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関東大震災から100年

今年は関東大震災から100年という事で、各種メディアで関連番組が放送され、私も知っている様で知らない震災の様相に触れる事ができました。
 
行政で決められた避難場所もなく、ラジオもない。
布団や家財道具を持って避難するという今の常識では考えられない当時の風潮が、大きな被害を生んだとも考えられます。

手塚治虫先生が原作で令和二年にノベライズされた『火の鳥 大地編』にも、関東大震災の描写が出てきます。


「火の鳥 大地編」より 逃げる間久部兄弟

震災の描写は、主人公の間久部緑郎の夢に登場して魘されたり、


火の鳥 大地編より 「火が。……熱い。火が来る……!」

ある時には、現実に起こった出来事として、登場します。
何れにしても震災に遭遇した事は、「悪魔に魂を売ったっていい」という、その後の彼の生きる道に大きく影響してくるのです。

さて、この関東大震災ですが、8月に中日新聞に掲載されたある関連記事が気になりました。
震災研究の第一人者で名古屋大学減災研究センターの武村教授によると、

関東大震災のマグニチュードは7.9が一般的だが実際は8.1

震源地は神奈川県全域と千葉県南部、東京は震源から外れていた

 
教授によると、震源地である神奈川県は震度7を観測し、建物の全壊率は100
%に達する場所が多く、東京では最も被害の大きかった本所区でも震度6強で全壊率は22%だったという事です。

この神奈川での被害が大きかったというのは衝撃的で、更には神奈川県での震災の様相ってほとんど知られていないよなぁ…と感じました。
先週見たNHKの震災関連番組も東京ばっかりだったし…
神奈川県での震災の事を学びたいと思いました。

で、先月、偶々訪れた横浜開港資料館で、多少その足跡を知る事ができました。


横浜開港資料館

 震災目的ではなかったのですが、『大災害を生き抜いて』。
 次の企画展がこちらで…
 会期前なので、見る事は叶わなかったのですが、常設展にも関東大震災についての展示がありました。

 最寄りのJR関内駅のある辺りが最も被害の大きかった地域です。
 正しく私が横浜に行くとウロウロする場所でした。
 また、東京では避難者の殺到した本所の陸軍被服廠跡地で火災旋風が起こり、最も大きな死者を出した事は知られていますが、横浜でも横浜公園に避難した市民の上に火災旋風が起きています。
 しかし、横浜では殆どの市民が着のみ着のままで避難していた事、公園にある多くの緑が火災が広がるのを防いだという事です。

 開港資料館の中にも当時を伝えるパネルと生き残った木が、日差しを遮るように大きく枝を伸ばしていました。

 






 横浜開港資料館の企画展、開催中にもう一度リベンジしたいです。

 

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