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全訳トム・ケニオン「Psycho-spiritual Detoxification : Thoughts and Observations (精神と靈の解毒:見解と考察)」

浄化反応が出ても慌てないために

 トム・ケニオンの記事「Psycho-spiritual Detoxification : Thoughts and Observations (精神と靈の解毒:見解と考察)」の全訳を掲載します。

 これから、毎回ではないものの、エネルギーワークやハトホルのサウンド・メディテーション、またトム・ケニオン自身のサウンド・メディテーションについて書かれた記事を掲載していきます。

 それに取り組んでいる最中、強い浄化反応が出ることがあるかもしれません。

 私自身は、以下の記事でトムが書いているような、強烈でパワフルな浄化反応を体験したことはありませんが、そういう話を見聞きしたことはあります。

 また、あるエネルギーワークをやった後に、とてつもなく気分が悪くなり、トイレに何度も行って排泄したり、ずっと体が熱くなっていたりしたことはあります。

 それらはいずれは終わるものですが、浄化反応についての知識がないと、困惑し、非常に不安になることもあり得ます。

 何らかの身体の病気の可能性もありますが、そうでない場合は、以下に述べられている浄化反応の可能性もあります。

 一見、非日常的な経験ではありますが、変容ワークやエネルギーワークを行った時にはよく見られる反応ですので、あまり心配しなくても大丈夫です。

 そうした浄化反応が出ている間は、体の反応に従い、排出するものは排出し、水分を取って、安静にしてお過ごし下さい。

 但し、体内の大掃除をしている時ですので、食事はできるだけしない方が良いと思われます。

 どうしても空腹が我慢できない時は、固形物ではなく、消化しやすいものを、ほんの少量摂取すると良いかもしれません。

 長い記事ですので、休みを入れつつ、お読み下さればと思います。


「Psycho-spiritual Detoxification : Thoughts and Observations (精神と靈の解毒:見解と考察)」

翻訳者:jacob_truth 翻訳完了日:2021/08/19(木)

原文:

[訳注1:タイトルの翻訳にいささか迷ったが、こうすることにしました。” Psycho”を「精神」と訳し、精神や感情・情緒に関する働きを意味すると捉えました。また、” spiritual”を「靈」と訳し、こちらは人間を人間たらしめる根本の働きを意味しています。なお、私が「靈」の字を使うのは、新字体と旧字体で意味が異なるためです。]

 心理カウンセラーや心理療法士として30年近く働いてきた中で、私はクライアントや自分自身に、様々な形の精神的・感情的な毒素を観察してきました。

 また、身体とマインドがこれらの毒素にどのように対処するか、どのように現れ、どのように存在するか、そして変容過程でどのように変容し、中和されるかを観察してきました。

 この短い記事の中で、私はこれらの観察のいくつかを共有したいと思います。それが、自分自身の中にあるこの種の毒素に遭遇している人や、他の人と一緒に変容技術を使用している人のためになることを願っています。

 まず、用語を定義しておきましょう。「精神と靈(psycho-spiritual)」という言葉は、「心理的(psychological)」と「靈的(spiritual)」という2つの言葉を組み合わせた言葉です。ここでのこの概念は、心理的なもの(精神的なもの)と靈的なものが出会う領域があるということです。そして、心理的素材が靈的経験に影響を与えるのは、この心(mind)と感情の領域においてです。また、個人の靈的な次元が、心理的なものに影響を与えたり、しばしばそうなったりするのも、この領域においてです。

 一例を挙げて、御説明しましょう。

エマの神

 もう何年も前のことになりますが、ある婦人が落ち込んでいるという相談を受けました。40年以上連れ添った夫を9ヶ月ほど前に末期の病気で亡くしました。それは、親友であり人生の伴侶でもある人を失うことでもありました。それだけでなく、彼女はこの2年間、彼の面倒を、一人で看ていました。彼が亡くなると、彼女は世間への関心を失い、友人たちとの社会的ネットワークからますます孤立していくのを感じていました。彼女は、明らかに、長期にわたる悲嘆に暮れていました。

 最初の面談で、私は彼女の趣味や関心事を尋ね、彼女を支援するために何か活用できないかと考えました。その中で彼女は、以前は、ガーデニングが趣味だったが、夫の介護のために断念したと言っていました。

