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コンプレックスをどう解消するか

昨日の続きで、コンプレックスについて考えてみます。

我々の中にあるコンプレックスをどうやって解消するのか。
ここは「コンプレックス」の存在を明らかにしたユング学派であられた、河合隼雄先生の考察を紐解きたいと思います。

劣等なことを劣等であると認識することは、コンプレックスと無関係なので ある。というより、そのような認識こそコンプレックスを消滅させるための第一歩なのである。(略)
なにかに関して劣等であるということが、自分という存在の中に受け入れ られているとき、それはコンプレックスをつくらない。

『無意識の構造』より

「劣等なことを劣等であると認識すること」でコンプレックは無くなるのだという。

これを聞いて思い出すのは、『五体不満足』の乙武洋匡氏です。

彼は自分の生涯を実に軽やかにネタにしています。障害の程度だけで言えば、彼ほど大変な思いをしてきた人はそうそういないでしょう。でも、彼は「障害は不便です。だけど、不幸ではありません」と著作で述べています。完全に自分自身の劣等さを自分の中に受け入れ、位置付けてしまっているのです。

どうすればそんな精神が持てるのでしょうか。

再び河合先生の言葉を借りると、彼は「周囲の人の関わり方」が重要であると続けます。

教師が生徒の劣等な点について、腹の中ではだめだと思いながら、口先だけは逆のことを言ったり、何事もないように言ったりすると、それはむしろ、 コンプレックス をつくりやすい条件となることが解る。子どもの心がその 矛盾した二重の信号を無意識のうちにキャッチするとき、彼は自分の劣等性 を、 心の中にどう位置づけていいのか解らないのである。

『無意識の構造』

周囲の人の接し方が、「腹の中」と「口先」で一致していること。これが非常に大事だということです。そして、腹の中で思っていることは、表情や態度に表れます。

「頑張れ」と口では言っていても、態度では関心を払わない。そういう上司は世の中にたくさんいます。そういう二面性のある態度にこの文章は警鐘を鳴らしています。

さらに続けて、周囲の人の望ましいあり方を河合氏はこう表現しています。

とは いうものの、劣等であることを認識することは誰しも辛いことである。 劣等の認識に伴う辛さや悲しみを共にしつつ、それをしてくれる人、あるいは、劣等性を認識することが、なんらその人の存在そのものをおとしめる ことでないことを確信できる人、そのような人によってこそ、コンプレックスを解消するような劣等の認識が可能となるのであろう。

『無意識の構造』より

周囲の人が本人のコンプレックスに寄り添い、その人の尊厳を否定せずに接することで、コンプレックスは解消していく。親として子供を育てる身としては、なんともズドンと来る重い言葉です。

これは非常に忍耐力のいる作業です。こちらが懸命に寄り添っても、本人が強く自分を否定してしまうと、そこにひるんでしまいます。相手が諦めているのに自分が諦めない、というのは精神力を要します。

それでも、本人よりも、本人のことを信じる。そういう姿勢こそが大切なんだと思います。

親として、上司として、あるいは教育に携わる身として、誰かのコンプレックスの解消に少しでも役に立ちたいと改めて思いました。

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