古き良きもの

テクノロジは常に進化していて、より小型化して、よりコンパクトになることを目指している。そんな中、今回は、カメラと算盤についてのんびり語ってみたいと思う。

最近フィルムカメラに興味を持つようになった。フィルムカメラは、撮り直しが効かないから、「この一瞬」をより大切に撮ろうと、心が働く気がする。スマートフォンで気軽に写真が撮れる時代、あえて一眼レフにこだわることに、何か意味があるのだろうか。

スマートフォンは、「多機能化」をコンセプトに、進化していると思う。カロリー消費を計算するアプリ、電卓、歩数計、ゲーム、これ一台で、何でもできてしまいそうなポテンシャルを秘めていると、感じる人もいると思う。

一方、カメラはスマートフォンの多機能と比較すれば「単機能」であろう。フィルムカメラは、ビデオの機能もなく、写真を消去することもできない。もちろん、編集だって。フォーカスも自分の感性のままに操り、世界を切り取ることができる。シャッターを押した瞬間、「カッチャン」という音が、とても心地よい。それは、デジタルに縛られない、自由といってもいいだろう。

AIは驚くようなスピードで、計算能力を増している。単機能である関数電卓でさえ、スマートフォンにとって代わられようとしている。けれども、古き良きもの、とされているものも、それ以上変わることはないし、時には捨てられてしまうこともあるだろう。

算盤が面白いと思うのは、シンプルさである。西洋数学が入ってこない時代に、関孝和がフーリエ級数を見つけたとか、見つけてないとか、そういうミステリアスなものにも惹かれるところがある。パラダイムシフトは、論理学における、新大陸の発見のような一面があるのだ。

一つ一つ算盤をはじいていく感触は、モノづくりの温かみを感じる。「カチカチカチ」という音は、スピード勝負の世の中では気づかなかった、時の流れを感じることができるだろう。そうやって簿記の歴史をぼんやりと振り返ったり、電卓の進化について研究していくと、逆にイノベーションを感じるのである。

そして、その、カメラと算盤を、あえて、現代機器の象徴であるスマートフォンで撮影するのである。そして、AIを使った画像編集にかけたりする。それは、前時代ではありえない出会いであり、年月を経たことを、その一瞬でタイムトラベルするのである。

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