 エマ(仮名)は、「夫の介護をしていた女性」以外の自分のアイデンティティを認められないがゆえに、貧しい生活を送っていることがわかりました。

 これは典型的な心理学的素材です。彼女のセラピストとしての私の第一の仕事は、彼女が人間関係や個人の目的の世界に戻る道を見つける手助けをすることでした。

 私は、エリクソン式医療催眠(訳注2:精神科医ミルトン・エリクソンが考案した催眠療法のこと)を使って、彼女を「内なる注意(inner attention)」の受容状態に導くことにしました。エリクソン式医療催眠では、メタファーを使って、個人の中に隠れている治癒の可能性を活性化させます。

 エマが私のところに助けを求めてきた時、私は10年ほど前からエリクソン催眠を実践していたので、エリクソン催眠が作り出す心(mind)の状態についてはよく知っていました。しかし、私が作ったメタファーによって、エマがしたことについては、準備ができていませんでした。

 彼女は庭師だったので、植え替えが必要な植物に例えて、彼女の状況を扱ったストーリーを作りました。

 エリクソン式医療催眠の優れた点の1つは、無意識が主要なメタファーを、個人に関するメッセージとして認識することです。従って、エマは、「植え替えが必要な植物は自分のことだ」という暗黙のメッセージを理解したのです。

 この物語では、ある植物が鉢からはみ出してしまい、より大きな容器に入れなければならなくなりました。新しい大きな鉢に入れられた植物は、スペースがありすぎてショックを受け、どうしたらいいのかわからなくなってしまいました。そこで私はエマに、「植物の根は、知らない内に土の中に広がっていて、その根が植物の成長に必要な栄養分を、植物が知らない内に、自動的に取り込んでいるのではないか」と示唆しました。

 この高度に比喩的なストーリーによって、エマの無意識が利用できる豊かな土壌を、私は作り出しました。彼女がこのメタファーを利用して、新たな内的資源を生み出し、世界に根を張り、最終的には社会との接点を取り戻す(これは非常に重要な心理的課題である)だろうと、私は思っていました。しかし、この70代前半のうつ状態の女性が、個人的なものを超えて、トランスパーソナルな領域にまで行くとは、全く想像もしませんでした。

 物語の終盤、エマはそっと泣き始めました。そして、すすり泣き出しました。数分後、私はエマに、自分の感情を十分に感じるための時間を与えました。エマの嗚咽は弱まり、彼女は笑顔を見せ始めました。実際、彼女の顔は輝いていました。

 私は自分の物語を終わらせました。それは本質的には、彼女がうつ状態から抜け出し、世界との新しい関わり方を見つけるための内的資源を発見するという、彼女の無意識への、一連の秘密のメッセージでした。

 この時、彼女の呼吸が非常に浅くなっていることに気づきました。これは、彼女が非常に深い意識レベルで、何かを処理していることを示しています。

 エマが目を開けるまでの数分間、私はエマと一緒に黙って座っていました。彼女はまず窓を見て、私のオフィスに差し込む午後遅くの日差しを見ました。そして、彼女は笑顔で、私を見ました。

 私は、彼女に何が起こったのかを尋ねました。彼女は、自分が植物になったこと、そして植物に関するメッセージは、全て自分自身についてのメッセージとして受け取ったことを説明しました。物語の最後には、自分が男性の両手に拾われて、天に召されるのを感じたという。(自分自身が植物であることをはっきり実感した時)彼女は天国に入り、その手が神のものであることに気づいたのです。

 私が彼女に語りかけていたように、神様は、彼女にもはっきりと語りかけました。そして、「あなたは夫のためにできる限りのことをしたのだから、心配することはない」と言われました。彼女はとても感慨深げにこの部分を語ってくれました。また、セッション中に泣き出してしまったのはこの時だったと、述べていました。

