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覚醒とは何か?

二種類の覚醒

「覚醒」には、二種類あると考えています。

覚醒A
 一つは、主要メディアの情報に違和感を覚え、やがてそれが嘘だと気づき、メディア・宗教・教育の洗脳やマインドコントロールから解き放たれて、自分で本当のことを探っていく状態。

覚醒B
 もう一つが、自分自身についての一切の幻想、他人が評価する自分というものから完全に自由になり、かつ、あらゆる転生・次元の自分を思い出している状態。

 アカシックリーダーのゲリー・ボーネルが創設したノウイングという学校のテキストでは、覚醒B(Enlightenment)をこう説明しています。

「覚醒とは、Authentic-Self(本質的な自己) に関するすべての幻想から自由になった状態です。人間という形態の中にいながら、完全に目覚め、恩寵と調和に満ちた魂意識から、瞬間、瞬間を生きていくことです。」
(ゲリー・ボーネル、大野百合子訳『叡智の道 レムリアから伝わる神秘の教え《思考の現実化》』ヒカルランド、2015、p,676)

 多くの人は、過去を悔やみ、それを未来に投影しながら生きています。

 それを無意識にやりながら、日々を生きています。

 言い換えれば、瞬間、瞬間を生きていない。

 過去の実績・経験から、これからどうしていくかを計画して、それを実行していく。

 しかし、「風の時代」に入ったことで、以前に比べれば、瞬間、瞬間を生きることは容易になっていると言えるかもしれません。

 大事なのは、物事についての自分の考えを変えること。

覚醒すると、世界の真の姿がありのままに見える

 さらに、覚醒について、ゲリーはこう述べています。

「覚醒すると感覚を通してはいってくる情報は無限です。そして、世界の真の姿を、エネルギーと意識をもふくめて、ありのままに見ることができます。人類を支配している集合的な思考フィールドの制限を、もう受けることはありません。」(p,676-677)

 映画『マトリックス』の終盤、一度死んだネオが生き返って、「マトリックス」の真の姿を見るシーンがあります。

 それが、「世界の真の姿を、ありのままに見ること」ができる状態の、一つのイメージと言えるでしょう。

覚醒すると、自分の全転生がわかる

 覚醒することで、「あなたは、本質的な自己を通して創造するのです。あなただけのユニークな才能が生み出す思考を、地球のエーテルのエネルギーを使って現実化していきます。時間と空間は流動的になり、あなたは自分のすべての転生を知ることができます。」(p,677)

 ゲリーが言う意味での「覚醒」を、「覚醒B」ととりあえず呼びます。こちらは、前者も含みますが。

覚醒者に共通する行動

 覚醒Bの状態の人は、対面・ネットで何度か、やり取りをしたことはあります。

 共通している行動としては、情報の出し方が、相手に気づきを与える示唆という形を取ること。

 特に、相手のあり方に関わることについては、相手が個人であれ、集団であれ、そういう表現をする傾向にあります。

 ストレートに、「これはこうです」と、誰もがわかる形での情報の出し方はしない。

 よって、全体像が見えてない時点では、断片的な情報なので、一見、わかりにくい感じがつきまといます。私も「?」が頭に灯る感じを何度も経験しました。

 回りくどいやり方ですよね。

 ストレートに言うことはできるはずなのです(中には明晰な文章が書ける人もいます)。でも、敢えてしない。

覚醒者がストレートに情報を出さない理由

 ずっと考えてきて、出た結論はこうです。

 ある覚醒者を、私が信頼していて、何かを尋ねたとします。

 それで、相手がストレートに情報を出した時、私がそれを自分で検証・吟味することなく、丸のみにしてしまう可能性が非常に高い。

 そうすると、絶対ではないですが、ほとんどの場合、気づきは起こりにくい。自己理解はほとんど進まない。

 さらによくないケースでは、「こういう情報を出す○○さんはすごい」と崇拝したり、「答え」が外にあるという信憑を強めてしまう可能性があります。

 これを繰り返していると、自分の中にある叡智の貯蔵庫の広大さに、自分で気づかなくなり、「自分は外側の何かに頼らないといけない無力な存在だ」と、自分に無意識に教えこむことになります。

 そうすると、操作されやすくなる。

 だから、ストレートな情報発信はしない、このように考えます。

 本物の覚醒者は、表現の仕方はどうであれ、相手の状況に合わせて、相手が自分自身で、明晰になれるような形で、情報を出します。

 問いかけ、ちょっとした示唆、違った見方という形で。

 相手がしたことがないことの提案という形もあります。

 例えば、自然に触れることはするが、動物との触れ合いが乏しい人に、「何らかの形で、動物たちとコミュニケーションしてみてください」と言うような形です。

依存的発想から明晰性へ

 情報を求めている人が、「本当に知るべきことは自分の中にある」と、思い出していくような、気づけるような情報の出し方を、覚醒者はする。

 そうでないと、依存的な発想のままだからです。

 依存的な発想とは、別の言い方をすれば、迷妄に囚われるということ。明晰でないということ。

 明晰であるとは、「歪められた感覚的知覚や認識から生じる誤解や混乱のない状態にあること」を指しています(『叡智の道』p,95)。

 我々の感覚的知覚や認識は、往々にして歪んでいます。

 期待によって、自己認識の歪みによって、情報を歪めて受け取っている。

 それがゆえに、物事の理解や他者との交流に、誤解や混乱を生んでしまう。

 自己との関係にもそれは言えます。

我々は外を向くように調教されてきた

 我々はいろんな形で「お前の中には何もなく、お前が知りたいことは外にある」というのを、教え込まれ、調教されてきました。

 だから、外側に情報があると考えたいのは、ある程度はやむを得ない。

 そういう習慣的思考からしたら、ストレートに情報がもらえないのを、やきもき感じるのも自然なことです。

 でも、これは何をやろうと、学ぼうと、決して、克服できない。

叡智は己の内にある

 わずかでも、「自分の中に必要なことはある」「すべては自分のあり方だ」と思って、外側からの情報は、内を探る目印に過ぎないと思えないと、明晰さの獲得は非常にむずかしい。

