【映画レビュー】「アメリカン・ユートピア」
一人で映画を観に行けるチャンスはなかなかない。悩んだ末、「アメリカン・ユートピア」にした。トーキング・ヘッズを率いていたデイヴィッド・バーンのライブ映像を映画にしたもの。
とくにデイヴィッド・バーンのファンというわけではなくて楽しめるのかな…と少し心配だったけど、結果的にそれは杞憂だった。めちゃめちゃ楽しかった。最高の体験だった。
始まりは脳の模型を持ったデイヴィッド・バーン。脳の歌を歌いだす…!赤ちゃんの頃が一番神経ネットワークが多いという話から、では私たちはどんどんバカになっているのか?私なんかplateau of stupidity(バカさの高止まり)じやないか、と笑いを取る。だってデイヴィッドは69歳!
そこから、その歳で約100分、息も切らさず歌って踊る。
次々に登場するおそろいの灰色スーツのバンドメンバーも、無線の楽器で本当に舞台上で演奏しながらパフォーマンスする。
最後まで全く飽きないのは、スパイク・リー監督はじめスタッフのすごさでもあるのだろう。(もっと観ていたいと思った!)
メンバーは出身地も肌の色も年齢も性的アイデンティティもバラバラ。みんなグレーのスーツを着て、統制されたフォーメーションでパフォーマンスの一部になっている。なのに、一人ひとりが個性を出して生き生きしてる不思議。
個が出ることが、結果的に集団としても最高のパフォーマンスを作ることになる。そんな"綺麗事"が実際にこんな短時間のうちに目に見える形で現れている驚き。
衣装や装飾がシンプルなのも、「人間そのものを見てほしい」という意図からだそう。
クライマックスは”Hell You Talmbout”。一度聞いて、ジャネール・モネイに「白人の年配男性が歌ってもいいか?」と許可をもらったとのこと。”Say his name!”と、白人の警官による暴力で亡くなった黒人の名前を次々と叫ぶこの歌、涙なしには聴けない。歌詞に収まり切れず画面を覆いつくす名前。
この曲を、デイヴィッドは「プロテストソングだけど、鎮魂歌であり、変革のための歌」と語った。そして、「自分が変わらないといけない」と。人とつながろう、赤ちゃんのころのネットワークを取り戻そう、と伏線回収。
"Everybody's Coming To My House"という曲について、デイヴィッドはこんなことを語った(これに限らず、言葉はうろ覚えで書いているので、実際とは異なるかもしれません。あしからず)。「この曲を、高校生が合唱で歌ってくれた。私が歌うと、同じ曲なのにウェルカムな感じにならない。なんとなく『早く帰ってくれ』というニュアンスがでてしまう。しかし高校生たちの歌は違った。心から受け入れているようだった。驚くべき体験だった。私もそっちになりたい、と思った。」
ああ、そうか。彼もこっちなんだ。自分の不寛容さを感じ、恥じている人なんだ、と思った。
ちなみに、バーンの曲には何度も「house」のモチーフが出てくる。それを私は自分の身体のメタファーかなと思ったりした。でも"Everybody's Coming To My House"に関しては、house = アメリカ合衆国 だと思う。
Everybody's coming to my house
And they're never gonna go back home
We're never gonna go back home
We're only tourist in this life
デイヴィッド自身もスコットランド移民。
移民が集まって、一つの強大な国を作っているアメリカがユートピアであるために。
ライブの中では、地方選挙の投票率が20%しかなく、その平均年齢が57歳という事実も伝えて、自分から動こうと呼びかけている。
国家としての不寛容を何とかするには、個人の中の不寛容に目を向け、自分のできることからはじめるしかないのじゃないか。
でも、人を動かすには正論だけじゃ足りない。
この圧倒的なアートには動かすパワーがある。間違いなく。
最後の曲を終えてお辞儀をしたメンバーたちの背中が上から撮ったカメラに映し出された瞬間、シャツを貫通してスーツに滲み出た汗の色が、いろんな形をしていて美しいと思った。ひとつひとつが国をかたどったかのよう。
ユートピアは今日の自分からはじまる。
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