 そして、神様は、天の雲を通って植物のような彼女を降ろし、大地にしっかりと置いてくださったと、彼女は言いました。

 クライアントが根本的な問題の核心に首尾よく迫る時、魔法の瞬間があります。その時には既に、その問題が、魔法のように解決されているような感覚に陥ることが、しばしばあります。そして、その解決策がその人の人生にどのように現れてくるかを見るには、少しの時間があればいいのです。私たちはそのような瞬間を迎え、エマと私はお互いに「大丈夫だよ」と微笑み合いました。

 私はエマに何気なく、神様がどのように見えたのかを聞いてみました。エマはすかさず、「神様は白い髪と長い白い髭を持っていた」と、事もなげに答えました。そして、神様が自分を大地に戻してくれた時、全てがうまくいくことを知ったと言いました。

 私は、この話をしてくれたエマに感謝しました。様子を見るために、2週間後に彼女と会う予定を立てました。

 2週間後、私のオフィスに入ってきたエマは、最初にドアを開けた時の落ち込んでいた女性とは、似ても似つかないものでした。

 この時のエマは、幸せそうで、自信に満ち溢れていました。彼女は、セッションの後すぐに、園芸用品店に行って、自宅の植物のために、新しい鉢を購入したと言っていました。また、彼女は昔の友人と再会し、私に会うための貴重な時間を割くことができないほど、社会的なスケジュールが忙しくなっていることを教えてくれました。この評価には、私も心から同意しました。

 私のオフィスでのエマの体験は、靈的体験によって心理的な素材がどのように影響を受け、また変化するかを示す素晴らしい事例でした。

 エマのジレンマは、長期に渡って大切な人を介護し、病気で失った人に共通するものでした。「介護者」としてのアイデンティティが失われるのはよくあることです。このような自己アイデンティティの感覚がないと、別のレベルの損失が生じます。

 私がエマのケースで興味深いと思ったことの一つは、彼女のうつ状態の解決が、自然発生的な「ファンタジー」の作用によってもたらされたことです。この 「ファンタジー」は、エリクソン的メタファーに反応して彼女自身の無意識から生み出されたもので、彼女を古典的なトランスパーソナルな体験へと導いたのです。つまり、彼女は自分の人格を超えた領域に入り込みました。そこは、「神の手」がうつ病の感情的な束縛からの解放に一役買っていることを体験した、超自然的な世界なのです。

 ここで私は、エマの「ファンタジー」とは何かを明らかにしたいと思います。彼女の体験は、私のオフィスでの心理学的介入という文脈の中で行われました。この種の仕事では、エマのような体験は夢のような体験であるため、「ファンタジー」と呼ばれます。一般的には、このような「ファンタジー」は、精神保健の専門家からは現実とはみなされず、精神的・感情的な願望実現のための心理表現の一種であると考えられています。ちなみに、エマの神との出会いが単なる「空想」なのか、それとも神そのものによる神秘的な介入なのか、実は、私にはわかりません。これが推理小説のネタなら、「誰がやったのか?」となります。

 私は彼女のセラピストとして、エマがうつ状態から抜け出すのを助けるという現実的な目標を掲げました。その責任者が神であるならば、それはそれで良い。あるいは、それが彼女の無意識の中から生み出された「ファンタジー」であったとしても、それはそれで良いのです。

 これだけは言いたいと思います。エマが深い催眠トランスにかかって神の印象に遭遇した時、部屋には、明白な靈的現臨と、超越した恵みの感覚がありました。その本質が何であったかは、私にはわかりません。しかし、エマが自分なりの神と出会った時のシンプルさと上品さに、深い感動を覚えたことは確かです。

 また、エマの神体験が、白い髪と長い白髭の老人であったことも興味深い。ちなみに、私はこれまで、何百人もの様々な文化的・宗教的背景を持つ人々と仕事をしてきましたが、ほとんどすべての場合、神は、その人の期待や信念に従って姿を現すものです。

 エマの神との出会いが究極的にどのようなものであったにせよ、それは彼女に大きな影響を与えました。1回のセッションで、効果的に、彼女のうつ状態を止め、彼女の行動を、自分だけのものから、世界や友人と関わるものへと変えました。これは急激な変化であり、エマの靈的な性質やトランスパーソナルな性質が、彼女の心理的な性質に活気を与えた(あるいは影響を与えた)ために起こったものです。

