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【ブックレビュー】限界から始まる

はじめに

ずっと、上野千鶴子さんの著作を読んだことがなかった。

もちろん名前は知っていたし、東大でのスピーチなど、たびたびメディアで取り上げられる情報の断片を受け取りながら、何も読んでいなかった。それは、「フェミニズム」ということばに対する拒否感からだったとおもう。

私の考えは、ずっとフェミニスト的なものだった、まちがいなく。でも、まさにこの本に出てくる「私はフェミじゃないけど…」という前置き付きで話す人だった。「フェミニスト」というくくりの中に入れられてまるごと無視されたり冷笑の対象になったりするのはごめんだったし、「男」「女」のくくりより個人の幅は大きい、そんな大雑把な分類で何を語れる?と疑っていた。被害者として扱われたくない、という、本書内でまさに鈴木さんに指摘されている「ウィークネス・フォビア(弱者嫌悪)」もある。

でも、今「フェミニズム」ということばは以前ほど偏見にさらされたことばではなくなっているように思う。#MeToo、#KuTooの動きなどを見ていると、「正しく」女であることと向き合い、まっすぐ発言する女性が増えていて、それを受け止められる社会になってきていることを感じている。それに、自分の人生は、個人的な選択だけではなりたってきていない、「女」というジェンダーでのくくりを無視することはできない、と、腹ををくくる時だという気持ちがでていきている。

そんな今、上野千鶴子さんと鈴木涼美さんの往復書簡集『限界から始まる』がうちにやってきた。

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初めての上野さんは期待通りに厳しく、想像よりずっと優しかった。「厳しい」の一例をあげると、文通相手の著作を読んで、

今度の本は、鋭い観察眼と達者な文章で、あいかわらず読ませました。ですが、「あるある感」満載の本書からは、何も新しい発見はありませんでした。読後感はうんざり、というものでした。

とバッサリ。読みながらドキドキするよ…😓

でも、ちゃんと読めば攻撃しようと思っているわけではないことはわかる。反対すべきと考えると事がらにはまっすぐ反対し、歴史的経緯を含めて自分の思うことの根拠はきちんと示す。相手を人間としては尊重していることはちゃんと伝わってくる。

読み始めたら本を置くのが惜しいくらい、次へ、次へと読みたくなり、と同時に、自分の過去や考えに照合しなければ…と読むスピードを弱めなければならないという気持ちも起こりつつ、三晩ほどで読み終えた。

「運命を選択に変えた者」

本文中でとくに印象に残った一節は「英雄とは、運命を選択に変えた者のことである」ということば。

自分で選択して手に入れたと思えることなんて、人生のなかではほんとうに少ない。与えられた状況、ふりかかってきた運命に対応していたらどこかの方向へ進んでいたということが多いのは、私だけではないとおもう。

自分の家庭環境、生まれ持ったもの…その運命を、「自分が選んだもの」として逃げずに受け止め、主体的に対応すること。小さなことでも、個人的なことでも、それが英雄だというのは納得いった。(ただ、「英雄にならない」という道もある。いつも運命を受け入れる必要はない。そのことは忘れてはいけないとおもう)

自分が女に生まれたことだって、運命だ。それに対する態度をちょうど今問われている。これは大事にしないといけない意識だなーと思った。

ホンネの深さで社会は変わるのか

鈴木さんは、女性差別的な発言などに対して「簡単に削除はするけれど実は何も学んでいないように思う」と指摘する。

わかる…他人は変えられない。その痛みと悲しみはよく分かる。

それに対して上野さんは、「私は社会変革とは、ホンネの変化ではなく、タテマエの変化だと思っています。」と返す。

あるとき女性から告発を受けて愕然とする彼らの困惑を、同情はしませんが、理解することはできます。(中略)30年前にはOKだったおなじふるまいが、今日はアウトになった、というその時代の空気の変化に対するあなたの鈍感さが罰されている、というほかありません。

日本人は妙に「ホンネ」を重視するところがあって、よい行動を起こしても「偽善」と言われたりする。足の引っ張り合いをしているみたい。大事なのはタテマエを分厚くすることーータテマエを言葉に、行動に、制度に実現していくこと。それによって新しい世代が少しずつ進化していくのではないか、と私はおもう。

アメリカでは人種差別的な言動は公には決して見られないけれど、何度も繰り返される黒人への暴力とその抵抗運動が示しているように、人種差別は日常的にあふれている。日本人が憧れる北欧のどの国も、日本より犯罪率は高く、殺人は多い。だからといって、「そんなところから学ぶ必要なんてない」ということは全くない。学ぶべきところはたくさんある。そのタテマエの分厚さこそ大事だとおもう。


さいごに

作者二人とも、自分の個人的な経験をさらして語る内容は、読む側の個人的な記憶もよみがえり、後悔、恥、たくさんの感情が出てきてちくちく、ひりひりする。

でも、どんなに男性一般への批判をしていても

「しょせん男なんて」と言う気は、わたしにはありません。「男なんて」「女なんて」というのは、「人間なんて」と言うのと同じくらい、冒涜的だからです。

と断言し、

乱暴に扱えば、心も体も壊れます。壊れものは壊れものらしく扱わなければなりません。

と言う歳を重ねた上野さんを、たのもしい仲間のようにおもうのです。




参考

http://honkawa2.sakura.ne.jp/2788.html 「犯罪率の国際比較(OECD諸国)」

https://www.globalnote.jp/post-1697.html「世界の殺人発生率 国別ランキング・推移」

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