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迷宮なしの名探偵とは誰のこと?

『名探偵コナン 純黒の悪夢』を見た

 最近、『名探偵コナン 純黒の悪夢』を見ました。

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 2016年4月16日に公開されたアニメ映画で、劇場版『名探偵コナン』シリーズの20作目に当たります。

 黒の組織と、FBI・CIA・公安警察が初めて対峙・関与します。

 粗筋は、ウィキペディアに載っているので、そちらをご覧ください。

作品の基本設定

 ご存知ない方のために、ご説明しますが、この作品の主人公は、小学1年生の江戸川コナン。

 彼は高校生探偵、工藤新一が、黒ずくめの服装をした男たちに毒薬を飲まされ、縮んだ姿です。

 それは、幼馴染である毛利蘭とのデートの帰りに、彼らの怪しい取引現場を目撃したためです。

 男たちは、殺意をもって毒薬を飲ませているので、正体がバレたら、また狙われる可能性があります。

 それで、江戸川コナンと名乗り、蘭の父親・小五郎がしている探偵事務所に転がり込みました。

 そして、知人の阿笠博士に作ってもらったテクノロジーと頭脳を駆使して、小五郎の扱う事件の解決に関わります。

 そうして事件解決をして、小五郎の知名度を上げながら、自分に毒薬を飲ませた男たちの組織(黒の組織)について、情報収集をしていきます。

 新一の目標は、本来の姿に戻ることと(今は薬で一時的に戻れるだけ)、組織の壊滅と思われます。

自分の正体は一部の人しか、知らない

 自分の正体がバレたら、いろんな人を危険に晒します。

 江戸川コナンの正体を知っているのは、自分の両親、阿笠博士、組織にいた時にシェリーと名乗っていた灰原哀、「西の高校生探偵」の服部平次など、ごく一部に限られます。

 正体は知らないものの、子供とバカにせず、コナンの頭脳や行動力に一目置いている警察関係者・諜報機関の人もいます。

少年探偵団の三人に理解されないコナンの真意

 黒の組織が関わっていない場合は、コナンの同級生である少年探偵団の三人がいても、様子を気遣ってはいますが、強く警戒してはいません。
 
 しかし、劇場版で黒の組織が絡んでいる時に、はっきりわかりますが、黒の組織が関与している、あるいは関与が疑われるという場合は、好奇心で首を突っ込んでくる少年探偵団を制止することがしばしば見られます。

少年探偵団

 ただ、探偵団の三人からすると、背景が全くわからないので、なぜコナンや灰原が強く怒っているのか、強く止めるのかが、理解できません。

 それゆえ、「何か、自分たちに教えたくない情報や宝がある」と短絡的に考え、別ルートから首を突っ込むというパターンが見られます。

 こちらの記事で、持っている知識や情報の多寡で、物事の見え方が変わることを指摘しました。

 コナンたちは、子供たちの生命の危険を考慮して、警告・制止しているのに、(物語の筋上、止むを得ないとはいえ)子供たちは、逆のことをしでかします。

コナン世界に見る現実の反映――眠れる羊と目覚めた人

 作品を見ながら、コナンたちと、子供たち・蘭・毛利探偵・一般警察官の世界というのは、目覚めた人と眠れる羊の対比そのものだと感じました。

 この作品の場合、不用意に真実を拡散すると、全員、消される可能性があります。

 しかし、少し前まで、我々の世界でも、それが広く行われていたことは、調べてきた方なら、おわかりのはずです。

 特に、悪人が隠したい事柄であれば、「真実の拡散」は、極めてリスキーな行動でした。

 また、作品内では、誰かが甘い言葉を囁くと、大抵、少年探偵団はホイホイとそれに従って、ついていき、場合によっては危険な状況に陥ります。

 それに対する警告がある場合とない場合がありますが、それは作品内の展開によります。

 コナンや灰原であれば、話し方や内容、風貌などから、怪しいかそうでないかはわかりますが、少年探偵団の視点からは「怪しそう」「良さそうな人」という漠然とした判断になりがちです。

 我々の現実世界で言えば、きちんとした「専門家」が、テレビや新聞で何かを述べていれば、「信頼できる」とみなして、それ以上、調べようとしない人に似ていないでしょうか。