 エマの事例では、トランスパーソナルな領域との出会いが、個人の自由の解放のきっかけとなりました。

 しかし、知覚の変容によって生じたトランスパーソナルな体験に対して、別のタイプの反応を示す人もいます。このような反応は非常に個人的なものであり、私の観察によれば、人によって大きく異なるものです。

 数年前、ドイツで開催された大きな会議で、講演とサウンド・ヒーリングのデモンストレーションを行いました。その時のサウンド・セッションでは、いくつかの明確な変容のエネルギーとサウンド・パターンがもたらされました。このプレゼンテーションで興味深かったのは、その場にいた多くの人が音に高揚感やインスピレーションを感じた一方で、同じ音に吐き気やイライラを感じたと報告した人が少なからずいたことです。

知覚の相対性について

 脳科学者は、人の脳はそれぞれ異なり、個人に固有のものであると結論づけています。確かに共通の構造と機能はありますが、脳のこれらの領域がどのように相互作用し、どのように機能するかは、人によって大きく異なります。雪の結晶のように、まったく同じ脳は存在しないのです。

 そのため、世界認識も個人的なものになります。同じ音楽や音響作品を聴いても、その反応は人によって異なります。その個人的な反応は、脳が音をどのように処理するかということと、(人生経験や文化的信念に基づく)個人のアイデンティティの感覚に基づいています。

 音や音楽の好みは人それぞれですが、私が言っているのは、単なる好みではありません。それは、現実認識をどのように保持するかということに関係しています。

 「現実認識は自分で作る」というのは、ある人にとっては、奇妙な概念かもしれません。しかし、長年にわたって変性意識状態の研究をしてきた私にとっては、表面下を見れば、この考えは自明のことです。

 あなたの時間感覚を取り上げましょう。西洋の技術文化では、「時間は人間の知覚とは無関係に作用する」という合意があります。時計の時間(機械的な時間)についてはそうですが、個人の時間感覚(生物的・心理的なもの)については、そうとは言い切れません。

 例えば、講義を受けていたり、何かに夢中になっていたりするような、自分の全注意を注いでいる時、「時間が経つのが早い」という言葉があります。しかし、その作業が退屈で、心に響かないものであれば、「時間がどんどん過ぎていく」のです。

 人間の経験の中で、時間認識が大きく変化する領域がもう一つあります。それは夢です。夢を見ている間、脳はシータ波やデルタ波というゆっくりとした波形をたくさん出しています。このようなゆっくりとした波形が発生すると、「意識の焦点」が内側に向かう傾向があります。外界の認識や時間・空間の感覚が変化し、「内界」の認識がより鮮明になる傾向があります。

 夢は非常に非日常的で不合理なものであり、しばしば知覚される時間の性質を変化させます。例えば、夢の中で時計を見ることがあるかもしれません。そして、この夢の時計は、不合理な方法で、動き始めるかもしれません。時計の針が逆回転し始め、夢の中であなたが時間を遡っていることを示すかもしれません。あるいは、針が通常よりも早く回転し、あなたが未来へ進んでいることを示しているかもしれません。「現実の世界」では、このようなことが起こると、何が原因で時計が故障しているのかを探すことになります。しかし、夢の中では、このような奇妙な現象は、夢-現実の性質として、いつも受け入れています。

 もしあなたが定期的に瞑想をしていたり、何らかの形で内側に注意を向ける実践をしていたりするのであれば、別の形の「時間が変化した」感覚を経験したことがあるかもしれません。瞑想者の中には、時間感覚が早くなったり遅くなったり、場合によっては完全に止まってしまうという報告も珍しくありません。

 興味深いことに、「時間が止まった」という感覚は、しばしば呼吸の一時的な停止を伴います。一瞬、息を止める。そして、この静寂の窓の中で、あらゆる種類の興味深い、非日常的な精神現象が起こることが多いのです。全ての主要な伝統のヨーギやヨギーニは、このユニークな心身の状態を説明しています。この状態は、ヒンドゥー・ヨーギの伝統では、しばしばサマディと呼ばれています。

 世界の先住民族の伝統も、時間の停止について語っています。彼らにとって、時間は、意識の「他界」に入ることができる窓やポータルなのです。そして、これらの伝統で必要とされるシャーマンのスキルの1つは、知覚された時間を、自由に変更する能力です。

