奇妙な論理で正当化することさえするようになります。

 こうして、フリーメイソンでは、人為的にサイコパスを作るのでしょう。なぜなら、そういう「人の心」を持っていてはためらうことを行うからです。

教会の人々の変化

 私は、アイクが言っていた「最初はふつうの人格だったのに、それ以後は悪意に満ちた、感情の薄い人物になっていく」というのを、教会で目の当たりに見ています。

 教会に来る前は、ふつうの人格、他人の痛みがわかる人だったのに、足繁く礼拝に通い、儀式に参加し、十字架――土星のシンボル――に意識を向け続けるようになると、徐々に、他人の痛みに鈍感になり、嘘に嘘を重ねる人間になっていく人を何人も見ました。

 全員ではなかったものの、多くの人がそうでした。

 「神の愛」を語りながら、他人を見下し、そのおかしさに気づいていない人もいました。

 おまけに、牧師やそれなりに立派な経歴を持っていると、教会で賞賛してもらえますから、よほど自己認識力のある人でない限り、おかしな方向に行くのは免れがたい。

 例えば、20代で牧師になって、全く実績がなくても、周りは「先生、先生」と言いますから、「俺はすごいんだ」と勘違いする人が出てもおかしくない。

 さらに、土星の周波数とつながる儀式を定期的に行っていれば、真っ当な人間性を維持できる方が不思議です。

 こういう儀式に出ながら、真面目に聖書を読んで、祈りながらも、こういう方向に行かなかった人というのは、私の周りでは、自分軸を持ち、自他の感情・感覚を尊重し、異なった考えに開かれている人でした。

嘘吐きに意識を向け続けると、その周波数と同調してしまう?

 何に意識を向けるのか、どんな周波数と同調するのか、そういう話でした。

 前置きが長くなってしまいましたが、ある情報発信者を紹介・翻訳・拡散するとします。

 もしその元の人が、嘘を吐いたり、「やるやる詐欺」をやったりして、何の良心の呵責も覚えない人だったとしたらどうでしょうか。

 その人に関心を向け続けることは、その人の周波数に自分を同調させることにならないでしょうか。

 そして、相手の考え方や価値観に知らぬ間に侵蝕されてしまうのかもしれません。

 さらに、自分が嘘ややるやる詐欺をし、それに気づかず、無自覚になり、「自分は正しいことをしている」という自己正当化に陥るのかもしれません。

人としての一線を超えていながら、それに気づかない恐ろしさ

 ある人が詐欺行為や犯罪行為をしたのは確かなのに、「この人の情報は真実だと思います」と言うのは、何か、おかしな感じがしないでしょうか。

 子どもを何人も苦しめていても、情報が真実なら、いいのでしょうか。

 こういう発想に、何というか、人としての矩を踏み越えていながら、それに気づかない恐ろしさを、私は感じるのです。

 しろのさんがこちらでリストアップしている”The team”のメンバー。

 何一つまともなことを言わないので、しろのさんは、汁=工作員と見ていますし、私も、何人かについては、そうみなすようになっています。

 この”The team”のメンバーの発言を紹介・翻訳している人が何人かいますが、その人たちは、最終的に元の発信者が嘘吐きだったとわかった時、「嘘を発信していた」と認めるのでしょうか。

 「嘘はあったかもしれませんが、ここには世界の見方を広げる有益な情報がたくさんありました」という、自己正当化を口にするのではないかと予想しています(この予想が外れてくれることを願っています)。

 もし本当に嘘だったとはっきりわかって、それが何ほどか悪影響をもたらしたり、人の心をかき乱したと想像できるなら、「私はここに有用な情報があると思って、紹介してきましたが、嘘だったと知ってショックです。また、真実だと思った方には、申し訳なく思います。ごめんなさい。ですので、もう今後は取り上げません。」となるのではないでしょうか。

 嘘だったとはっきりわかっても、なおその発信を続けるのは、なぜでしょうか。自分のしてきたことが無駄だったと認めたくない弱さでしょうか。

 これは、サンクコスト効果に陥って、合理的な意思決定や判断ができなくなっている状態と言えます。

 自分のしてきたこと、そこにかけてきた時間・労力・エネルギー・お金の全てが無駄だったと認めるのは、それが多ければ多いほど苦痛ですが、それをしなければ、過ちを改めることはできません。

 それができる人は、賢く、勇気のある人だと、私は思います。

 そういう人には、手を差し伸べたいと考えます。

 なぜなら、その人は自分の弱さに真っ向から向き合ったからです。

感性、眼力、性根、人間性の試される時代

 それにしても、Uさんの言われるように、「感性、眼力、性根が試される時代」だと感じます。

 こういう犯罪者や重度の中毒・依存症でなくとも、前述したように、嘘吐きの周波数と同調している人と関わるのも、避けなくてはなりません。

 感性、眼力、性根に加え、自身の人間性の陶冶が欠かせないと、改めてひしひしと感じます。  

 しろのさんのどの記事だったか忘れましたが――確か"The team"のメンバーについての話――、「ぶっ飛んだ話を見たら、常識的な人から見て、どう見えるかを考えるのが大事」、そんなようなことを述べていたのを、今でも印象深く思い出します。

 確かに証拠があって、ぶっ飛んだ話もある一方、根拠不確かな物語もあります。

 ですから、根拠薄弱な状態でヒートアップしないためにも(ネットにはこんな人が多い)、「一般社会の人から見て、この情報はどう見えるか?」という視点は、時に必要でしょう。

 このデビッド・バーンズの「認知の歪み10項目」も、折々に参照したいと思います。

 「認知の歪み」は、バーンズの『フィーリングGoodハンドブック』が出典です。

 私自身は、認知の歪みというのは、弱さ以外の何ものでもないと思うので、ゼロになるように努めていきます。

 認知の歪みから完全に無縁の人というのはおそらくいないと思いますが(多方面からのストレスがかかれば、誰でもなり得る)、これを持っていても、人生が徒に困難になるばかりですから、ゼロを目指して歩みます。

 目的ではなく、手段にこそ生き様が現われる。


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