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英文学の書き出しその1:シャーロック・ホームズ ーボヘミアの醜聞ー

本は書き出しが重要であるというのは日本文学も英文学も同じです。

そこで、今回は英文学の名作の書き出しを取り上げ、私なりにその魅力を頑張って伝えたいとおもいます。とは言っても、私は別に言語学者でもなければ文学を研究しているわけでもありませんから、何か専門的な知識や客観的な分析を提示することはできません。

ただ私が読んで「オー」と思ったことを私情交じりで何とか言語化して伝えようとするだけなので、需要があるのかないのか、役に立つのか立たないのかわかりませんが、とりあえずやってみようと思います。少なくとも、名文に触れ、英語を好きになるチャンスはあると思うので、よかったら最後まで見ていってください。

なお、「その1」としているからにはシリーズ化を考えているわけですが、三日坊主なので保証はできません。頑張ります。

今回はアーサー・コナン・ドイルが書いたシャーロック・ホームズシリーズの中で私が最も美しいと思っている書き出しがある「シャーロックホームズの冒険 ーボヘミアの醜聞ー」を見ていこうと思います。

原文は以下の通り。(第一パラグラフのみ)

To Sherlock Holmes she is always the woman. I have seldom heard him mention her under any other name. In his eyes she eclipses and predominates the whole of her sex. It was not that he felt any emotion akin to love for Irene Adler. All emotions, and that one particularly, were abhorrent to his cold, precise but admirably balanced mind. He was, I take it, the most perfect reasoning and observing machine that the world has seen, but as a lover he would have placed himself in a false position. He never spoke of the softer passions, save with a gibe and a sneer. They were admirable things for the observer—excellent for drawing the veil from men’s motives and actions. But for the trained reasoner to admit such intrusions into his own delicate and finely adjusted temperament was to introduce a distracting factor which might throw a doubt upon all his mental results. Grit in a sensitive instrument, or a crack in one of his own high-power lenses, would not be more disturbing than a strong emotion in a nature such as his. And yet there was but one woman to him, and that woman was the late Irene Adler, of dubious and questionable memory.

うっとりするほど美しい文章です。まず一文目。

To Sherlock Holmes she is always the woman.
やはり小説の中で一文目の大切さは計り知れないものですが、この一文目は本当に名文だなと思います。学校ではthe は「その」と教えられますが、何か少し違う感じがしますね。the woman とするとその女は何かわからないけど頭一つ抜きんでている、格別な存在であるという印象をうけますが、その何かが分からないから、よりミステリアスで読者の気持ちをつかんではなしません。そして、the woman がシャーロック・ホームズの愛した女性なのでは?と思うと気になってどんどん読み進めていってしまうはずです。

I have seldom heard him mention her under any other name. In his eyes she eclipses and predominates the whole of her sex.
ここでもまだその女性の具体的な情報は開示されませんが、彼女がホームズにとってどれほど重要な人物、インパクトのある人物かがひしひしと伝わってきます。ホームズが彼女に抱いているのは畏敬の念か、恋慕の情か、それとも。

It was not that he felt any emotion akin to love for Irene Adler.
ここで一つ謎が解けます。ホームズはこの女性に対して恋をしていたわけではないようです。シャーロック・ホームズファンにとっては一安心というところでしょうか。やはりホームズの魅力は冷徹で頭脳明晰なところにありますから。そして女性の名前も Irene Adler (アイリーン・アドラー)と明らかになります。Her name was Irene Adler など仰々しく言わず、さりげなく名前を出してくるのがいいですね。

All emotions, and that one particularly, were abhorrent to his cold, precise but admirably balanced mind. He was, I take it, the most perfect reasoning and observing machine that the world has seen, but as a lover he would have placed himself in a false position. He never spoke of the softer passions, save with a gibe and a sneer. They were admirable things for the observer—excellent for drawing the veil from men’s motives and actions. But for the trained reasoner to admit such intrusions into his own delicate and finely adjusted temperament was to introduce a distracting factor which might throw a doubt upon all his mental results.