 サウンドヒーラーである私は、ほぼすべてのシャーマンの伝統が、他界への入り口を開く手段として、何らかの形で音を使っていることに魅力を感じています。このような先住民の楽器の中で最も一般的なのは、もちろんシャーマニック・ドラムです。しかし、シャーマンの儀式では、他の楽器を使って時間感覚を変えることができます。

 音が知覚、特に時間と空間の知覚を変える働きを持つのは、私たちの脳の神経生理学そのものに根ざしています。

 研究によると、言葉のない純粋な音や音楽が脳で処理されると、論理・言語・順序付けなどの左脳の機能が一時的に低下したり、停止したりする傾向があることが明らかになっています。同時に、空間認識・新規性・パラドックスなどの右脳の機能が強化されます。厳密に神経生理学的な観点から言えば、私がワークショップで作る「触媒的な音」や、録音した心理音響学的な音楽のように、ある種の音によって、非日常的な体験がどのように、なぜ生まれるのかを説明できます。

 さて、右脳が活性化しているこの場所――私は意識の中で「ウーウー・ランド(Woo-woo Land)」と呼んでいます――では、非常に面白いことが起きています。これには、右脳新皮質が活発になると、知覚が変化し、そして、多くの人が、時間感覚と空間感覚の両方での変化を体験したという事実が関係しています。

 時間感覚や空間感覚が変化することに抵抗がなく、それを楽しめる人もいれば、脅威に感じる人もいます。この2つの反応の違いは、脳の処理や個人の心理の違いに関係していると考えられます。

時間感覚と空間感覚の変化

 数年前のあるワークショップで、時間感覚と空間感覚を劇的に変化させるヨガの瞑想法を教えた時のことを思い出しました。ワークショップの半ば頃、参加者の一人が「空間が広すぎる」と訴えました。実際、彼女は自分の体を構成する原子の間の空間を感じており、非常に戸惑っていました。これは、彼女が、右脳の壮大な活動の真っ只中にいることを示しています。クラスの他の人たちは、自分の広々とした感覚を大いに楽しんでいますが、彼女はそれに脅かされているのです。

 また、彼女は口の中に金属の味を感じたと言っていました。これは、私を含めた他の人たちが強力な変性意識状態で経験することがある奇妙な現象です。私は個人的に、これは一種のデトックス(解毒)だと考えていますが、この話題については、後ほど御紹介したいと思います。ここでは、空間がありすぎることを体験した参加者の話に戻りましょう。

 論理的に考えると、この人は自分の体の原子の間の空間を見たり感じたりすることはできないはずです。私たちの視覚は、原子のような微細なものを見ることはできませんし、ましてや原子の間の空間を見ることはできません。また、触覚もそのような微細なものを認識することはできません。

 しかし、ヨガの理解では、ある種の瞑想状態(右脳が活発に活動している状態)では、意識はそのようなものを直接知覚することができます。

 この人は、自分の体の中で知覚される空間が変化することに脅威を感じていました。それは自分の知っている「現実認識」を侵害するもので、彼女はそれを面白がったり、探求したりするのではなく、その経験全体に怯えていたのです。彼女の不快感があまりにも大きかったので、私はようやく彼女が「ウーウー・ランド」を離れ、慣れ親しんだ「現実」に戻るのを手助けしました。彼女が「普通」に戻ると、広々とした感覚が消え、不安も消えました。どうやってこの神経学的偉業を成し遂げたのか?私はただ、彼女に起こったことを話してもらったのです。自分の体験を語る過程で、彼女の左脳が働き、それに伴って右脳の活動が低下し、彼女の「ウーウー・ランド」での短い滞在が終わったのです。

個人史と感情的毒素

 精神と靈の解毒には、時間感覚と空間感覚の変化についての個人的でユニークな反応に加えて、個人史と感情的毒素というもう一つの重要な要素があります。

 私自身、何年も前に、セラピストと一緒に呼吸法のセッションを受けていた時に、変容状態における感情的毒素について経験したことがあります。初期のセッションでは、光り輝く白い光の感覚と無条件の愛の深い感覚に包まれていました。そして、突然、根深い抑圧された記憶の壁にぶつかりました。

