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なぜJackなのか?分人のススメ~タイ起業10年記⑨

ところで、私は海外では「Jack」と名乗っている。

起業する前から使っているのでもう12年くらい名乗っていることになるが、実はこれは私の人生の最良の判断の一つではないかと思っている。

Jackと名乗ったきっかけは、「海外で働くうえで何かイングリッシュネームがあると良いよ」と勧められたから。

実際、シンガポールにいる中国人、韓国人、台湾人などの東アジア人の多くはEnglish Nameを持っている。

また、タイ人は生まれる時にニックネームを親からもらい、それが本名と変わらないレベルで公式的な取り扱いを受ける。また、それを後から自分で勝手に変えたりすることもある。

子供をインタースクールに入れると「ニックネームを決めろ」という指示が学校の先生から来る。インター校では、本名はあまり使われないのだ。

つまり、東南アジアでは「名前」は結構テキトーに扱われる。パスポートに載っている本名はあれど、日常生活や仕事で使う名前を自分で決めてしまうことは、珍しいことではない。

姓名いずれも4音節ある自分の名前は外国人には発音しづらい。だからより短い名前を付けて、気軽に外国人とコミュニケーションしたいと思った。

当時私はJack Welchの書籍に傾倒していたこともあり、「Jack」というのはベタな名前ながらも、「主役感」の漂うリーダーのイメージがあった。
ジャック・マー、ジャック・スパロウ、ジャック・バウアー、、、全部カッコいいイメージがある。

ということで、気軽にJackとつけてしまい、シンガポールとタイではそう名乗るようにした。

これが本当にスマッシュヒットだった。
外国人と仲良くなりやすくなったのだ。外国人にとって名前を呼ぶハードルが下がる効果は思いのほか大きい。名前を呼べる、覚えられる、ということはすごく心理的距離を縮めるのだということを学んだ。

また、海外に出てからの自分は、立ち上げ駐在からの起業家、ということでよりアグレッシブに仕事をするようになっていた。そのタイミングでJackと名乗り始めたこともあり、元々の「中村」という人格と「Jack人格」が自分の中で分かれていった。新しいもう一人の自分が誕生した感じがしたのだ。

よく「英語で話すときは人格が変わる」という人がいるが、それにも近い。
自分の中にもう一つのアイデンティティが生まれ、自分がアップデートされていく感覚が楽しかった。

アイデンティティってのは一つなんじゃないの?という疑問も持つかもしれない。が、僕は自分の中に複数の自分がいることはあってもいいと思っている。平野啓一郎さんが、「分人」という概念を著書で推奨している。

このコンセプトはなかなか痛快である。

個人は英語で"individual"と言うが、これは「分けられない」という意味だ。その接頭語であるin を取り除いてしまって"dividual"、分けられる存在として「分人」という概念が存在するという。

 すべての間違いの元は、唯一無二の 「本当の自分」という神話である。 そこで、こう考えてみよう。たった一つの「本当の自分」など存在しない。 裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。

『私とは何か 「個人」から「分人」へ』

「シチュエーションごとに新しい自分が増えていっても良い」という、これはなかなか面白い考えだ。自分はこの考えを結構気に入っている。新しい自分が増えると、その自分が元の自分にも影響を与えてくれる。そうやって自分のトータルの人格が成長していくのだ。

何気なくつけたイングリッシュ・ネームだったが、コミュニケーションを円滑にしたばかりか、自分自身のアップデートにも大いに役立った。これから海外でビジネスしようとする人にはお勧めである。

(つづく)


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