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「映画『自由の音』についてジム・カヴィーゼル語る」を見た

ジム・カヴィーゼルのインタビューを見た

 「ア●レナクロム、人身売買、映画『自由の音』についてジム・カヴィーゼル語る」というインタビュー動画を見ました。

 これは、『自由の音』で主演を務めたジム・カヴィーゼルへの、約18分のインタビューです。

 オクラホマにある会場で行われていますが、ジム本人は遠隔での参加です。

 ジムが演じているのは、ドキュメンタリー映画「トゥーサン作戦」で、人身売買幼児救出作戦を遂行するティム・バラードです(ジムのインタビューのリンク先に、「トゥーサン作戦」の動画リンクもあります。こちらも是非、見てください)。

 動画では、救出作戦のため、会場に来られなかったティムが送ってきた、彼の映像も公開されています。

 とてもすばらしいインタビューなので、是非、一人でも多くの方に見ていただきたいと思います。

 イエス・キリストを心から信じる人に言いたいことは何か?と問われて、ジムはこう答えました。


  "この邪悪な時代から聖別されなさい。
 聖徒たちはこの世に迎合するのではありません。
 他から際立つためにあなたは生まれたのです"


 インタビュー全体もすばらしいですが、この言葉がとてもすばらしい。

 クリスチャンはやっぱりこうだよねと感じるものです。

 このジムのインタビュー会場の2/3の観客が、SNSでアカウント凍結されたと挙手しています。

 これは、真実を言い広めた世界中の人に起こってきたことです。

 真実を言う、これは常に危険と隣り合わせの行為です。

 最悪の場合、命を狙われる。

 なぜマスメディアは大々的に報じないのか?

 彼らを握っている人たちからしたら、そういう報道が邪魔だからです。

 それは、いろいろ調べてきた方たちはご存知でしょうが、世界で起きていることを知ろうとしなかった人たちは、これから知ることになるでしょう。

『パッション』でイエスを演じた俳優

 ジム・カヴィーゼルは、メル・ギブソン監督の『パッション』で、イエス・キリストを演じました。 

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 日本で公開された際、劇場で見て、DVDも手に入れました。

 日本のクリスチャン人口は1%未満と言われますが、公開が危ぶまれたという前情報や内容の話題性から、クリスチャンでない人たちもたくさん見ていたように記憶しています。

 ただ、福音書の、イエスが十字架につくまでの過程について、理解がないと、ちょっと厳しいかもしれません。

 すばらしい作品ですが、イエスが拷問されるシーンがかなりリアルなので、そこがきつい。

 ちなみに、「パッション」という言葉は、この映画では「受難」と訳します。

 この言葉には「情熱」と「受難」の意味がある。

 バッハの「マタイ受難曲」は、英語表記すれば、"Matthaus-Passion"となります。

ティム・バラードにイエスを重ねるジム

 インタビューで、ジムは、『パッション』で演じた自分のイエスに触れながら、『自由の音』のティム・バラードについて、「この映画でも、ティムの中にイエスを見出すのです」と言っています。

 クリスチャンからすれば、これは、信仰の告白に等しい言葉です。

 まさにティム・バラードは、イエスのようなことをしている。

 口先だけで「神はあなたを愛しています」と言うのではなく、具体的に救出することをしています。

 もちろん、真実を広め、自分にできる範囲で、子供の救出に関わっている世界中の人たちもそうです。

 こちらで述べましたように、信仰には、行いが伴います。

トランプさんも、ティムと同じことをしてきた

 そして、トランプさんを支持してきた人たちはわかっていますが、トランプさんもずっと同じことをしてきましたし、おそらく今もそうでしょう。

 だから、もし彼を批判するのであれば、きちんと事実に基づいて行うべきです。

 歪曲報道をするメディアの報道を鵜呑みにするのではなく。

 そうでなく、彼を批判し、貶めようとすることは、子供を傷つけてきた悪魔たちを利する行為になり得る危険を孕んでいる。

 人身売買は、世界中で行われてきましたし、おそらく今も行われている。

 しかし、それが、世界中の人に知られるようになり、関心を抱かれるように、ごく最近、なりました。

 主要メディアが全く取り上げなかったことです。

 そういう真実を報道しないメディアが、トランプさんについて、真実を報道したことがあったでしょうか。

カトリックであるメル・ギブソンとジム・カヴィーゼル

 『パッション』を撮ったメル・ギブソンと、イエスを演じたジム・カヴィーゼル、二人とも、カトリックの信徒です。

 メル・ギブソンは、人身売買について10数年にわたって告発し続けてきました。

 ハリウッドがそれに関わっていることにも。

 多くの人は不慮の死に遭うか、黙らされるかした中で、ギブソンがずっと語り続けてこられたのは稀有なことです。

 また、ジムのインタビューからも感じられますが、彼は、映画俳優という仕事を、神による召し(calling)だと考えています。

 私は『パッション』しか見ていないので推測になりますが、彼の映画俳優人生を見ると、『自由の音』にいたる、まさに神の御手が及んだとしか思えない道筋が刻まれているはずです。