 一分間、特定の呼吸パターンで呼吸をしていたのに、次の瞬間には、感情的な混乱の渦に巻き込まれて部屋から消えていたのです。私の頭の中には幼い頃の記憶が次々と蘇り、急に体調が悪くなりました。自分の息が臭く、口の中には苦い味がしました。

 呼吸法のコーチに導かれて、感情と肉体両方の困難な泥沼を通過している時、私は突然、奇妙な精神的幻影を見ました。嘔吐している私の隣に、別の私がいたのです。この鮮明で奇妙な体験は数分間続きました。二重身の自分の嘔吐が終わった時、それまで感じていた身体的苦痛が急になくなったのです。

 それ以来、セラピーやその他の強力な変容経験の中で、困難な感情的記憶にとらわれている人が、時々、嘔吐の衝動に駆られるだけでなく、実際に身体的に嘔吐することがあることに、私は気がつきました。

 また、抑圧された感情を解放する時に、口の中に苦い味や金属のような味がしたり、悪臭がしたりすることもあると報告する人々もいます。私の推測では、ネガティブな感情は、有害な性質を持つ一種の微細エネルギーに変換されるのではないかと思います。そして、これらのエネルギーの毒素からは、匂いや味を感じることもあります。私の個人的な意見ですが、このようなエネルギーが組織内に長く留まっていると、細胞の健康を阻害する可能性があります。

仮説

 ここから先は、30年間の個人的及び臨床的観察に基づいた個人的な作業仮説であることをご了承下さい。但し、これはあくまでも個人的な意見であり、正確であるかどうかはわからないことを、どうか御了承下さい。それでも、このような「知的な地図(intellectual map)」は、変性意識状態の周りにしばしば現れる、多くの非日常的な現象に直面した時に、非常に役立ちました。

4匹の虎

 ここでは、私が「精神と靈の解毒(psycho-spiritual detoxification)」と呼んでいるものには、4つの要素(4匹の虎)があると仮定してみたいと思います。私はこれらの要素を「虎(Tigers)」と呼んでいます。4つの要素が刺激されると、野生の虎のように、侮れない力を生み出すことができるからです。

 そのうちの2つには、既に触れています。1)時間感覚と空間感覚の変化、2)個人史と感情的毒素。カルテットの他の要素は、体内の2つの異なるタイプの微細なエネルギー経路です。「経絡(meridians)」と呼ばれる第一のエネルギー経路システムは、古代中国の道教によって記述され、今日では鍼灸師によって使用されています。2つ目の「ナーディ(nadis)」と呼ばれるエネルギー経路のシステムは、高度なヨーギによって知られており、意識そのものに影響を与えるために使用されています。

経絡について

 私が経絡の考え方に初めて触れたのは、音や音楽が脳の働きに与える影響を科学的に解明するために、1983年に設立した「アコースティック・ブレイン・リサーチ(Acoustic Brain Research)」で脳の研究をしていた時でした。

 音や音楽の効果に興味を持ったのは、心理療法士としての仕事がきっかけでした。つまり、音や音楽が心理療法のプロセスを深め、加速させることができるということです。このことに気付いた私は、関係する脳と心のプロセスをよりよく理解する必要に迫られました。というのも、1980年代前半の当時は、この現象についての理解がほとんどなかったからです。私自身は脳の研究をしたことがなかったので、音や音楽で脳の状態を変え、知覚を変えることができるという考えに興味を持った、様々な生物行動学の研究者たちと協力しました。

 私はこの時期に、独自の心理音響技術を開発しました。これには、様々な音のパターンを何百時間も聴いて、その脳への影響を、特にEEGトポグラフィカル・ブレイン・マッピングで測定して記録する必要がありました。

 心を変えるようなサウンド・パターンを何時間も聞いていると、私自身が気づいた変わった効果の一つに、耳たぶがかなり痛くなるということがありました。実際、感覚がなくなるまでヘッドフォンをつけ続けるのが難しいほどでした。