 ソクラテスは、『メノン』で、想起説を述べています。

 これは、自分の中に知の宝庫があり、ただ思い出されるのを待っているだけだということです。

 「外側に答えがある」とは、完全に真逆の発想です。

 だから、彼は、真理を求め、丹念に問いかける。

 彼が、興味があるのは真理であって、明晰であることです。

自分に対して、正直で率直であること

 おそらく、メディア・宗教・教育のマインドコントロールや洗脳から脱却し、自分で本当のことを探っていく過程を通ることで、覚醒Bの状態になる人もいると思います。

 その人がどれぐらい自分に対して、正直で率直であるかに左右されるのではないかと推測しています。

 我々の多くは、「自分はこういうものだ」という幻想塗れの自己評価と、他人からの「あなたはこういう人ね」という幻想まみれの期待・評価の中で、日々を歩んでいます。

 これにメディア・教育・宗教の洗脳が加わる。

 迷妄の山で暮らしていると言ってもよい。

 この迷妄の山の一角をつき崩して、違う光を入れるには、違ったアプローチをする以外にない。

名探偵コナン方式

 『名探偵コナン』で、主人公のコナンは、体が小学生というのもありますが、正体をバレてはいけないので、毛利探偵や刑事たちには、ストレートに情報を出しませんよね。

 「あれれ~、ここにこんなものがあるよ~」と、物証を見つけ、示すというやり方で、毛利や刑事たちが、点と点をつなげるように仕向けていく。

 しかし、「仕向けられている」と感じられてはダメで、そこがむずかしいところです。

 あくまでも、刑事たちが自分でつなげなければならない。

 覚醒者の情報の出し方も、これととても似ています。

 必要な情報は出していくし、質問があれば答えるけれど、点と点をつなげるのは、あくまでも、相手がすることです。

 そして、点と点がつながり、線と線がつながると、ある理解、明晰さが得られる。

覚醒者は、無駄なことは極力言わない

 もう一つ、覚醒者の特徴として、不必要なこと、無駄なことは言わないというのがあります。

 Twitterや他のSNSを見ていても、確かなことを言っているが、発信数は少ない人の発信を、後で振り返ると、その時点での必要なことしか、言ってないことがわかります。

 私から見ても、状況のカオス度合いは増す一方ですが、どれほどカオスに見えても、明晰に、正直に、率直に、自分を表現していける人。それが、覚醒者なのかもしれません。

 どんな状況でも明晰で、正直で、率直であるのは、かなりむずかしい。

 私自身は、そもそも明晰ではない。

 人によっては、いついかなる時も、少なくとも、自分に対して、率直であり続ける、あるいは正直であり続けることがむずかしいかもしれない。

 例えば、自分が怒りを感じているのに、それを表現せず、愛想笑いでごまかすのは、正直ではなく、率直でもありませんよね。

 逆に、自分は喜びを表現したけれど、他人の反応で、それを押し殺してしまうのも、正直や率直とは違う。

 最初は、小さなことで、ノンジャッジで、自分を表現していくのがいいのかもしれません。

 表現しないまでも、自分の中に湧き起こる感情や感覚を、自分は否認しない。

 最初から100%を目指すのではなく、ちょっとずつ取り組むことです。

私は覚醒への意欲を持っている

 私は、覚醒Bの状態になりたいです。

 何よりも明晰でありたい。

 だから、ずっと真実の探究をしているのかもしれません。

 嘘やごまかしを言われるのは真っ平です。

 クリアに物事を見たい。

 そう強く思っています。

覚醒にいたるには?

 覚醒にいたるワークは世に様々、あります。学校もあります。

 私は昨年5月、ノウイングに入学する予定でしたが、コロナでなくなりました。

 ある年配の友人から、私にはここに入学しなくても、覚醒にいたる必要なプロセスは与えられると、その数か月前に示唆されました。

 振り返ってみると、入学取り消しになって、良かったと思います。

 入学していたら、私は今以上に、生活に困っていたことでしょう。

 高額な費用をかけなければ、覚醒できないということはないと思います。

 むしろ、真剣に、真摯に、覚醒への意欲を持ち続けるなら、自分に合ったワークややり方、師が見つかるはずです。

 大事なのは、覚醒はテクニックではないということ。

 「覚醒したい」という決意、コミットメントだということです。

概念を知ることの意義

 今、これをお読みの方の中には、覚醒に興味・意欲をお持ちでない方もおられるかもしれません。

 しかし、概念を知ることで、一つ、違った世界が開けてきます。

 これは、覚醒に限りません。

 自分の視野を広げる、意識を拡大する最も簡単な方法の一つは、未知の概念を知ることです。

( ´∀`)サポート本当にありがとうございます!!😭😭😭🥰🥰🥰 (  ・ ∀ ・)ご恩返しするためにも、今後も一生懸命頑張ります!!😊😊😊