スラバヤ通りの妹へ

シンガポールに
駐在していた頃、
インドネシアの
ジャカルタに
よく出張してました。

宿泊するホテルは
ジャカルタの
ムリアホテル。

得意先の現地法人の
社長を接待し
接待が終わり、
その社長を
車でご自宅まで
送り届けようと
していた
雨の夜。

交差点が
赤信号で
私と
その社長が
乗っていた車が
停車している
時でした。

締めきった
車の窓ガラスの
向こうから
数人の子供たちらしき歌い声が
聞こえてきました。

そして、
その歌声は
だんだん
私達の乗っている車に
近づいてきました。

近づいてきた
その歌声の主は
小学生ぐらいの
3人の女の子
でした。

多分
兄弟なんだろうな、
と思いました。

雨に打たれ
びしょびしょになり、
小さな肩を
震わせながら
必死で
何かの歌(インドネシアの歌
なんでしょう。)
を歌ってました。

チップをもらう為に
交差点で
停まっている車に
歌を歌っている
少女たちでした。

私は
その光景を
目の当たりにして
車の後部座席の
窓ガラスを開け
その子たちに
チップを渡そうと
しましたが

その社長が

◆そんなことする必要は
 ないですよ。
 ジャカルタにはこんな子が
 いっぱいいますから。

と言われたので
私は
その子達に
チップを
渡しませんでした。

なぜ
この子たちは
夜10時すぎの
雨の夜に
ここまで
しなくては
ならないのか?

私にできることは
たとえ
◆お涙頂戴の
◆意図的な商売
だったとしても
その子たちが
そんな事を
考えるはずもない、
として
その子達に
チップを
渡すべきでは
なかったか?

今でも
あの時の
私の行為は
正しかったのか?
と思ってます。

そんな
びしょ濡れに
なりがら
チップを乞う
3人の女の子たちに
何もできなかった私は
その時
ユーミンの
この歌を
思い出しました。

後で
インドネシアの
ローカルスタッフに
この歌に
出てくる
◆ラッサンサンヤンゲー
というインドネシア語の
意味を聞いたら

◆優しい気持ち

と言ってました。

#ユーミン
#スラバヤ通りの妹へ

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