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不実な美女か貞淑な醜女か

「言葉は、民族性と文化の担い手なのである。その民族が、その民族であるところの、個性的基盤=アイデンティティの拠り所なのである」

ロシア語同時通訳者の米原真理さんの書物に出会ったのは恐らく18歳のころ。彼女の明快でウィットのとんだ表現力に憧れ、当時ドイツ語と英語を勉強していた僕は「同時通訳者になりたい!」とすら思ったこともあった(実力不足で全く実現せず)。

それでも冒頭の文章からわかるように、言語を行き来するからこそ生まれる文化へのリスペクト、そして「ことば」に宿る文化の面白さというのは、大学生だった自分に「なんて言語って面白いんだ」という深い気づきを与えてくれ、自分の価値観形成に影響した。

私がタイという、アジアでは希少な文字が残っている国に住むことになったのも、そうした「文化の奥深さ」に魅力を感じているからに他ならない。

タイトルの「不実な美女か貞淑な醜女か」は、通訳者の葛藤を表すユニークな表現。クライアントに忠実に従って直訳すれば、得てしてその言語表現はおかしなものになる。目的達成をしようと意訳をすると、本来の表現からは異なったものになる。そのはざまで通訳者は常に揺れている。

奇しくもその先で選んだ「コンサルタント」と言う仕事も全く同じであると、少しキャリアを積んでから気づいた。

クライアントのいう事を聞く「貞淑な」コンサルタントになるのか、クライアントに異を唱える「不実な」コンサルタントになるのか。このハザマでコンサルタントは仕事をするのである。(ちなみにクライアントに自分の意見をぶつけてしまう私は一切「貞淑」ではなく、時に残念なコンサルタントである)

ということで、18~19歳の多感な時期に出会った一冊は私の人生の下敷きになっているので紹介してみた、というブックカバーチャレンジその1。7日連続で投稿できるかわからないが、頑張ってみたい。

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