 おそらく、メル・ギブソンもジム・カヴィーゼルも、カトリック教会が、子供の人身売買や性的虐待に関わってきたことは既にご存知でしょう。

 さらに、まだ大々的に公開されていないことも知っているはずです。

 あるいは、既に、そのことを知って経験する、自身の信仰の危機を、乗り越えたのかもしれません。

 それは、決して容易いことではなかったはずです。

 おそらく、彼らは、どこかの時点で、カトリック教会とか組織ではなく、自分が神に召されて、この地上を生きているという地点に立ったはずです。

 「自分に何ができるかはわからない。だが、神が、この困難な時代と状況に、自分を置かれたのだ」と信頼できるなら、組織がどれほど腐敗していても、その人は信仰者として歩んでいけます。

 そして、腐敗した組織の再生がなされるとしたら、そういう人たちの手によってなされます。

 その前に、悪魔や悪魔に加担した人々を一掃する必要がある。

 メル・ギブソンやジム・カヴィーゼルは、一人の人間、信仰者として、すばらしい人たちだと感じます。

本物の信仰者とは?

 以前の記事でも書きましたが、私は教会で嫌な思いをたくさんしましたし、傷ついてきました。

 真実が捻じ曲げられることをよく経験しました。

 "誰も、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を疎んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。"(マタイによる福音書6章24節)

 聖書にこうあるのに、「富に仕えている」かのように見える人が多いようにさえ、映りました。

 こういうことを目の当たりにしながら、それでも、イエスに従う歩みをするのは、容易なことではありません。

 イエスに従うことが、教会に反することにさえ、なり得る。

 もっとも、こうしたことは、キリスト教の歴史で、数限りなく起きてきたことでもあります。

 マルティン・ルターのしたことは、当時の教会からしたら、教会に反抗・敵対する行為に受け取られたはずです。

 トランプ大統領の歩みを知る前というのは、組織や神学としてのキリスト教にほとんど絶望していた時です。

 「ああ、本物がいる。口先だけでなく、信仰に裏打ちされた行動を行う、キング牧師やボンヘッファーのような大統領がアメリカにはいる」と感じました。

 同じものを、メル・ギブソンやジム・カヴィーゼルに、そして、世界中で真実の拡散に努め、危険な務めを担っている人たちに感じます。

 その全員が、教会で洗礼を受けた人たちではないでしょう。

 "義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。"(新共同訳聖書マタイによる福音書5章10節)

 これをしている人たちは、イエスに倣っているわけですから、クリスチャンと言っていいと、私は思います。

 神学的にアウトな発想ですが、人を救わない神学に、私は用がない。

日本でも起きていること

 人身売買や誘拐は、どこか遠くの、未開の地の話ではありません。

 現代で起きていて、それには世界中の著名人が関わっています。

 『カバール帝国の崩壊』を見た方には、今更言うまでもないことです。

 もちろん、日本でも、起きています。

 子供が誘拐されるというのは、親にとってみれば、子供と親しい人にとってみれば、心を引き裂かれるような悲劇です。

 まして、子供の捜索に必死になっている親御さんたちを中傷・誹謗するなど、言語道断です。

 こちらは、2019年に行方不明となった小倉美咲さんについてのサイトです。

 下の方に、お母さんによる長文のコメントがあります。

 それは、美咲さんの行方不明当時から今にいたるまでの、あらゆる誹謗中傷に対するコメントです。

 こういうことを、他人事と思うとか、無関心になるのは、不正義に加担することだと思います。

 まして、自分の救いだけを後生大事に気にかけるのは、信仰者の態度ではありません。

 もう一度、ジム・カヴィーゼルの言葉を引用します。

 "この邪悪な時代から聖別されなさい。
 聖徒たちはこの世に迎合するのではありません。
 他から際立つためにあなたは生まれたのです"
 

 映画の中で、ティムを演じるジムはこう言います。

「君はなぜこの仕事をするんだ?」とティムが聞かれる場面がある。
それに対して、「神の子どもたちは売り物ではないからだ。
サタンよ、お前はそれを止めなければならない。お前らを捕まえに行く。」

 子どもたちが売り物にされている、それを止めずして、関心を持とうとせずにいて、自分の救いを優先することは、神の求めていることではない、そう私は思います。

 「神は正義を行われる方である」と、教会で言われ、またクリスチャンは言います。

 子どもたちが売り物にされているのを放置するのは正義でしょうか?

 それに無関心になるのは、正しいのでしょうか?

 「私には何もできず、祈ることしかできません」と言うだけなのでしょうか?

 それとも、「自分にできることは何だろう?関心を持ち続けよう」というのが、正しいのでしょうか。

 賢明な皆さんなら、おわかりでしょう。

 

 

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