この五行でホームズの性格や恋愛に対する考え方がよく分かってきます。読者の多くが想像する通り、ホームズは賢く、合理的な人物で、事件の動機として観察する以外、恋愛には興味がないようです。この作品は短編集「シャーロック・ホームズの冒険」の第一作ですから、知らない読者のための主人公の紹介もある程度兼ねているのでしょう。ただし、恋愛には興味がないとこれだけはっきり書かれていると、「実はそうじゃないんじゃないか」「この作品では少し心をゆさぶられたんじゃないか」と考えてしまいます。
他にも私が良いとおもったところを二つ言うと、一つは He を多用していないこと。ホームズの話ばかりしていると、どうしても He He ばかりいってしまいそうですが、本文中では reasoning and observing machineや trained reasonerと形容することで表現が豊かになり、ホームズの科学者としての側面も伝わってきます。
もう一つは単純に読みやすいということ。gibe や sneerなど、聞きなれない単語もいくつかありますが、130年程前の作品とは思えないくらい読みやすく、複雑な文法そこまでありません。もちろん簡単ではありませんし、難しいと思う方も多いとおもいますが、同時代のほぼ古文の森鴎外や夏目漱石に比べたら、私はこっちのほうが読みやすいですね。

Grit in a sensitive instrument, or a crack in one of his own high-power lenses, would not be more disturbing than a strong emotion in a nature such as his.

比喩は下手に使うと一気に文章が陳腐なものなりますが、コナン・ドイルはこのあたり非常にうまいと思います。だらだらと語らず、短い比喩を二つ簡潔に書いているので、読者もはっきりとイメージがつきます。

And yet there was but one woman to him, and that woman was the late Irene Adler, of dubious and questionable memory.

ここで、アイリーン・アドラーに焦点が戻されます。前文でホームズがどれだけ恋愛に無関心を語っておきながら、And yet と逆接でくるわけですから、やはりホームズに恋心があったのではと考えずにはいられません。そしてそのあとさりげなく重大な事実が明らかになります。late という一言だけで、アドラーは故人で、この話が全て過去のことだと分かります。この一語にこれほどの重みをもたせるのは、いい比喩か分かりませんが、軽いはずの荷物を持ち上げたらめっちゃ重かったときのように一気に読者を惹きつける効果があると思います。そして最後にof dubious and questionable memoryと書くことでアドラーの謎めいた部分を強調し、顔も分からない女性からゆっくりとフェードアウトし、次のカットに移ります。

このように有名な英文学の最初のパラグラフに対して自分の思いを赤裸々に述べてみました。いかがだったでしょうか。私は改めてコナン・ドイルの文章能力の高さに感服しました。

閲覧数やいいねが多かったら頑張って続けます。多分。

最後に和訳も一応。(青空文庫だから著作権は多分大丈夫)

シャーロック・ホームズにとって、彼女はいつも『かの女』であった。他の呼称などつゆほども聞かない。彼女の前ではどんな女性も影を潜める、とでも考えているのであろう。だがアイリーン・アドラーに恋慕の情といったものを抱いているのではない。あらゆる情、とりわけ恋というものは、ホームズの精神にとっては、到底受け入れることができない。精神を冷徹で狂いなく、それでいて偏りがまったくないままに保たねばならないからだ。個人的な考えだが、推理と観察にかけて、ホームズは世界一の完全無欠な機械である。けれども恋愛向きではない。斜に構えねば、人の情については語れない。観察にはもってこいだ――情こそが人の動機や行動のヴェールをはぎ取る。だが、とぎすまされた推理の場合、ひとたびそのようなものが厳密に調整された心に入りこめば、乱す種となってしまう。そうすればどんな思考の結果も疑わしい。精密機器に砂が混入することよりも、所持する高性能の拡大鏡にひびが入ることよりも、ホームズのような心に強い情緒が芽生えることの方が、悩ましいことなのである。だがそんなホームズにも、ひとりだけ女性というものがあった。その女こそ、かつてのアイリーン・アドラー、まことしやかな噂の多い女だ。        
                            大久保ゆう訳


次回↓↓↓


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