 耳たぶには、多くの体の主要な器官につながる経絡が通っていることがわかっています。そして、ある種の音はこれらの経絡を刺激します。その結果、経絡につながっている器官を刺激することができるようです。また、道教では、ある種の音が身体の経絡システムに直接影響を与えると信じられていますが、それもあるかもしれません。

 私自身は、サウンド・ヒーリングのセッション中や変容の体験中に、ある種の音が経絡の活動を刺激したり、鎮めたりすることがあると感じています。また、一般に、強烈なサウンドワークや変容ワークの最中に、様々な器官で、はっきりとした身体的感覚を感じたと報告する人も珍しくありません。

 また、私の観察によると(多くの鍼灸師も同様ですが)、抑圧された感情は、身体器官に「エネルギー的に蓄積」されることがあります。例えば、怒りは肝臓に、恐怖は腎臓に、悲しみは肺や心臓に蓄積されることがあります。

 強烈な変容を経験すると、身体の各器官はこれらの蓄積されたエネルギー(及び関連する記憶)を、身体/マインドのシステムに放出します。

4匹目の虎

 私の考えでは、精神と靈の浄化にはもう一つの側面があると思います。それは、ナーディの微細システムです。西洋では、ヒンドゥー教や仏教のヨガを学ぶ人以外にはほとんど知られていませんが、ナーディのシステムは体の主要なチャクラ全てとつながっています。活性化すると、あらゆる種類の珍しい効果を生み出すことができます。

 数年前、私はネパールのカトマンズにいて、ポワの伝授を受けました。ポワとは、チベットの瞑想法で、修行者が意識的に死を通過し、次の転生の条件を、ある程度決定できるように訓練するものです。私の伝授者は、長年チベットで隠遁生活を送っていたチベット人のポワ・マスターでした。彼は英語を一言も話さず、私はチベット語を数語知っているだけでした。私の友人の僧侶が通訳をしてくれました。

 ポワ・マスターが何を言っているのかは、友人が通訳してくれるまでわかりませんでしたが、マスターが古文書を朗読している間、私の中に微細なエネルギーの流れが強く感じられました。

 ある時、伝授の終わりに、私の全てのチャクラとナーディのネットワークを通って、透明な白い光が注入されるのを、はっきりと感じました。

 伝授が終わった後、友人がマスターの最後の指示を翻訳してくれました。「事実上、これはパワフルな伝授であり、私は肉体的な浄化を経験するかもしれない」というものでした。

 伝授を終えて、ホテルの部屋に戻り、段階を覚えられるように瞑想をやり直しました。私はマスターの最後の言葉を忘れ、シャワーを浴びてベッドに入りました。夜中に目が覚めて、死ぬほど気分が悪くなりました。ナーディを通って輝く光が流れるのではなく、暗いヘドロのような液体のエネルギーが体の中を流れていくのを感じました。吐き気がして、頭が割れるような痛みがありました。インフルエンザにかかったのか、食中毒になったのかと思いました。倦怠感は8時間ほど続いた後、徐々に解消されていきました。その時になって、師匠の別れの言葉を思い出しました。

 これは、ポワ・マスターとその系統が私にもたらした強烈な光によって引き起こされた、典型的な精神と靈の浄化反応または解毒でした。

 これまでにも、靈的体験をした時に、同じような浄化作用があったので、今回の奇妙な出来事も納得できます。

 ポワ・マスターが古文書を読む時、彼はまず、自分が属している生ける靈的な系譜を呼んでいました。このエネルギーラインには、効力と靈力があり、それを私に向けていたのです。私の主観的な体験としては、自分のナーディに光が注ぎ込まれる感じがしました。自分の中にたくさんの光が入ってくる感覚に、私はとても興奮しました。

 実際のポワの修行法の説明になると、私の中の光は、チベット仏教の貴重な宝である、澄んだ白い光に変わりました。白く澄んだ光が現れたら、(チベット仏教の伝統では)それは、純粋な意識そのもの(菩提心)に入ったことを示す決定的なサインです。この光を体験した時、私は至福の境地に達しました。

