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トランプ大統領の英語が日本人通訳者を苦しめているという話

異文化と外国語が興味関心である私ですが、今朝たまたまとても面白い記事を見つけたので、感想と考察を記事にしてみます。(原文も是非読んでみて下さい)

先日のトランプ大統領の討論会がかなり汚い言葉の応酬になったのは議論を呼びましたが、同時通訳者も色々大変だったようです。こんなツイートが話題になっていました。

このビデオを見てもらえればわかりますが、トランプ氏とバイデン氏、そして司会者の3人の声とそれぞれの同時通訳者の声が被って大変なことになっています。これは決して同時通訳者の能力のせいではないと、記事の筆者は論じています。

同時通訳とは、外国語を瞬時に自分の言語に翻訳しながら、流れを予測し、構文を維持し、話者のペースに合わせて翻訳するスキルである。文字通りの翻訳だけでなく、微妙な意味合いや意図を伝えなければならない。これは、日本人通訳者にとって最大のジレンマの一つである「議論を呼ぶスピーチをどう翻訳するか」ということにつながる。

日本の公共・政治の場は感情を表出する場ではない。”ホンネと建前”がその代表である。いくら賛否両論があろうとも、個人的な感情や意見を公の場で表現することは未熟であり、無能であり、プロではない。そのため、日本の国営テレビでは、言い換えや強い言葉をトーンダウンする通訳が多い。ある同時通訳者は、以前トランプ大統領の演説で"nut-job"という言葉の日本語訳を探すのに苦労し、「Hen-Jin (変人)」という言葉を使った。しかし、多くの人は、このテレビ向きの翻訳ではトランプ氏の侮辱を伝えることができないと主張した。

的確な分析だと思います。つまり国際政治(あるいはビジネスでも)を舞台とする同時通訳者は、どんな汚い表現でも、ある程度TPOにあった適切な表現にすることを求められている、あるいは少なくともこれまではそうだったと言うことです。そういう意味では、映画や小説の翻訳とは求められる能力がずいぶん違いますね。さらに筆者は続けます。

トランプ氏は一度のスピーチで簡単な単語を何度も繰り返すのが好きです("great"、"big"、"beautiful "など)。また、トランプ氏は、文の途中で話題を変えたり、文脈から外れた突然の言及をしたり、自分の文章を完結させずに切り捨てたりすることがよくあります。
ですが、通訳者は、考えを完結させないまま訳してしまうと、彼らが愚かに見える危険性があります。聞き手には、話者が文を切ったから通訳が止まったのか、それとも単に話についていけなかっただけなのかわかりません。ある日本人通訳者は、「彼の言葉をそのまま訳してしまうと、自分たちがバカになってしまう」と冗談を言っていました。結局のところ、通訳者の意見は、トランプ氏は文字通りには訳せない人だということです。

・・・これを読むと通訳者の苦悩がよくわかります。トランプ大統領個人の資質によるところも大きいとは思いますが、一方で、同様の教養レベル・言語レベルの政治家が世界の国々から今後出てこないとも限りません。

また、米中摩擦やBREXITなど決定的な対立が世界に徐々に増える中で、政治家が相手への敬意を明らかに欠いたコミュニケーションをするシーンが増えているように思えます。そうした中で、感情的なやりとりをどこまで訳すのか、訳すとしてもどういう表現に置き換えるのが良いのかなど、通訳者の悩みは増していく方向にあるのではないかと思いました。

通訳者の仕事は今後どうなるのか?

この記事を読んで、通訳者の未来について色々な考えが浮かんできました。

私はセミナーや研修などでタイ語の通訳さんとよく一緒に仕事をします。昨今よく言われているのは、自動翻訳の精度が徐々に上がり、あるいはポケトークのような翻訳機も一般に普及するにつれ「通訳者さんの仕事は徐々に機械や人工知能に奪われていくのではないか」という仮説です。

しかし、今回の討論会の一件を見て改めて思うのは、国際政治やビジネスの現場など、ある局面での通訳はやはりとても難易度が高く、また適切な判断力を伴う難しい仕事であるということです。

相手の言語レベルを踏まえて、言外のメッセージまでを理解し、TPOを適切に読んだうえで、適度な表現で訳し返す。いまの自動翻訳はまだこのレベルには無いでしょうし、そうした判断を備えた翻訳AIが登場するまでにはまだ時間がかかるのではないかと思います。ゆえに、通訳者の仕事は、高難易度化し、残り続けるのではないかと考えています。(反対に、日常の職場での通訳や、簡単な商談の通訳などは機械に置き換わっていく可能性は十分にあり、一部でそれは既に始まっています)

一方で同時に思うのは「そこまで高度な仕事を出来る人は果たしてどれくらい存在するのか」と言うことです。

記事中に紹介されていた鳥飼久美子先生(私はこの方のファン)は、様々な差別用語を用いざるを得ないスピーチを訳した後に、通訳者を引退する決意をしたそうです。

同時通訳者、特に国際政治の舞台での通訳者とは、ともするとこうした対立や批判の最前線で戦わなくてはいけない、かくもタフな仕事なのだと思わされます。既に多くの同時通訳者はそうした偉大な仕事をされているでしょうし、これからもその重要性・希少性は増していくのでしょうが、プロとしてそれが出来る人は、ごく一部の方々でしょう。

そう考えると、我々一般市民が外国語を学んでおく重要性は無くならないような気がします。いくらAI翻訳が発達しても、直接オリジナルのニュアンスを理解できることの大切さ、また自身がビジネスや政治交渉の矢面に立つ際に、自分と相手の考えを通訳を介さずに伝え合うことができる能力の大切さは、まだしばらくは重要であり続けるだろうというのが私の仮説です。

今日は以上です。

最後に、鳥飼久美子さんの名作をご紹介しておきます。日本に原爆が落とされたのは、ポツダム宣言を誤訳したからという説や、様々な「誤訳」にまつわるエピソードがあり大変面白いです。翻訳というものの奥深さを感じずにはいられません。



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