 そして、作中では、眠れる羊と目覚めた人の見える世界が混在していることがわかります。

 これは、我々の世界でも同じです。

 しかし、見ている景色が異なるので、そこから出てくる判断や行動は異なります。

 『名探偵コナン 純黒の悪夢』では、東都水族館の観覧車が、ある事柄の舞台になります。

 そこは危険地帯になるのが、コナン初め、何人かに予想されています。
 
 しかし、そういうことを全く知らない少年探偵団は、水族館を作った鈴木財閥のコネを使って、観覧車に乗り込んで、はしゃいでいます。

 見る人によっては、その光景は、「巨大な狼の口に自分から飛び込む羊」に見えるかもしれません。

「567ワクワク、打てば、安心!」

 実際、危険な状況に陥りますが、彼らは何が起きているかを全く知らないので、コナンや灰原が来るまで、全くなすすべがありません。

 そういう状況に陥っては手遅れになるから、そこに行かないように止めているのですが、止められている側は理解できないし、理解しようともしない。

 567ワクワクを心待ちにしており、それを接種すれば、安心だという人たちを、少年探偵団に重ねて見ることもできるかもしれません。

 危険性を知っている人からすれば、コナンや灰原のように、切羽詰まった顔をして止めたくなるのも、無理からぬ話です。

ヒット作品は、「真実」を含む

 先の記事でも述べましたように、ヒットする作品は、何かしらの「真実」を含んでいます。

 原作漫画はもちろん、アニメや劇場版が、これだけ長期間にわたって愛されている『名探偵コナン』も例外ではありません(原作漫画の刊行開始は1994年)。

 「この世界には、一般人の知らないところで、よからぬことを画策・実行している組織がある。そのメンバーは、一般人がどうなろうが、全く何も思わない、ほとんど共感力ゼロの人間ばかりである。全貌や目標はわからないが、いくつかの事件から、彼らが社会にとって害しかなさないのは明白であり、それを止める必要がある」というのが、「真実」でしょうか。

 人類を何とも思っていない点と、共感力ゼロという点は、レプティリアンに遺伝子操作されたハイブリッドを思わせます。

 組織は、DS・カバール・自由素麺・イルミナティを思わせます。

 ただ、組織のシンボルマークが出てないので、これは外れているかもしれません。

 どこから仕入れているのか、大量の武器や、大規模な研究機関など、怪しい点も多々あります。

 そして、各国の諜報機関に劣らぬ諜報能力。

一人の英雄ではなく、団結して立ち向かう

 おそらく、黒の組織の方が、全体的なパワーは、主人公たちより上です。

 ただ、一つ一つの物語の展開上、主人公たちが対峙する組織のメンバーは、一人から少数に限られます。

 だから、小五郎が事件を解決することで、知名度を上げると共に、コナンはいろんな人と知り合って、彼らと団結する必要があるのでしょう。

 工藤新一の頃は、自分一人で事件に首を突っ込み、解決するというパターンだったようです。
 
 それがために、物語冒頭で危険な目に遭ったわけですから。

 そうすると、「巨悪と戦う」のは、一人のヒーローだけで済む話ではなく、いろんな人と手を取り合って、団結して取り組むことだというのが、この作品に込められた、一つのメッセージなのかもしれません。

巨悪と戦う小さな力を描く物語を見て、カタルシスを味わう

 少年探偵団は、眠れる羊を象徴していると、見ることができると思われます。

 彼らは、自分の狭い範囲の情報・知識と限られた視野しか持っていないだけで、主人公たちの敵ではありません。

 眠れる羊たちの行動にやきもきしていても、彼らが、目覚めた人たちの敵ではないように。

 コナンたちの真意がわからない少年探偵団は、コナンたちが止めると、文句を言います。

 それは、真実を伝えられても、「おかしい」「あり得ない」「気が狂った」と言う人たちに、どこか似ています。

 こう見てくると、目覚めて、真実を拡散するために、自分の置かれた場で戦っている人たちを、江戸川コナンが象徴しているのが、おわかりになるのではないでしょうか。

 心が折れかけている時は、こういう作品を見て、カタルシスを味わうのが大切です。

 特に、長い期間にわたって、先の見えない歩みをしている時こそ、心の平衡を保つために、自分の状況を客観視させてくれる作品に触れることが、必要かもしれません。






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