 この至福の状態の最中、マスターの最後の言葉である「肉体的な解毒が起こるかもしれない」という言葉を、私はあまり理解していませんでした。

 伝授から数時間後、眠りから覚めた時、私のナーディは光っていませんでした。その中には汚泥や未消化のネガティブなもの、自分自身の未解決の対立、妨げ、障害、汚れなどが詰まっていました。私は自分の「カカ(caca)」(糞)の中に、首まで浸かっていたのです。

 よく使われる比喩で言えば、私の意識という水がかき混ぜられ、底にあった泥が表面に出てきたプロセスに似ています。

精神と靈の解毒への対処

 私が精神と靈の浄化に取り組む際の基本原則は、プラグマティズム(実用主義)です。

 まず、自分の「カカ(caca)」をかき混ぜる時には、出てきたものを適切な文脈で整理すると良いでしょう。その素材や感覚に対処するのは難しいかもしれません。しかし、抑圧された記憶や感情、あるいは毒素が心身のシステムから取り除かれるのは、最終的には良いことなのです。

 ここでの主な問題は、人によって異なる「快適なゾーン(comfort zone)」にあります。

 一般的には、一部の例外を除き、変容をもたらす触媒によって浄化反応が引き起こされた場合、その反応は最終的に自己解決します。つまり、反応が一巡すると、その強さは自ずと弱まっていくということです。「精神と靈の浄化(psycho-spiritual cleansing)」を扱う技術は、内容を変えようとしたり、趣味に合うようにしようとしたりせずに、感覚や経験を「そのままに」しておく方法を見つけることです。

 カトマンズで(パワフルなポワの伝授を受けて)強烈な浄化反応が起きた時、私は自分が最悪の気分になっても構わないと思わなければなりませんでした。チベット仏教徒にとって最も神聖な場所の一つであるにもかかわらず、フライトの前にベッドから起き出して、最後にボディナート(Bodinath)を訪れる気力がないことを、何とかしなければなりませんでした。

 そして実際に、8時間の激しい吐き気と4時間の一般的な不調の後、全てが自然に解決しました。

 浄化反応(デトックス)に自分を委ねる方法を見つけられれば、最も効果的な方法で対処できるでしょう。

医療上の注意点

 一般に、「精神と靈の解毒」を行う際には、不快な身体的感覚を、医学的な症状とは切り離して考えることが大切だと思います。その理由は、浄化反応の際に生じる身体的な要素の中には、実際に、医学的な問題を模倣するものがあるからです。

 浄化反応には、通常、急性の痛みは伴いません。ですから、身体的な痛みがある場合は、それが医学的な問題であるかどうかを判断することが肝要です。激しい痛みが続くようであれば、医師の診察を受けることをお勧めします。「後悔先に立たず」という諺があります。精神と靈の浄化反応について医療機関を受診する場合は、慎重に行うことをお勧めします。

 個人の自己判断ではなく、体温計で測った高熱(約39.4度以上)がある場合は、医師の診察を受けるべきです。私がこのように言うのは、微細なエネルギーがナーディを通って移動する時、人は時々、とても熱くなるからです。ヨーギが「精神の熱(psychic heat)」と呼ぶもので汗をかいたりすることもあります。この種の熱は浄化反応の結果ですが、一般的には体温を上げることはなく、約39.4度以上になることはほとんどありません。

 吐き気や内臓の痛みがある場合は、病気の可能性がありますが、そうでない場合もあります。症状に加えて発熱(体温計で測定)がある場合は、ウイルスや感染症にかかっている可能性があります。しかし、熱が出ない場合は、単なる強い浄化反応の可能性があります。嘔吐と発熱の両方がある場合は、必ず、医療機関を受診して下さい。

要約

 精神と靈の浄化、あるいは一般的な浄化反応に直面した時に考えるべき最も重要なことの一つは、非日常的ではあっても、それを普通のこととして受け入れることだと思います。

 浄化反応に対処する際は、常識を働かせて下さい。医療上の問題ではないことを確認し、浄化反応が解決するまで、その体験と付き合っていく方法を見つけて下さい。

 強い浄化反応が起きている時は、心身のシステムがネガティブなものを排除しようと努力していることを理解して下さい。あなたの体は、この分野において、生まれながらの知恵と知性を持っています。それを信じましょう。


以前の翻訳記事はこちらをご覧下さい。






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